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地球日誌

熊倉敬聡/Takaaki Kumakura

慶応義塾大学理工学部教授。新たな学(び)のあり方に関係し様々な研究・企画を行う。現在フランスのパリを拠点に研究中。著書に『美術特殊C』、『脱芸術/脱資本主義』等。

Takaaki Kumakura is a professor at Keio University. His research theme includes new and experimental education. He currently lives in France for his research project.

[地球日誌] vol.07 インド旅行記(最終回)

2009.06.03


〈3月6日〉
 今日は、バスで2時間くらいかけて、さらに山奥の村に向かう。Kalaripayattというインドの格闘技のデモンストレーションを見に行くためだ。バスを降り、さらに山道を10分ほど登ったところに、格闘技の道場があった。地面にじかに深さ1メートル半縦15メートル横5~6メートルほどの四角い穴が掘られていて、それが道場になっている。「師範」による簡単な説明。哲学は、ヨガやアユルヴェーダと同じで、たとえばアユルヴェーダ・マッサージが手から体へオイルやハーブを通した生的エネルギーの交換であるのに対し、Kalaripayattは、剣ないし素手を通した体同士の間合いによる生的エネルギーの交換であるという。発祥はこのケラーラ地方で、その後中国や日本に伝わり、日本では空手になったという。訓練には4段階あり、①準備運動、②棒を使った形、③剣を使った形、④素手の形の訓練だという。なお、剣は本物を使うという。
 15人ほどのいろんな年齢の男女(女性は5人で皆10代だった)が、オレンジ色のまわしのようなものを身につけ、まず道場内の「神棚」に次々とお祈りをしていく。それからおもむろに、先の4段階に従い、様々な形を披露してくれる。なるほど、空手やある種の棒術・剣道などに近い気がする。(それらのものに通じていないので、正確なところはなんともいえないが。)男女・年齢など関係ないペアで次々と立会いが繰り広げられていく。道場が小さいのと、我々との距離も近いので、かなりの迫力。ただし、演者によって巧拙にかなり差があった。


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 もちろん、我々はこぞって写真をたくさん撮るわけだが、面白かったのは、演者の女性の一人が折を見ては我々を写真に収めていたこと。「写真」的視線は、往々にして視線を放つ主体を現場の環境から隔離し特権的な第三者的空間に置いた上で、現場から選択した事物・人物を「対象」として再構成する光学的視線であるがゆえに、次に述べる「観光」的空間にまさに適合的な視線だが、その「写真」的・「観光」的視線を、「対象」であるはずの者がさらに「対象」化していく。視線同士の「立会い」だったのかもしれない。


〈3月7日〉
 今日はまた、移動日。11時ごろスパイス・ヴィレッジを出発。バスで次の目的地、KumarakomにあるCoconut Lagoonというホテルに向かう。
 それにしても、クーラーが効きすぎるくらい効いている貸切バスでインドの村々を通り抜けていくのは複雑な気持ちだ。窓の外の、埃まみれで蒸し暑い街路に佇む人たちから隔絶された空間内で呼吸しながら、彼らを見下ろす。この、インドだろうがどこだろうが同質のニュートラルで守られた「観光的」空間。そこに棲まいながら、透明な壁越しに、観光的"対象"を生成していく。ユーラシアを旅したときは、(場所は違えど)向こうの人々と同じ空気を吸い、同じ埃と暑さにまみれながら、移動していた。このどうしようもない居心地の悪さ。しかし、同時に、この空間が身体的には「心地よい」と感じる自分もいる。
 Kumarakomに午後4時ごろ到着。船に乗り換え、ホテルに向かう。ここは、巨大な潟湖Vembanadu Lakeの周りに水路が張り巡らされている地域で、ホテルは船でしかアクセスできない小島にある。ホテルに到着。バンガロー形式のいわゆる高級リゾートホテル。スパイス・ヴィレッジと同系列らしい。こちらも、貸切バス同様「心地よい」が、インドだろうがどこだろうが同質のニュートラルで守られた「観光的」空間。なので、特に語ることなし。


