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これからのことば

金谷 麻美/ Mami Kaneya

2011年5月からSocial Kitchen Working Group 震災/原発の活動に参加。政治とかはすいませんが知らないし、よく分からないのですが、いいのかしら?から一転して市民活動の渦にのらくら気ままに流され中。現在は分からないなりにコツコツ勉強、奮闘中です。「これからのことば」の企画を通して、これからのことばについて模索中の日々。

[これからのことば]第1回 ー震災とことばー レポート

2013.01.23

上映作品『あいだのことば』 監督:小森はるか

 

 はじめまして、Social KitchenでWorking Group②「震災/原発」という活動に参加している金谷といいます。昨年の12月、このWorking Groupのメンバーで「これからのことば」という映像の上映会と、上映会後にテーマについて話し合う哲学カフェを開催するというイベントを企画しました。

 この「これからのことば」という上映会では、せんだいメディアテークの3月11日をわすれないセンター(通称:わすれン)という所にご協力いただきながら、被災地で撮影された映像の上映を通して、関西で暮らす私たちが、自分たちのことばで「311」という問題に向き合ったり、時には違う方向を向いてしまったりしながらも、話し合おうとすること、耳を傾けようとすることから、私たち自身が、これからはどんなことばと共にこの社会で生きていこうか、又は生きていきたいのか。ちょっと大げさかもしれませんが、そんなことをゆっくりと考え始めたいと思って企画しています。

 

 そんな第一回目は、「震災とことば」というテーマで小森はるか監督の『あいだのことば』という映像作品を上映しました。

 

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 この上映会自体はworking groupのミーティングの中から生まれたアイディアなのですが、最初この上映会を企画するにあたって、わすれンの方から2012年3月に『星空と道』というイベントで上映された映像作品を何本か閲覧用に拝見させてもらい、上映する作品を検討することになりました。その中にこの小森さんの『あいだのことば』という作品も含まれていました。

 正直に話してしまうと、この作品を初めて見て感じたのは「分からなさを突きつけられた」という気分でした。どうしよう、と。

 上映会メンバーで何本か他の作品も見たのだけれど、とりわけ「分からない」のです。そして同時に、これはどの作品を見た後にも思ったことなのですが、私たちは無意識に「分かりやすさを欲する」のだとも思いました。

 これは哲学カフェの時にも話されたことなのですがこの映像作品には、いわゆる「ストーリー」というものがある訳でなく、図式化されていないのです。

そしてこの記録の「分からなさ」に出会ったこと、目の当たりにしたことは自分自身としては何だかとてもショックな出来事でした。自分なりに「分かったつもりにならないように」と思いながら物事に向き合いたいと思っていたけれど、事実「分からない」ことに直面した時、そこに生まれるある種のいらだちに対してとても不慣れな自分がいる。そのことがそのまま理解への「距離」のようにも思われました。

 メディアで形成される認識、ストーリーや感情への依存、情報に取り囲まれている環境ってとても甘やかされている。普段使いの情報って誰かが分かりやすく噛み砕いてからから分け与えてくれているのだな、と思います。それがささいなものであっても。

 けれどこの映像に登場し、語る人々の存在、おじさんやおばさんの声の感触はテレビで放映される映像よりもずっとリアルなものとして迫ってきます。何だか自分の親戚のような気すらする。この感じ、なのにこの「分からない」ってなんなのだろう?

 今回この上映会を企画する上で、何度も迷ったことです。「もっと分かりやすい作品の方がいいのだろうか?」。けれどこの「分かる」「分からない」という感覚がどうにも気になる、大事なことのように思えました。何より自分の心に残っている。そもそも「震災/原発」のことなんて、分からないから、Working Groupにだって参加しているのだし、私だけで分からないのならもっと色んな人と映像を見て、このことについてもっと話してみたい、いっそ投げてしまおうと思い、今回、第一回目の上映作品をこの「あいだのことば」という作品にしてみたい。話して、聴いてみたいと思いました。

 そして関西圏で暮らす20代~60代の15名ほどの参加者と、映像から垣間見えたことを通して「震災とことば」について話し合いました。

 

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 この作品は、監督である小森はるかさんが東日本大震災後、東京からボランティアとして数ヶ月に一度のペースで被災地を訪れながら撮影した、石巻、陸前高田の3つの家庭の会話の記録です(現在は岩手県住田町に住居を移し、記録活動を行われています)。

 そしてこの映像の記録に関して、彼女自身、最初から意図的にカメラを向けたわけではなく、当初はカメラを向けることすらためらわれた状況の中、あるおばあさんに「今の現状は辛くて見れないけれど、記録しておいてくれませんか」と言われたことをきっかけに記録活動を始めたと言います。

 東京から被災地へ、その体験からカメラは向けられます。けれど人との関わり、その時間の経緯とともにカメラへ語る人々の口調も変化してゆきます。

 例えば哲学カフェで話された考察の一つとして、最初に登場するおばさんがカメラに向かって「大丈夫ですよ。食べ物も足りてますよ。」とカレーを盛りながら語るシーンがあります。けれどあのことばは誰に向けて語られていたのか。      

 例えばあるドキュメンタリー番組の「被災地に歌を届けよう」といった企画ものの定型。被災地の方は「元気をもらいました」と答えます。それが嘘だとも思わないけれど、最初に語られた彼女のことばも、どこかカメラの向こう側にいる東京の人々向けのことばだったのではないだろうか。同時に、後半へと進み、時間の経緯とともに、同じおばさんの語り口調も微かに重くなっていっているような気がする、ということなども話されました。

