Top > Media > [ソーシャル・キッチンのつくり方]偉大なる食べ物

Media

ソーシャル・キッチンのつくり方

高橋 由布子/ Yufuko Takahashi

hanareのメンバー。デザイン、広報、経理、事務担当。時々ウェイトレス。Social Kitchenができた経緯、運営方法、メンバーのことなどなど、過去の記憶を掘り起こしながら少しずつ紹介していきます。

[ソーシャル・キッチンのつくり方]偉大なる食べ物

2012.06.28

 sk120628.jpg

 

喫茶はなれの活動を続けている過程で気付いたことがあります。それは、食べ物のチカラはすごい!ということ。

 

喫茶はなれのテーブルは細長く、最大で8人くらいの人が密着して相席することになります。知らない人同士が集まっても、必然的に一緒にご飯を食べることになる。人というのは不思議なもので、狭い空間で知らない人と隣り合ってご飯を食べたりお酒を飲んだりしていると、だんだん沈黙が耐えられなくなってきます。そして美味しいものを食べているときは多かれ少なかれ誰もがハッピーになる。つまり、自然と楽しい会話が生まれる。ホステスであるメンバーがその場にいる人を紹介しあって会話をつなぐことはもちろんするし、そもそもこういう場所に来る人は会話を楽しむために来ているとはいえ(のちに「出会い系喫茶」と揶揄されたこともあり)、ここにご飯が存在しなかったらもっと違った空間になっていただろうと思います。


また喫茶はなれではご飯を食べながら話すので、よく「食」のことが話題にあがりました。喫茶はなれでは、できる限り体にも環境にもやさしいオーガニックの、しかも近郊でとれた野菜を使うように心がけていました。オーガニックというと「健康志向」や「エコ」という言葉で語られることが多いですが、そこには政治や経済の話も大きく絡んできます。


少量生産で値段も決して安くはないオーガニックの食材を使うことは、大量生産・大量消費の世の中に抗う意味もあるし、環境に優しく、安全に食べることのできる野菜を一所懸命つくってくれている農家を経済的に「支える」ことでもあります。また、なぜ京都で収穫されたものがスーパーで買えなくて、代わりに海を越えた中国やブラジルから来た食材が安い価格で陳列棚に並んでいるのかを考えたときに、政治の話は避けられません。そうすると、「こんな世界に誰がした!」と世の中に対する怒りがメラメラと燃え上がり、「そんな世の中は自分たちの手で変えて行こう!」という気合いも生まれてきます。(もちろんこうした固いテーマ以外にも、単純にどこの国のなんとかが美味しかったという話しをして、遠い異国を夢見て胸を踊らせたこともしばしばです。)

 

それと、私たちの身近な生活の中から経済や政治を考え、それに対してアクションを起こそうとする場合、「食」は非常に扱いやすいのです。

 

例えば、大量生産された安価な衣料品について考えたとします。自分の来ている服の布や糸、またその材料である綿などが、長時間、低賃金で働かされている貧しい国の人、場合によっては子どもたちの手によって作られているとします。またその綿も、高濃度の農薬を使って育てられているとする。それ自体はとても深刻で、認めてはいけない事実です。でも、「よし、これは社会の悪だから明日から身につける衣服を全部買い替えよう!」と簡単にできるでしょうか? こうした問題をクリアにしている衣服はもちろん存在しますし、できる限りそうした問題に配慮して服を選んだ方がよいと思います。でも、衣類は原料から製造、流通の過程がかなり細分化されていて全ての行程を検証することが難しかったり、1着あたりの値段が高かったり、また個人的なデザインの嗜好性も多様化しているため、服をそうした「正義」的な視点だけで選びきるのはものすごくハードルが高いことだと思います。また自分の住んでいる家や、その他の身の回りのものを考えたときにも、同じような困難にぶちあたります。(だからといって、毎日自分の着ている服や使っているものが、誰かの犠牲の上で作られているということを認めて良いと言ってる訳ではありません。念のため。)

 

もちろん食がはらむ問題もそんなに単純ではありませんが、少なくとも他の分野に比べて分かりやすい。オーガニックフードはチェーンのスーパーで買うより高いけれど、服のそれに比べると、まだとっつき安さがあります。オーガニックや作り手の顔の見える食材を毎日買うのが無理な人も、1週間に1個くらいならオーガニックのトマトを買うことができるかもしれない。そういう人が少しずつでも増えたなら、農家の人もちょっとだけ暮らしが豊かになるかもしれない。農薬を大量に使った農業をしなくても人並みの生計を立てられるようになったら、農薬を使う農家の数も今よりはちょっとは減って、体に害のない食材がもっと手軽に買えるようになるかもしれない。そして汚染される土地が今より減って、多様な生物で溢れる豊かな土壌がよみがえるかもしれない。また、「適正」な価格できちんとものが売れるようになったら、農村での新たな雇用が少しずつ生まれ、お年寄りばかりの地域に若者が戻ってくるかも知れない。小さな村に活気が溢れ、そこから豊かな文化が育つかもしれない。…そんなことを考えていくと、自分の晩ご飯のトマトひとつ買うことも世界を変え得るきっかけになるかもしれないと、何だかワクワクしてきませんか?


大げさかもしれませんが、私たちは喫茶はなれの活動、お客さんとの会話を通して、「食」が持つ偉大な力、人と人とをつなぎ、世の中のことを考えるきっかけを与え、問題解決に向けての実践をするためのツールになり得るということを「発見」してしまったのです。そんな食の偉大さを知ってしまったからには、今後のhanareの活動において「食」を外すわけにはいきません。ソーシャル・キッチンの1階にカフェが設置されていたり、hanareの主催するイベントでは何かとご飯が出てくるのはこうした理由も実はあるのです。




つづく!
 

 

〈追記〉

オーガニック、オーガニックと強調しましたが、喫茶はなれでも、ソーシャルキッチンでも、また私個人の生活においても、食材の100%をオーガニックで賄えているわけではありません。前述したように他のものに比べてとっつき安いとは言っても、まだまだ値段が高かったり、流通の問題などで全てのものをオーガニックに切り替えるのはなかなか難しく、自分たちの現実的な体力と理想との間でユラユラ揺れているのが現状です。(そしてこうした問題から簡単には逃れられないというのが、今の社会の現状、怖さでもあるのだと思います。)
時間はかかりますが、少しずつ少しずつ試行錯誤しながら、自分たちのできることからじっくり丁寧に取り組んでいきたいと考えています。


TOP