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〈3月8日〉
 この隔離されたすぐれて「観光的」な空間で、一日を過ごす。午後2時間ほど、潟湖と水路を船で巡る。ここでも「観光」的「写真」的視線は、いたって幅を利かせていて、水路際に住む「住民」たちの生活模様がまさに被写体となるように遊覧が繰り広げられていく。住民たちにとっては、自分たちの家の玄関先に外国人観光客をたくさん乗せた船が突然やってきて、自分たちを物珍しい生き物であるかのように写真に収めていく様はどう映るのだろう。迷惑?屈辱?楽しみ?写真を撮っている者たちが、自分の国に帰り、自分の家で日常生活を送っている様を、インド人観光客に写真に収められたら、どういう気分がするのだろう。
 途中、その観光的被写体の一つ、鄙びた売店に立ち寄る。そこで、ココナッツジュースなどを飲む。「被写体」だった人たちを「被写体」のまま写真を撮り続けようとする人たち、言葉が通じないながらも何とかコミュニケーションのきっかけを作ろうとする人たち。私は、どちらにも組せぬまま、時間だけが過ぎていった。
 休憩が終わり、船に再度乗り込み、出発すると、水路際を船を追いかけてくる少女たちがいる。我々にしきりに手を振りながら、どこまでもどこまでも駆けてくる。それほどまでに人懐っこいのかと感心していると、土手が途切れるところで突然全員が叫び始めた。「ペン!ペン!ペン!...」と。ペンをくれ、ということらしい。船の中でペンを持っていた数人が拠出し、土手の子供たちまで放り投げる。それを取り合う子供たち。何か、世界経済の縮図の一つを見た気がした。

〈3月9日〉
 今日も一日中、「観光」的空間内に閉じ込められての休息。今回の旅の実質的な最終日。仕方ないので、プールで泳いだり、日光浴したり。特に語ることなし。
 夜9時ごろ、ホテルを出発。車で1時間ほどのCochinの空港に向かう。翌朝5時出発の飛行機で帰途に着く。



[地球日誌] vol.07 インド旅行記(6)

2009.05.25


〈3月4日〉
 今日は、大移動の日。8時間バスに乗り続け、次の目的地ケラーラ州Tekkadyに到着。今回は、珍しく予定より15分程度早く着く。高原にある、アユルヴェーダで有名な観光地らしい。そこの高級リゾートホテルSpice Villageに今日から三泊。
 生まれて初めてアユルヴェーダ・マッサージを受ける。20種類程度の処方があるが、とりあえず全身を満遍なくオイルでマッサージする処方を選ぶ。1200ルピー=3000円程度でフランスや日本に比べると格段に安い(もちろん、インドの人には格段に高い)。陰部だけを辛うじて隠す簡易な褌のようなものを巻かれ、まず椅子に腰掛けて頭・顔のマッサージ。マッサージ師が男性だからだろうか、予想より力が強い。でも、オイルと力が体の内部に沁み込んでいくようで気持ちいい。次にベッドにうつ伏せになり、体の背面のマッサージ。部分と全体を複雑に絡ませながら、揉みしだいていく。緊張が徐々に解け、為すがままに任せる。でも、かなりの力が全身を絶えず移動していくので、まどろむにはいたらない。次に仰向けになり、前面のマッサージ。マッサージが一通り終わったところで、別室に移り、シャワーというか行水。体全体の油を適度に流し落とす。ただし、すべてマッサージ師がやってくれる。気恥ずかしいが仕方ない。他人に体全体を洗われるのは、おそらく子供のとき以来だろう。
 体と心の"垢"が取れたように、爽快。ただし、かなり体力を消耗するようで、夕食後は全身がだるくなり、早々に寝に向かう。


〈3月5日〉
 7時半から1時間ほど、希望者参加でソフトなヨガ。久しぶりのヨガで気持ちいい。このツアー、もう少しヨガや瞑想の機会が多いと思いきや、移動が多いせいか、この程度だ。
 9時半集合で、バスで30分ほどのスパイス・プランテーションの見学。コショウ、カルダモン、シナモン、クローブなど、インドの代表的なスパイスをビオで栽培している。白・黒・赤・緑コショウがすべて元は同じコショウで、加工の仕方や採取時期によって色が変わるのは初めて知った。たとえば、白・黒の違いは、ワインのようにコショウの実の皮を残すか(黒)取り去るか(白)の違いであった。白米と玄米のように、従って黒の方が栄養価が豊富とか。カルダモンの実と花も初めて見た。このケラーラ州が世界でも最大の生産量を誇るという。ライバルは、グアテマラとか。タピオカの木も初めて見た。根のでんぷん質を食用に使う。バニラも栽培しているが、インドではごく最近15年前から始めたとのこと。そのせいで、自然界に受粉してくれる虫がいないので、手作業ですべて受粉するとのこと。


