Top > Media > [CALR]vol.21-2『生き方と哲学』 (パート1)

Media

CONDUCT A LIBRARY RESEARCH

風見(峯) 遼佑 / Ryosuke Kazami (Mine)

1983年、栃木県生。大学で言語学、大学院で分析哲学を学んだのち、ドロップアウトしダイキン工業入社。現在、エンジニア組織の経営企画的なことに従事。趣味はジャズとかとウッドベース・ボルダリング。

[CALR]vol.21-2『生き方と哲学』 (パート1)

2013.06.22

『生き方と哲学』鬼界彰夫 2011年 講談社

 

【パート0】からの続きです 

 
【パート1】
 
本書では、アリストテレスが『形而上学』で行った分類に従い、人間の活動を「キーネーシス」と「エネルゲイア」に分けて説明しています。
 
キーネーシスとは、「何かの目的を達成するために行う行動」
エネルゲイアとは、「自分の命の発露」とでもいうべきもので、なにかの目的達成のための行動「ではない」点がポイントなのですが、私では説明が難しいので本文から引用します。
 
「生の始まる一定の時期に置いて形成し、獲得し、習得した能力の総体としての自分の命を働かせ、自分として有ることであり、諸条件が許す限り自分の命を働かせ続け、自分としてあり続けること」
p.49
 
これがエネルゲイアだ、というのですが、難しいですね説明が。とにかく、なにかの目的達成のための行動「ではない」点を意識して頂きたい。自分の事を振り返ったときに、「別に何かの目的達成の為に行っているのではない行動」、そういうものがないでしょうか。それがエネルゲイアだと思います。
 
詳細については、本を読んでいただくのが一番ですが、例として。私だったら ;
 
「自転車を、他人と競争するのではなく、自己記録更新をめざすのではなく、ただ集中して漕いでいるだけの状態。そしてそれが楽しい」
「家族や友人と他愛のない時間をすごす」「コーヒーを入れる途中」
 
など、「自分が自分らしくいられる活動やその時間」がエネルゲイアに相当すると思っています。ほかにもエネルゲイアに相当する部分は沢山あります。
 
 
さて、詳細は飛ばしてパート1で考えたかったことを2つ書きます。
 
 
 
【パート1で考察したいこと① :人生に目的はない】
 
 
本書でも考察されているのですが、キーネーシスとエネルゲイアの観点で言うと、人生はエネルゲイアであるとおもいます。「人生は何かの目的を達成するために行う活動ではない」と思います。よく「人生の意味は何か?何のために人は生きているのか」といった問いかけがありますが、人生に意味はないというか、そもそも人生はなにかの目的を達成するために行う活動ではないのです。目的達成活動ではない活動の目的を必死に問うというのは、倒錯した行為でしかない、というのが私の意見です。
 
 
【パート1で考察したいこと② :仕事は基本的に目的達成行動である】
 
 
みんな仕事をしているわけですが、仕事は基本的に、各人が社会的に与えられた役割に従い、自分の生の発露(エネルゲイア)を支える(ようするに金などを稼ぐ)ために行う目的達成行動だということです。
 
本書では、この②がわりと容易に忘れ去られやすい点。またその理由。またそれよって起こる「自ら望んで生きづらい状態に陥る現象」。について考察が繰り広げられています(金&名誉に関する考察)。ここがたいへん面白いので、直で読んでいただきたいです。
 
とばして結論部からすこし引用します。
 
「こうした事態を避けるための方法は(…)まず自分と家族の命の本来の働きを支えるためにどれだけのものが必要かを認識することである。そしてそれらを得るために自分はどれだけ働かなければならないかを知ることである」
 
 
ここで私は「仕事を怠けろ=与えられた役割を満たすことが不十分でもOK」ということが言いたいわけでは1㍉もありません。「目的」達成のため、必要なのがどれほどなのか認識せよが言いたいことです。必要とする量は、個人個人の生の要求によってかなり異なります。仮に必要に足りなかったらむしろ今よりも働く必要があります。
そういう基本的な原則の上で仕事は行われている点を再度認識したいです(ただし、現実ではおかしなことがいろいろ起きるので、自らの生を支える目的でおこなう仕事という活動を継続していく際には、例えば実務スキル・気合い・勇気…といった、様々な技法が必要とされると思う)
 
 
【ひとつの疑問; 仕事は完全に目的達成行動なのか?】
 
 
上記のとおり、仕事は基本的には「生を支えるためのものを得る」という目的を達成するための行動ですが、おそらくその仕事という活動のなかに「エネルゲイア的な要素」が全く含まれていないか、と言えば、そうではないはずだ、「仕事でも命の発露的な要素が必ずあるはずだ」と私は思いたい。
 
 
※ 全く入っていない方もいるでしょう。
 
 
いろいろすっとばしてありていな言葉で言えば、仕事でも、すきなことがなるべく沢山入っていれば、より楽しいということです。そして私はそういう生を生きたいです(そしてそのように仕事をしむけるという目的達成のためには、何かの実務上のスキル・気合い・勇気…などの具体的な技法が必要でしょう)。
 
 
今回は以上です
 
 
(パート2においては、「上記で書いていることは下流志向・理想および向上心・野心なき思考へとつながる、ひ弱思考」なんじゃないか? という、自らの疑問と対峙してみたいと思います)

TOP