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須川 咲子/Sakiko Sugawa

「hanare」の運営メンバー。“hanare x Social Kitchen Translation” という翻訳事業のディレクションをしながら、世界各地で政治問題を扱うプロジェクトを実施している。毎日の暮らしの中で見たこと、考えたこと等をアップしていきます。

Sakiko Sugawa is a founding member of "hanare." Sakiko runs “hanare x Social Kitchen Translation” as a director while initiating a number of politically charged projects around the world. This diary records her everyday life.

[Note] 静かな音楽、弱い音/Quiet Music and Weak Sound

2015.10.27

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以前からhanareに連絡をくれていたサウンドアーティストのヨハンのワークショップを見に行ってきました。彼はサウンドアーティスト/プログラマーで、今回のWSは、身の回りの小さな音を収集するキット(マイクとアンプと出力イヤホンのセット)を自分で作り、それを持って外に出て、普段は気がつかない音や、大きな音にかき消されて聞こえない音の収集にいくというのがテーマでした。近い将来、SKでもこのワークショップを日本の研究者やサウンドアーティスト達と一緒にできないかを探っているので、それもあって見学してきました。


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彼のワークショップに参加して思い出したのが、hanareメンバーの久美さんが話してた「SKを静かな音、弱い音のための場所にしたい」という言葉。確か、台湾のアート雑誌がhanareの取り組みを取材してくれた時に彼女の口から出てきました。久美さんは実験音楽家で、SKでも「静かな音楽を聴く会」を主催しています。「調和がとれて派手で。人気のある音楽」ではないものが存在してもいい、そういう音を大切にできるような場所にしたい、そんな趣旨での発言だったと思います。その時以来、この言葉がよく脳裏に浮かんできます。
 
例えば、弱い音というのはどういう音なのか。軽んじられた音、端に追いやられそうな音、もしくは有用性(経済性)がない、美しくないと判断された音なのか。それとも、静かで、弱くあることを自ら選び取った音なのか。それを拾う、大切にするとはどういうことなのか?拾って、音量を上げ、より多くの人に聞いてもらうことなのか、それともその音を小さい音のまま、少ない人数であっても耳を澄まし続けるのがいいのか。もしくは、誰にでもアクセス可能な、音の聞こえる装置を整備することなのだろうか。
 
「静かな音楽、弱い音」という言葉は、音や音楽という文脈でリテラルに考えることもできるし、自分達(hanare)のあり方を考えるヒントにもなってます。
 

[Note] hanare in Bulgaria!

2015.10.23

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ブルガリア第二の都市、Plovdivで開催されていたOne Architecture Week という建築とアーバニズムのフェスティバルに呼ばれ、「On Common(s) and Commoning」 というテーマのトークで、hanareのプレゼンテーションをしてきました。参加してきたのは、hanareメンンバー(久美さん、現在アーティストのアシスタントとしてプラハで働いている真琴、それから須川)の3人。上記のテーマに絡め、これまでのhanareの活動と今後の方向性について話して欲しいという要望が事前にありました。

言語の関係で私がプレゼンをしたので、どうしても私目線の話(政治とか社会運動寄り)になってます(hanareは構成メンバーが多様なので、話は話者が変われば全然違う話になります、ほんとに)。
 

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少し話は寄り道して、現在のhanareのメンバーの職業や年齢、興味関心は本当にバラバラで、世界中どこに行っても「そのバラバラ感すごい!」と感嘆されます。今回のブルガリも然り。お魚屋さんで舞踏家のマツキヨさん、現代音楽家で今やこの人なくしてhanareを語れない久美さん、プラハ在住で大学卒業一年目とは思えない安定感のあるまこっちゃん、そして男子から絶大な人気を誇る山崎氏とデザイナーのしかちゃん、そして何をやっているかわからないと言われる私。ただそれを良しとしているというか、だからこそhanareが好きという点と根本的な考えは、みんなの中で揺らがないところだと、最近改めて感じています。

プレゼンの話に戻り、ひとまず喫茶はなれから始まり、SKに移行したこと、それぞれの段階で目指していたこと、やってきたプロジェクトやイベント、その後の経済危機から今の運営体制をざっくり振り返りました。幾つかのポイントとして挙げたのは、言語活動と生産活動の限界、それからPre-figurativeなやり方の限界というキーワード。その中でもPre-figurativeなやり方の限界を主に話しました。