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 午後3時半から、またアユルヴェーダ・マッサージ。今度は、昨日の全身マッサージに加え、様々なハーブが入った袋状のものを熱いオイルに浸しながら全身を揉んでいくPathraswedamという処方。坐骨神経痛や腰痛に特に効果があるという。はたして、どれくらい効いているのだろうか? いずれにしても、またもや全身が爽快であるとともにだるい。


[地球日誌] vol.07 インド旅行記(5)

2009.05.05

〈3月2日〉
 今日は、基本的に一日自由行動の日。8時半まで寝て、朝食後、洗濯。久しぶりにこの旅行記を本格的に書く。昼食は、Sri Aurovindoアシュラムの食堂で。民衆に安価で食事を提供しているようだ。
 部屋に戻り、再び日記。
 夕方、演奏会があるというので、向かう。Pondicheryでアテンドしてくれている初老のインド人のお宅のようだ。ドイツ人の若者が(インドのだろうか)木製のフルートのような横笛を奏するとともに、そのインド人男性が歌を唸り始める。二曲目からは、若者だけが演奏。久しぶりの生の楽器の音が体と心に沁みる。三曲目はアルメニアの縦笛。割れたような音。四曲目からは、ヴィオラを取り出し、サン=サーンス、ブラームス。ヴィオラの弦が心を奏でる。最後にアヴェマリア。ペーソスが体中に沁みわたり、思わず涙腺が緩みそうになる。
 夕食は、宿に戻り、ビュッフェ形式。フランス人のおしゃべりに付き合う。

〈3月3日〉
 朝食後、Pondicheryを出発。バスで次の目的地Thanjavurに向かうが、出発が例のごとく遅れたりで、予定より2時間遅い、6時ごろに着く。ホテルにチェックイン。いわゆるトゥーリスト用の特徴はないが豪華なホテル。今晩は、初めてアテンドに駆けつけたインド人男性(明日からの滞在先Spice Villageのスパのマネージャーだという)と相部屋。
 チェックイン早々、ブリハディーシュワラの寺院群に向かう。ユネスコの世界遺産にも登録されているこの寺院は、11世紀初頭にチョ-ラ朝中興の王ラ-ジャラ-ジャ 1世によって建てられたドラビダ様式の代表的建築。例のように、入り口で靴を脱ぐが、広大な境内が屋外ということもあって、裸足で歩くにしては床が汚い。あまり綿密に掃除してある感じではない。インド人にとっての「聖」とは必ずしも「清」を意味していないのだろうか。それにしても、唖然とする建築、そして彫像群だ。ピラミッド型の屋根に夥しい数の神々たちが様々な姿態をくねらせ絡まっている。聖性と官能の見事な和合。さらに唖然とするのは、その内部だ。まるで人間存在の"胎内"に入り込むがごとく、生ぬるく噎せるような濃密な空気のなか、積年のバターと香で不気味に黒光りしている彫像たちに見守られつつ、奥へ奥へと進む。なんと、最深部には、巨大な真っ黒いリンガムが花輪を幾重にもかけられ、しかも背後から五匹の巨大なコブラの雁首で包まれ、そそり立っているではないか。その、最も秘めたる核心にあるにも関わらず、あまりのあからさまな存在感に、開いた口が塞がらない。呆然とただみつめる。何か、人間が一番触れてはいけないものを、あからさまに突きつけられたかのよう。

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 広大な境内を取り囲む回廊にはやはり様々な大きさ形の黒光りするリンガムが多様な壁画を背景に何十本と立ち並んでいる。圧巻だ。夕暮れに、燕などの無数の鳥が飛び交う中、寺院群が荘厳に佇む。1000年前から変わらぬ光景なのだろう。

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[地球日誌] vol.07 インド旅行記(4)

