1983年、栃木県生。大学で言語学、大学院で分析哲学を学んだのち、ドロップアウトしダイキン工業入社。現在、エンジニア組織の経営企画的なことに従事。趣味はジャズとかとウッドベース・ボルダリング。
※新年おめでとうございます。ことしも地道につづけて行こうと思います。
不定期に発売される雑誌、spectatorを手渡しで売っている友人から入手。久々に読みました。
たまにしか読まないこの雑誌ですが、手に取った際はペラペラめくるのではなくさいごまで読み込みます。そして、だいたい同じ感想を持ちます。
この雑誌に対しては「カウンターカルチャー的アウトドア」「大麻」「音楽」「平凡社とかの雑誌カルチャー」等々…のかなり特異な方を紹介しているという印象を持っておりますが、おなじようなテーマを取り上げた他の雑誌と異なる特徴が2つあると感じます。
ひとつ目は、「カタログ性」があまりないのかなということです。
POPEYEやBRUTUSなどを読むと、「こんな服欲しいなー」「こんな部屋にしてみたいなー」「ここ行ってみたいなー」というような気持ちにさせられる写真がこれでもかと羅列されております。もともとPOPEYEなどは、そういうカタログという雑誌のジャンルが日本にないところに、意識して創刊された雑誌だそうですね。
一方のspectatorですが、僕の印象では、「いいなー俺もこんなふうにしたいなー」とは思えないような振り切れた方や、マイナーで、現時点でそれを読んでおもしろい!と思える人が少ないカルチャーの動きを意識して紹介している本と感じています。
例えば今回、「10年間毎日ノグソだけしかしない、ノグソ業界では有名な人」が紹介されています。
彼の主張は、かなり論理的です。
「ノグソではなく、トイレでした場合のウンコの処理過程をずっと追っていくと、最終処理にはウンコを燃やすという工程が入る」→「燃やした後の灰はコンクリートの材料になる」→「有機物だった食物が、無機物になったまま、循環が止まってしまう」&「処理に化石燃料を大量に使っている」→「トイレでのウンコは「資源の破壊と生態系の破壊」を同時にもたらす、とんでもない行為」
理屈は分かります。しかしだからといって、10年間ノグソしかしないというのは、かなりの行動力がなければ不可能です。そんな人に対して、面白いな、すごいなとは思いこそすれ、「いいなー俺もやってみたいなー」とは全くならないのです。
これは極端な例ですが、とにかく「自分もあこがれたり、ほしいと思ったりする物事のカタログ」ではないところ。したがって決して読みやすいフツーの雑誌にはなっていないところは、spectatorをspectatorたらしめている特徴の一つだと思います。
もうひとつの感じるのは、ある知り合いの言葉を借りれば、「カルチャー寄り」だということです。
「カルチャー寄り=ガチじゃない」という程度の意味なのですが、僕が思うに、ある程度クライミングしている人・ロングトレイルを走破している人・MTB乗り回している人・旅している人・音楽演奏している人、等々は、spectatorを読んでもあまり魅力を感じないのではないか。それは、紹介されている内容を自分がもう毎日やってるからです。
例えば、今回クライミングしている時の感覚を書いた記事があったのですが、それをソファーで寝そべって読むというのはどういうことなのでしょうか。自分でやっていて、疑問を持ってしまいました。
つまり、フツーの雑誌では紹介しきれない内容の深堀があるのはいいが、ガチでやってない人が、カウンターカルチャー的なものの影響のもと、頭でっかちで外側からみたことだけ書いていないか。それを読む読者も、アウトドアウェアやツール、そういう生活スタイルの情報だけは詳しいが、実際はやってない人が多いのではないか。そういう読者の再生産に寄与してはいないか。ということです。もしそうであれば、読んでるだけより、実際にやったほうが楽しいよ…と言ってあげたい。
僕の思い違いであれば嬉しいのですが。
もし気になる方がいたら、ぜひ手にとって僕の言っていることを確かめてみてほしいです。そして、ちがう! / そうだ! というような意見交換ができたら嬉しいです。
以上です
※spectatorはソーシャルキッチン内にある本屋「not pillar books」にも置いてありますよ。
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