 映像を見ながら熱心にメモをとっている方もいました。シーンを思い返しながら、町は徐々に片付けられてきれいになっていく様子が垣間見えるのに、人々はその頃からようやく哀しさを語り始めだしている。町の整備の過程と、人々の心情はアンバランスに思える、と語る人も。

 

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 また関西で「東日本大震災」について語ることの難しさにも繋がることだと思うのですが、正直な気持ちとして、「普段、震災の映像を見ても何も思わない自分がいる」という話も出ました。主に被災地の状況も、多くの人がメディアの情報を頼りに得ているのが現状です。けれどその情報に辟易としてしまうこと。哀しいことがあっても、一秒後に笑ったりする人が現実の世界にはいる。ことばにならないことだってある。けれど日常では、ある種のメディアに触れ続けることよって、私たちは感情をカテゴライズさせられすぎているのではないかという意見も出ました。

 「あいだのことば」に登場する人物は普段見るテレビで映し出される人々より、剥き出しに存在しているようにも思える。それはおばちゃんの二の腕だったり、縁側に寝転がるおじいちゃんの頭だったり、「そこに誰かがいる」ということ、それ自体がことばや内容よりも確かな「存在」として残っているという見方もありました。

 この「あいだのことば」という映像の分かりにくさの一つとして、映像の持つホームビデオのような質感が、被写体と鑑賞者の間に存在する距離感を揺るがし、払拭してしまうことが上げられると思います。暮らしでの会話、食卓の音、その場のテレビで流れる音声、環境音すべてがフラットな音声として入ってくる。そこには何が重要なのかという情報の選択余地がありません。

 そして同時に撮影者のカメラを向けることに対する意識も、語る人々の変化、ことばとともに、変化しながら、揺らぐものを感じます。それは「どうしてカメラを向けるのか、撮ろうとするのか」という問いでもあります。撮影者自身も分からないのではないだろうか、それを見る私たちが「もっと分からない」のも案外当たり前なのかもしれない、という話が出た時、私は少しほっとした気持ちになりました。

 「分からなければ、理解しなければならない。」というある種の強迫観念。けれどそれと拮抗するように、映像を見ることで感じた、陸前高田の空の高さや風の強さ、人々の笑顔の感触、ことばではない感覚があるな、と思うのです。それはただの被災地の記録に留まらない、見る行為から得る体験です。一つの、映像でなければならない記録的価値だとも思えます。

 震災のテーマとして「どうして忘れちゃいけないのだろう」といったことにも、話が展開されました。

 哲学カフェという場所ではどちらが正しい、間違っている、という議論の判定をするわけではありません。それでも「忘れる」という行為ひとつとっても意見は分かれました。千差万別の考え方があるのだと思います。

「忘れない」という人が何を思い、又何故そのように語るのか。また「忘れない」と思うことに違和感を持つ人はどうしてそこに違和感をもつのか。東北で暮らす人々の「忘れる」「忘れない」はそこで暮らす人々が向き合って考えることだ、という意見も出ました。けれど関西で暮らす私たちの「忘れる」「忘れない」は関係のないことなのでしょうか。「忘れる」ことに対して私たちはどのように向き合えばよいのだろう。

 

 

 

 そしてそこから「復興」は誰がするもの?という問題も浮かびました。映像の中の印象的なシーンとして、小森さんと同行しながら現地を訪ね続けている女性が松の所で目を閉じながら「復興、復興、、、と言っても」と呟くシーンがあります。「、と言っても」のあとに続く、その思いについて、そのことばについて考えてしまったという話が出ました。

 そしてそのシーンを思い出すと同時に、冒頭の方で「復興して欲しい」と呟いていたおばさんの姿が思い浮かんだという方がおられました。

 あのように「復興」ということばが語られていたこと、その重さを、今まで自分は知らないままだったが、それは私たちが普段テレビで聴いていたことば、または政治の場で語られている「復興」とは明らかに重さが違うことばであった、と。

 けれど政治の場で語られることばは、東北で暮らす人々はもちろん、関西で暮らしている私たちにも大きく影響することです。どんなに離れたところで暮らしていても、私たちは「ことば」によって事実影響され、又は影響を与えながら暮らしている、と思わざるにおれません。今後も、この問題については改めて考えて行ければと思っています。

 

 その他にも、映像に映った陸前高田の一本松の話。映像資料の価値について。イメージと生きることについてなど、多岐に渡る話題が参加者の方々から話されました。とても90分で話しきれるものではない、とのことでこの場は一旦閉じさせて頂き、「これからのことば」次回に続きます。もし、関心を持って下さった方、考えて話してみたいなと思われた方がおられましたら是非ご参加下さい。

 第二回「これからのことば」は「私と町、土地と記憶と」をテーマに仙台で“こえシネマ”という活動をされている高野裕之さんの作品をご紹介。ゲストとしてお越しいただき、映像を見ながらお話しする場を設けたいと思っています。第一回参加者の皆様、ご協力下さった方々ありがとうございました。

 今年も引き続き、地道に、改めて「ことば」から見つめられるような機会が設けられればと思っています。

 

第二回『これからのことば』 - 私と町、土地と記憶と -

2013年2月16日(土)18:00~21:00

ダイジェスト上映(予定作品):あなたは2011年3月11日をどのように過ごしましたか?/仙台のがれき撤去/亘理鉄道の車窓から 他

監督製作:高野裕之

会場:Social Kitchen 

 

 

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