2009.04.24


〈2月28日〉
 スリ・オロビンドSri Aurobindo――インド独立に大いなる貢献をした政治活動家であると同時に、その後は西洋的教養に裏打ちされたヨガの探究を通して「超精神的なもの」を限りなく追い求めたインドの「英雄」。彼の精神的遺産を受け継いだ精神的パートナー、ザ・マザーThe Motherが1968年に創設したオロヴィルAuroville。「オロヴィルの目的は、人類の多様性の中に統一を実現することである。今日、オロヴィルは、最初にして現在も進行中の、人類の統一と高次の意識の実現を目指す、国際的にも支持された実験である。それはまた、持続可能な生活と、人類がこれから文化・環境・社会・精神的に必要とするものを探究し実験する共同体である。」(オロヴィルのサイトから)
 朝5時ごろ、2時間の仮眠だけで朦朧とした頭と体のまま、車でオロヴィルに向かう。セレモニーの会場もやはり薄霧に包まれ朦朧としたなか、扁平なアンフィシアターに光の導線が灯る。中央には、仄白く丸みを帯びた小さな塔の如きものが浮かび上がり、背後の彼方にはMatrimandirという瞑想用の巨大な球状の建築が朧に滲む。中央の舞台に、火が燈され、セレモニーが始まる。生前のオロビンド(かマザーか判然としなかったが)の人類ための祈りの声が重々しく夜空に響き渡り、「ニューエイジ」を髣髴とさせる電子音楽が鳴り響く。まどろみから覚醒へと絶えず往き来しつつ、茫漠とした空間・宇宙に向けて瞑想する。まどろんでは目覚める意識の中、暁闇が徐々に薄らぐとともに、Matrimandirが威容を現す。夜が静謐に明けていくなか、いつのまにか儀式は終わっている。

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 ホテルに戻って休息と思いきや、オロヴィルのカフェテリアで朝食となる。オロヴィルの概要を展示するミュージアムを見学したり、コミュニティ内で製作された様々なグッズを売るショップで買い物をしたりしていると、いつの間にか昼時に。宿に戻り、昼食。午後はさすがに休息。部屋で洗濯をしたり、仮眠を取ったりする。夕方、今回の旅で初めて(!)単独行動。町の散策に向かう。海岸のプロムナードからベンガル湾を臨む。また、人生で初めての海。多くの露店が出ているので、覘いていると、修学旅行中らしい制服姿の中学生(?)の女の子に英語ではにかみながら「日本の方ですか?」と話しかけられる。衛星放送で見ているNHKの番組が好きだという。一緒に写真に収まってくれと頼まれ、快諾する。こちらも、彼女らの写真を撮らせてもらう。

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 インドにしては、街路が「きれい」だ。今まで通った街路は、「掃除」というものを(雨季のスコール以外)全く知らず、何年何十年と放置されたゴミ、汚水などが蟠っていたが、ここポンディシェリは(少なくとも中心街に限れば)、掃除の"痕跡"が感じられ、ゴミが異様に少ない。(といっても、パリの最も汚い界隈程度だが。)これも、フランス統治の遺産だろうか?
 町を散策しながら(いまだにフランス人住人・観光客が多そうな町なので)ビールを飲めそうなカフェを探すが、見つからない。ビールどころか、ゆっくりチャイを飲めそうなカフェも見つからない。自宅以外で、喫茶を嗜むという習慣がないのだろうか。仕方なく、諦める。

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 散歩の途中、偶然、象に出くわす。象の神を祀る寺院の入り口につながれているのだ。参拝に来た者や観光客たちが鼻を触っていく。寺院の入り口は、今まで見たジャイナ教の寺院の外壁――バロック的ながらもモノトーンに近いものが多かった――と違い、俗な極彩色の神々=彫像たちで覆われている。中に入ってみる。慌てて気づき靴を脱ぐ。象の神を拝むために、行列ができている。聖と俗が渾然とし民衆の信仰心が濃縮された空気の濃密さにむせる。靴を手に持っていたことを係の人から注意され、慌てて外に出る。

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 さらに散策を続けていると、今度は生きた象こそ繋がれていないが、同様に象の神を祀っている寺院に出くわす。今度は、入り口できちんと靴を脱ぎ、境内に入る。先ほどの寺院と違い、雨ざらしの境内だ。床が汚い。聖なる空間でありながら、きちんと掃除がされている形跡がない。先ほどの寺院は人で溢れていたが、こちらは数える程度しかいない。しかし、神の象が祀られている祠は先ほどよりもさらに濃密だ。やはり極彩色の祠の前に、何やら象の鼻とも横倒しになったリンガムともとれる物体が怪しく黒光りしている。長年バターでもかけられ続けたのだろうか?とにかく、あまりに濃厚な怪しさと聖なる俗っぽさと足元の汚さに、悪酔いしそうになりつつ、外に出る。