喫茶はなれとSKを始めた理由はメンバーそれぞれ沢山あります。その中でも2005年〜2010年くらいに私が個人的に考えていたのは、間接民主主義の政治の仕組の中では、1年に1 回程度の投票活動ぐらいしか期待されておらず、自分達の社会性や政治性を日常的に発揮できないもどかしさがある。より直接的な民主主義を組み込んだ「新しい社会」の登場を待つ、すなわち政治のあり方を地域、国単位で作っていくのは途方もない時間がかかりそう。ならば、「いま、ここに」に自分達の理想とする場所や仕組みや人間関係を、既存の社会と格闘しながらも作ってみる。いわゆる国会や地方議会等の大文字の政治から脱出していくベクトルで考えていたわけです。今から考えると、そう考えることができたのは、中央での政治が今程酷くなかったから、一応、ベースとなる最低限の民主的な仕組みは残っていた。だから、そこからある意味脱却しながら、足りないところを補完していくと考えることも可能だった。

 

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だけど、福島以降の政治を見ていると、特にここ数年、SKで行われるような活動がベースとする「最低限」の民主的な仕組みそのものが壊されている。原発の再稼働、秘密保護法や戦争法案の成立もそうだし、あからさまな人種差別などもそう、ここ数年で起こってきたことは、民主主義の社会を根幹から覆すようなことだと考えます。寄って立つもの、民主主的な社会という基礎があって始めて補完できるような活動は、その基礎が壊されている時には無力なんじゃないかと。今必要なのは、民主的なプロセス、シールズの人たちが強調する立憲主義という大原則を取り戻す運動に、個人としても団体としても参加することなのではないか。若い人たちが引っ張ってくれている社会運動や人種差別へのカウンターアクション等、国会や地方議会という大文字の政治に働きかける実際的で具体的なアクションに連帯し、参加することに優先順位があるのではないか。そして集まって勉強して、話し合う場も、そういう政治の場に繋げ、補完して始めて意味があるのではないか、そう思ってます。今までは集まって、話し合って、勉強してもそれをどこに繋げていくのかというもどかしさが常にあったけど、たくさんの人が頑張ってくれているおかげで、今は繋げる先が一杯ある。

SKを立ち上げた時に考えた、大きな政治から脱却していくようなベクトルは、現在の日本の政治社会状況では、あまり有効だと思えないし修正が必要で、むしろ、今の政治で壊されたところを修復しようとする社会運動にこそ、こういう場所として、具体的に連帯する方法考えてます、ってことを言って終わりました。

このトークがあったのは、法案が成立したすぐ後で、街宣とかデモに連日参加したすぐ後でした。このトークのテーマもそうだし、他のプレゼンターの人たちの活動報告も、自律的な場所やプロジェクトの話、つまり5年前のSKを作った時と同じような問題意識を前提としていて、みんなのプレゼンを聞きながら正直イライラしてました。「今日本でそんなんやってもあかんねん!」って思ったし、私の話の内容は全然面白くないだろうなと、うっすら分かってました。

トーク後に私達を招いてくれたオーガナイザーのマーヴェにこの感想を正直に言ったら、彼女の返信はこうでした。「大きな社会運動は、国境を越えて連動している場合もあれば、それぞれの国で段階が違うことも多い。例えば一人のプレゼンターはエジプト出身で彼女は2011年のエジプト革命の時には毎日タハリールスクエアに通って、運動に関わっていた。でも今は革命後の活動にシフトしている。それはトルコにも言えること。(マーヴェはトルコ出身)」「だから、日本の社会運動はニュースでも伝わってきているし、あなたの切迫感はとてもよくわかる。けど、それぞれの国の運動はそれぞれ違う段階にあるということも事実で、だからと言って、お互いに分かり合えないわけない」と。

こんな趣旨だったと思います。2週間くらいたって、彼女の発言を思い返してみて、自分の態度を少し反省しています。温度というか切迫感が違うと勝手に思い込んでいたけど、発言者の人もみんなそれぞれの国の社会運動に関わってきた人たちで、しかもそれぞれの国の状況は日本以上に酷いかもしれない。その運動がどの段階にあるかによって、それぞれの活動を軌道修正するのは当然だし、だからといって、今渦中にある人が、2年前に渦中にあった人たちにいらついたらだめよね〜という反省が2週間後にやってきました。おそ。
でも、今渦中にいるなら、その社会運動に関わり応援するのが、こういう場所をやっている人間の責務だと思う考えは変わりません。

SEALDs Kansai
(関西でのデモや街宣など主催してくれてはります。関西で活動してくれて、本当に感謝。)
SADL
(都構想住民投票の時もすごい活躍で、戦争法案反対デモも関西弁のコールがかっこよかった。大阪らしい団体。今度の大阪のW選挙に向けた活動も応援したい!)

