【Social kitchen】Working Group 1「震災/原発」

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This article was written on 17 4月 2012, and is filled under Onagawa Curry & Film.

Onagawa Curry & Film <vol.5>
コバルトーレ女川

東日本大震災から1年。
M9・0の震源地に最も近いサッカークラブが、苦難を乗り越え再始動した。
宮城県牡鹿郡女川町を本拠地とする『コバルトーレ女川』。1年間の活動休止を経て4月に開幕する東北社会人リーグ2部に参戦する。壊滅的な被害を受けた町と共に歩んだ復活への道のりで、クラブと町は地域密着という言葉以上の共同体となった。
今なお震災の爪痕に翻弄されながら、町民の夢となったJリーグ入りに向け、再び歩み出す。

 

 

3・11――。小さな町のクラブもまた、生と死のはざまで揺れた。
DF兼ユース監督の桧垣篤典(28)は港近くのクラブ事務所で被災。「早く逃げろ!」というタクシー運転手の怒声で一命を取り留めた。
数日後に戻った事務所の敷地には、隣にあった3階建てのビルが横倒しになっていた。
選手寮も津波を被り、練習道具を含むほとんどの私物をさらわれた。
創設時からのメーンスポンサーでもある蒲鉾(かまぼこ)製造会社「高政」で勤務中だったFW中島礼司(32)ら10人は、近くの小学校に避難。
そして蒲鉾の製造・配布や給水、避難所の子供や老人の世話など、あらゆる救援活動に身を投じた。

 

1カ月後、手書きの壁新聞を発行したことで知られる石巻日日新聞の社長でもある近江弘一社長兼GM(53)は、選手・スタッフを「高政」の会議室に集めた。
まず、トップチームの活動休止とリーグ戦不参加を正式に通告。そのうえで「来年はやる。準備は進めていく」と約束した。
13人の選手には、3つの選択肢を提示。町を出てサッカーを続ける道、プレー環境のない町に残る道、そして、普及・育成活動を中心としたクラブ運営をする道だった。
サッカーをするために県外から集った選手たちだけに、バラバラになることは覚悟していた。
迷わずクラブ運営を選択した桧垣と石巻市出身の阿部裕二監督(40)のほか、6人ががれきの町で生きることを決めた。
中島ら3人は熟考の末に県外でのプレーを決めたが、「1年後にクラブの力になる」と帰還を誓った。

 

 

奇跡的にクラブ内の人的被害はなかったが、サポーターや職場の仲間、友人など、選手たちは多くの身近な人々を失っていた。
「正直もうサッカーを中心には考えられない。もうやめよう。やめて地元に帰ろう」。そう考えていたFW井田大地(22)を踏み留まらせたのは、1カ月間共に生き延びた町民の姿だった。わずかな食料を分け合い、給水活動では水を運べない老人の家を一軒一軒訪ねて回る人々。
「本当に団結力があった。人は支え合って生きている。そう感じられたことは大きい」と、女川で生きる意味を見出した。
そして、町民からの「まだ練習やんねえのか?」という何げない問い掛けに心が震えた。
「まだ自分をサッカー選手として見てくれている。応援してくれる人がいる」。
近江社長の言葉を信じ、救援活動の空き時間を見つけては公園でボールをけった。

 

震災後、クラブと地域の関係は、より強く深い共同体へと変化した。中島、GK泉田圭太(25)、MF成田星矢(25)の3人は地元の女性と結婚。
「地域を元気にするには、子供が元気でないと」という近江社長の考えから、檜垣らは保育所や小学校を巡回して無料のサッカー教室を開催した。
8月には普及・育成の拠点となる人工芝の練習場を整備。
そして9月、ようやく週1回ながらもトップチームの練習が再開した。
10月には自衛隊の宿営地となっていた本拠地の女川陸上競技場で復興祈念試合を開催し、チームの復活を強く印象づけた。

 

 

しかし今年1月、新たな問題が起こった。
町が、高台にある女川陸上競技場を住宅地の移転先とする復興計画を決定。
5年間親しんだホームスタジアムは、5月以降に取り壊されることとなった。約1メートルの地盤沈下によりピッチが大きく傾斜し、大規模な改修が必要となったことが理由だった。
「冷静に受け止めるしかない。今まで当たり前だったことは当たり前じゃないと、たくさん身に染みて実感してきた」。
中島は5年間慣れ親しんだピッチを眺めながらそう語った。
ただ、阿部監督は開幕から6試合連続でホームゲームを開催する変則日程を連盟に提案。
「スタジアムがなくなる前に、1試合でも多く女川町の人々に試合を見てもらいたい」という思いは受け入れられた。

 

 

2012年4月22日。約1年半ぶりの、そして残りわずかとなった女川での公式戦が始まる。
故郷・埼玉のチームから復帰し、現在は仮設住宅に暮らすMF滝沢陽介(25)は、選手全員の思いを代弁した。
「僕たちは被災したこの町で、もう一度子どもたちの夢になれる存在になりたい。そのためにはチームにしっかりとした夢がなかったら意味がない。開幕戦は、支えてくれた町の人たち、チームを守ってくれたスタッフ、全国からの支援への感謝の気持ちを伝える場所にしたい」

 

女川カレー&フィルム プロジェクトとは

もし自分の故郷が壊れてしまったら、あなたは何を思い、どう生きますか?

Social Kitchen Working Groupが9月に行ったイベント「カレー支援の夜」。
そこで取り上げた「女川カレー」は、東日本大震災により壊滅的被害を受けた宮城県女川町の炊き出しから生まれ、新たな特産品として、同町の雇用を創出するという希望を込められた商品でした。

その後もSKWGは「女川カレープロジェクト」を進める鎌倉のNPO「地球の子22」と連携・協力した活動を展開。そして、女川カレーのCM制作を提案したことから始まったサイドプロジェクトが、この「Onagawa Curry & Film Project」です。

この映像プロジェクトは、女川カレーの紹介や宣伝ではありません。
カレーが縁で知り合った女川町には、日々を全力で、前向きに生きる人々がたくさんいます。彼らへのインタビューを通じ、それぞれの震災復興、そして故郷への思いを紹介します。

ふるさとのために生きる人々の声、そこに何かを感じてもらえれば幸いです。

女川カレー&フィルムの一覧はこちらから

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