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 夕食は、レストランで。クレープ状のナンが美味しい。人気のあるレストランらしく、客が行列を作っている。しかし、うるさく、皆の話すこともよく聞こえず、疲れる。



〈3月1日〉
 今日は、自分にとって今回の旅のメインの一つであるMatrimandirでの瞑想である。朝8時半に車(エアコン付き!)が迎えに来て、現地に向かう。オロヴィルの入り口で電気自動車に乗り換え、Matrimandirの受付に。初めて訪れる者は、まず15分程度のオリエンテーションを聴き、その後15分の瞑想をするという。事前に30分から1時間は瞑想できると聞いていたので、皆やや落胆する。応対のされ方が、何やらトゥーリズム的で気になる。
 Matrimandirは、ザ・マザーが1970年に啓示を受け、そのヴィジョンに従って、フランス人の建築家が設計した、いまだに工事が継続中の建築物である。直径36メートルの球状の建物の中に、「内なる部屋」La Chambre Intérieureと呼ばれる巨大な瞑想ルームがあり、それを取り囲むように12の瞑想ルームが配されている。外壁は、何枚もの金色の凹方の円盤が覆い、「内なる部屋」は、天井から太陽の光が垂直に床中央に置かれた巨大な水晶玉に射し込むようにできている。外で靴を脱ぎ、内部に入る。全員白い靴下を履き、ズボンの裾をたくし上げるように指示される。靴下は何となく理解できるものの、なぜズボンの裾をたくし上げるのかわからぬまま、廊下を進む。「内なる部屋」に着く。天井から自然光が文字通り垂直に巨大な水晶玉を射ている。それが、唯一の光源だ。部屋中純白。12本の柱。白い絨毯の上に、白い座布団がいくつも置かれている。合点がいく。この「純白」を汚さないために、靴下を履き、ズボンの裾をたくし上げたのだと。完璧に空調され純白の豪奢が満ちる絶対的な空間。射し込む太陽光以外、外部からは完全に遮断される。瞑想の時間に入るが、なぜか心が落ち着かない。落ち着かないどころか、にわかに怒りさえ覚える。これは、この純白の豪奢は、"大いなる欺瞞"なのではないか? 瞑想するのに、精神的な探究をするのに、これほどの豪奢、しかも完全に人工的に外界から遮断された空間が必要なのだろうか? どこまでも蒸し暑く埃っぽく、ありとあらゆるゴミと腐臭と貧困が澱む庶民の生活から自らを完璧に遊離させ、足の裏やズボンの裾の汚れまで許さぬ絶対的に純粋な小宇宙。しかもこの巨大な空間を空調するのに(しかもこのインドで!)どれだけのエネルギーを消費しているのかと思うと(そのうち自然エネルギーに転換するらしいが、今までのところは通常の電気会社の電気を使用しているという)、こんな場所で心静かに瞑想すること自体が馬鹿馬鹿しくなる。あまりに馬鹿馬鹿しいので、目を開けたまま、人々の様子を観察していると、なんと、白大理石の柱に頭をつけて瞑想している人がいると、係の人がわざわざ柱と頭の間に小さいクッションを差し挟んでいるではないか。もちろん、純白の柱を髪の汚れで汚さないためである! 
 15分後、機械的に照明が(!)点き、瞑想時間終了となる。あまりの馬鹿馬鹿しさと怒りに自分でも唖然としながら、「内なる部屋」を出る。ついに、「精神」的探究も「トゥーリズム」と化してしまったのか。少なくとも、オロビンドの著作を読んだ限り、彼がこんな精神世界の「観光」とは無縁な思想をもっていたことは明らかである。それどころか、もし彼が生きていたならば、こんな外界=社会の現実から人工的に遮断した物理的豪奢など絶対に受け入れがたかっただろう。ザ・マザーは、少なくともこのMatrimandirの構想を抱いた晩年、狂気に取り付かれたのだろうか? それとも、精神的共同体は、必然的に、巨大化し信奉者を集めるほど、その「カリスマ」力は中心的人物の精神を狂わせ、こうした豪奢なる欺瞞を実現させるようになるのか?
 帰りの車の中、何人かとMatrimandirの感想を交わす。皆、この「純粋な精神空間」に感銘を受けたようだ。にわかに、彼女らの「精神世界」に対して、疑惑が沸いてくる。彼女らの「精神世界」も欺瞞にすぎないのか? それとも、Matrimandirの欺瞞の力は、感銘を与えるほどに強力なのか? 私は、率直に自分の思いを彼女らに伝える。「そういった見方もあるわね」とか「なかなか面白い観点ね」とか言われながら、おそらく彼女らに"不可解"だけを残したまま、会話が終了する。
 宿に戻って、昼食。午後は、Pondicheryのリセで歴史を教えているというフランス人男性の案内で、植民地時代の面影を残す建物をめぐる。その男性の説明による限り、そして実際に建築物の遺産を見る限り、少なくともここPondicheryを植民したフランス人たちは、自分たちの政治的・経済的・文化的小宇宙を辛うじて形成しはしたが、周りの広大なインド世界までを(イギリス人のようには)牛耳ろうという欲望を抱かなかったようだ。
 ガイドが終わり、その流れで、近くの豪華そうなホテルの中庭にあるレストランで(ついに!)ビールを飲むことになる。喉が渇ききっていたこともあり、1週間ぶりのビールが喉に沁みる。
 夕食は、違うレストランで。こちらも久しぶりに肉(鶏のカレー)を食べる。あまり美味しくない。赤・白ワインも飲む。さすがフランス人、なんやかんや言いながら、大方が飲んでいる。