Perth - Palestine/Israel - NY

2011.03.31

急に決まったオーストラリアへの旅。4泊の短い調査旅行でした。
11月に開催されるプロジェクトに参加するために、現地でどういう人がいて、どういう動きがあるのかを短い期間ながらも調査する。オーストラリアという国について、パースという都市について考えたり、思いを馳せたりしたことが人生で一度もなかったので、本当に「初めまして」という感じ。


4日間の印象は、パースはLAタイプの都市で、車社会。天気が良くて、海も奇麗で、人もおおらかで気持がよさそう。アジアからの移民の人たちが沢山いて、物価が日本よりも断然高い。また、多くの人から「パースは海外からも、オーストラリアの東部に位置している他都市からも孤立している」という話を聞いた。これは文化労働に携わる人に限った話なのかどうかはわからないけど、基本的に志が高い人は、外にでるという。日本と似ているかも。


そんな中でも、面白い活動をしている人と数名出会うことができたのは収穫。彼らとのやり取りを通して聞き取り調査をはじめよう。普段は、美術のフィールドとは全く関係のない場所に通ったり、友達を介して人や街との関係を作っていくから、今回のように美術のインスティテューションをバックにして誰かに会う感じ、人とのコンタクトを取ることに慣れてない。いくつかできたらいいなというアイデアが沸いて来たけど、現地に滞在する期間と京都でそのために割ける時間を考えて、向こうで頑張っている人たちにとって役立って、しかも面白いアイデアを選びたいと思ってる。ハードル高し。もしかしたら、毎日フードキッチンを開けるくらいの方がいいかもしれん。


そう言えば、この旅の数日前に、急遽パレスチナとイスラエルに住む親友達と3方向のスカイプ電話をした。両方から、日本は危険だからこっちに来い!と誘われる。ちょうどまた小型のスーツケース爆弾がエルサレムで爆発した事件があり、イスラエル政府がまた爆撃をしそうな雰囲気があるのに。でも、もう何が安全なのかがわからない。安全という言葉の概念がぐらぐら揺らいでいる。かなり詳しい情報が現地にも伝わっているみたいで、相当心配してくれてる。でも、京都に住んでいる私たちは、なんの被害もなく暮らせているわけで、こういうふうに心配されることそのものが申し訳ない感じがする。


そして、911が起こった時の状況もフラッシュバックしてくる。一機目の飛行機がビルに突っ込んだあと、2機目がWTCに突っ込む時まで12丁目辺りで見ていたこと。その後、ダウンタウンから血まみれ、埃まみれになったビジネスマンが逃げてきたこと、NYにこんな沢山人が住んでいたんだ?とびっくりしながら皆で北へ北へと逃げたこと。何が起こっていたのか、状況をまったく把握しないままとにかく、北へいくことだけを考えていたこと。911以降中東からの移民やインドの人を狙った脅しや殺人事件が増え、人種差別が大っぴらに許容され、アメリカ政府の政策に批判的な態度を取ると何度も「出て行け」といわれたこと。そんなことが思い出されてくる。あのカタストロフィーの後、911を新しい戦争の言い訳に使われないよう、NYを中心にアメリカ中、世界中ででアフガン戦争とイラク戦争を止める運動が展開されたし、私も友人達も毎月のようにデモに参加し、いろんなイベントを催したりして、なんとか止められるんじゃないかと思ってた。だけどアメリカは戦争を始め、イラク戦争/アフガン戦争は今でも続いている。あのカタストロフィーの後、アメリカは最低最悪の方向に進み、私たちはそれを止められなかった。同じ絶望を感じたくない。

Man on Wire

2010.11.30

[Note] pur

2010.11.20

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