[地球日誌] vol.07 インド旅行記(3)

2009.04.21


〈2月26日〉
 富豪=実業家の邸宅の訪問。92歳の、しかし矍鑠とし70代くらいにしか見えないおばあさんとその嫁によって迎えられる。おばあさん、いまだにインドでも有数の企業グループの会長さんとのこと。まさに「お金持ち」を絵に描いたような邸宅。湖を望む庭に面した居間と食堂。ふと、祖父がある証券会社の創設者という友人の家を思い出す。お金のかかっているであろう調度類、隅々まで神経の行き届いたゆとりある空間、さりげなくしかし心を配りながら行き交う使用人たち。昼食は、ビュッフェ形式だが、これまでインドで食べた中でもちろん最も洗練された料理。すべてが、ある「レベル」以上の繊細な味付けに仕上がっている。ムンバイ郊外に広がっていたスラム街との落差がよぎる。
 富豪のおばあさんが語るには、450ヘクタールの土地に36万本の木を植えた環境の中で、5000人の従業員が暮らし働いているとのこと。フィランソロピーにも熱心で、様々な社会活動、文化財保護、教育などに資財を投入しているらしい。
 それにしても、このおばあさんを含め、インドでは(少なくとも出会った裕福な人たちのなかに)年齢のわりに若く見える人が多い。ヨガや瞑想の日常的実践のおかげか、ヴェジェタリアンの食生活のおかげか。でも、逆に、ヨガやヴェジェタリアンのわりには、男女ともにお腹の出ている人が多い。謎だ。

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 Nargolという村にあるKiranの家を訪れる。
 歩いてすぐに海がある。さっそく海水着に着替えて、海に向かう。アラビア海で、今度は泳ぐ。水がぬるい。場所によっては温かすぎるほど。水は、黒っぽい細かい砂にまみれ、濁っている。視界はゼロに近い。それにしても、インド(少なくともこの地方)では、水が濁っている。見る川、見る海、濁っている。水は透明なものという先入観がある者には、不可解だ。川はもちろん様々な汚染で濁っていることもあろうが、理由はそれだけでないだろう。土の質?流れの遅さ?そう、インドでは、水が流れない。水が滞留し、澱み、場合によっては腐っている。その澱んだ水が、様々なゴミや排泄物から発生する微生物と野合し、多様な腐敗臭を醸しだす。
 海から上がり、村の見学に向かう。この村は、Parsi、つまり8世紀にインドに渡ってきたペルシャ人たちが作った村だという。今も、その子孫たちが暮らしていて、彼らの寺院もある。Kiranのお父さんが初めて作ったという学校に向かう。今日は休みらしく、中は見学できない。校庭に面して、Kiran が生まれ育った家が残っている。Kiranも懐かしそうに眺めている。
 村の市場に向かう。市場といっても、それらしき広場の地面に、女性たちが思い思いに座り込み、店開きしているだけだ。見たことのない果物や野菜がある中、苦瓜やオクラもある。魚や海老、生きた雛鳥まで売っている。どうやら、ヴェジェタリアン以外の人たちもいるようだ。皆で夕食用に買い物をする。

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 今度は、Kiran自身が創設したインターナショナル・スクールの見学に行く。寮、食堂、牛小屋などを見る。Kiranは物心がついてからすぐに後述するSri Aurovindoが作った精神的共同体Aurovilleに行き、そこで教育を受けたとのこと。彼への崇敬と感謝をこめ、敷地内に彼の聖遺物が眠る廟を作った。その周りで、しばし皆、祈りを捧げる。同道しているKirtijiが祈りの歌を唱える中、辺りに宵闇が立ち込めていく。

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 Kiranの家に戻り、夕食。結局時間が遅くなったので、市場で買ったものは調理せず、すでに使用人たちが用意しておいてくれたものだけを食べる。
 2時間ほど文字通りバスに揺られ、深夜Ashramに戻る。


〈2月27日〉
 今日は、大移動の日。Tithalからムンバイ空港までバスで約4時間、インド東岸のチェンナイ(旧名マドラス)まで飛行機で1時間半。Pondichery近郊のAurovilleまでバスで約3時間の行程である。午前10時半ごろAshramを出発し、結局到着したのは、夜中の1時過ぎ。皆、消耗しきる。暑さと移動時間が長いせいもあるが、かなりの部分、路面が悪く非常に揺れるのと、運転がとにかく「極限状況」に近い運転のせいもあるだろう。
 ユーラシア横断の旅でも様々な国の運転を経験したが、この国の「極限状況」は、牛・犬・象といった動物から高性能の車までが作り出す移動のカオスの中を、どのように事故を起こさず、しかも最大限の自己主張をしながら泳ぎきっていくかにあるだろう。当然のことながら、それは動物や歩行者を捻じ伏せ、他の車たちと鍔迫り合いをし、事故を起こさないぎりぎりのタイミングで追い越す"技術"に裏打ちされている。日本人から見て唖然とするほど荒っぽくエゴイスティックな運転をするパリジャンたちが見ても唖然とするどころか、あまりに危機一髪的状況が多いので、しまいには呆れて拍手喝采まで起きてしまうほどの技術である。実際、インドは車による死亡事故が世界で一番多い国だそうだが、それにしても、我々の運転手の「極限状況」の作り方は、"芸術的"ですらある。まさに一刻一刻に生死を賭けているのが伝わってくるほどの"芸術"である。日本で運転している限り、個人的にも職業としても運転は「退屈なもの」という印象が強いが、そんな弛緩しきった運転とは無縁な強度の高さを持つ運転である。脱帽。
 どうにか事故にあわず、しかしそれなりにへとへとになりながら、Pondicheryに着く。1672年から1954年まで主にフランスの植民地貿易の拠点であったこの町は、さすがにいまだにその時代の建築が残っていたり、そして何よりもカトリック教会があったり辻辻にマリア像が祀られていたりして、往時の趣きを十分に残している様子が、深夜の暗闇を通してもよくわかる。宿泊先のゲストハウスの入り口でしばし滞留していると、傍らの薄暗がりの歩道でなぜか家の外壁に面と向かい何事かをぼそぼそと呟いている老婆がいる。祈りを捧げているのか、精神に異常を来たしているのか、何やらわからないが、周りに持ち物らしきものが散在していることから、そこがどうやら彼女の「住まい」らしい。
 ヨーロッパや日本でももちろん路上生活者はいるが、それらの地域ではそうでない者、つまり家に暮らしている大多数の者との間に、截然とした境界線があるのに対し、ここインドではそれがないのだ。つまり、家らしきもので辛うじて暮らしているスラム街や貧農たちから文字通りなし崩し的にこの老婆のような人たちまでが存在しているのみならず、これらの「路上生活者」たちと、やはり路上で暮らしている犬などの動物たちとの間にも差異がないのだ。つまり、犬たちが路上で当然のように暮らしているのとまったく同じ位相で、これらの「人間」たちも暮らしているのだ。だから、そこには不思議と、路上で当たり前に暮らす犬たちに特別憐れみを覚えないのと同じように、彼らにも憐れみを覚えない。
 ゲストハウスでは、またもや「一人部屋」の特権を与えられ、皆の嫉妬の的になる。一人では広すぎるほどの部屋だ。調度も、凝っている。夜明け前からAurovilleで行われるセレモニーを見学するため、2時間程度の仮眠だけとなる。

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