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すこしずつ、自給していくことで見えてくる

吉村 美智子/ Michiko Yoshimura

1981年、京都市生まれ。2009年一児の母となり、子育ての過程で「食」の重要性を再確認しその「食」を支える「農」に関心を持つ。2010年より「畑レクチャー」を企画・開催し、様々なスタイルに合わせた自給的な生活の提案を行っている。現在Social Kitchen農関係担当。私生活では陶芸家としてもぼちぼちやってます。

[すこしずつ、自給していくことで見えてくる] 台所大学「畑を知る、畑を作る、畑を生きる」

2013.02.13

 ご無沙汰していました。

こんなに寒いのに立春をすぎ、実は春に向かっているようです。

 

今回はずっと取り組んできた畑講座のお話。

 

2010年からレクチャー&ワークショップ:台所大学「畑を知る、畑を作る、畑を生きる」という自給の畑を学ぶという講座の企画をやってきました。毎月1回、Social Kitchenの借りている岩倉の畑で参加者と共に自給の畑のあり方について学ぶものです。講師は知る人ぞ知る自給のエキスパートの糸川勉さん。京都の京北にて開拓しつつ自給の暮らしをするすごい人です。

 

講座を始めて今年で3年目。改めて講座のあり方について考え直す時ではないかと、共同企画者の米田さんと話し合いました。今までは講座を通じて、この時代においてこそ自給をする重要性について伝え、皆が畑やプランターなど自給のフィールドを持ち自給をしていくことを希望にやってきました。そして今年で早3年目、企画する私たちも同じく自給とはなんぞやを学び、段々と頭が整理されてきました。今までのように畑から学び取ることは大きいに違いないが、自給とは食の生産を自分で行う以外にもっと多くのことがあるのではないかと思うようになってきたのです。それは食におけることだけでなく暮らし全体のこと、米田さんの言葉を借りると「暮らしのデザイン」をするということなのです。だれかれなしに暮らしとは、それは言い換えれば働き方であったり、人生であったり、それは生きることそのものを指す、もしくは生きるための手段や様を表すもの。とても人の中核でありながらどのぐらいの人がそれをデザインしているか。この「デザイン」をとらえなおすと「調整」という言葉でしょうか。うん、本当に調整したいよね、とつくづく企画者である私も思います。何事においても振り回されてる?決められてる?と自問自答。そう思うと自給のあり方を考える上で大事なのは人がより自立し力をつけて暮らしを調整していくことではないかと思うのです。

 

最近読んだ本で、人間の欲望についてなるほどと思うことがありました。欲望とは不足を満たそうと強く望むことだそうですが、人は常に満足しない生き物であるということ前提にすれば(多くの人がそうあるように)そのためにはかぎりなくモノを生み出し続けなければならず、経済成長も欠かせないと考えられています。ですが、私の読んだ本の一説にはこんな素敵なことが書かれていました。「マックス=ニーフ(チリの経済学者)は、この考えは間違いで、人の欲望には限りがあると主張します。人間にとって必要な欲望は、生存、保護、愛情、理解、参加、閑暇、創造、アイデンティティ、自由と九つで、おまけに、それはどの文化でも同じだし、歴史的にも変わらない。文化や時代で変わるのは、こうしたニーズを満たす手段だけだ…」その他にもいろいろと希望的なことが書いてあったのですが、結局のところ必要なものはそれほど物質的なモノではなくその人に合った生き方、暮らし方なのではないかと、そしてその九つのニーズを満たす手段が今まさに自給ではないかと思ったのです。

 

最後に宣伝。

そしてこんな思いを抱えて今年は畑講座の大編成を行います。今回は講師の糸川勉さんから自給の畑を学ぶだけでなく、暮らしを上手に調整している素敵な人達と関わりながら自給のあり方について考える講座にしていきたいと考えています。今春スタート予定です。興味がある方は是非ご一報を!

 

 

[すこしずつ、自給していくことで見えてくる] ベビーバスde田んぼ

2012.07.04

京都も皆が憂鬱な梅雨らしい季節となりました。今年の梅雨は雨が少ないのかな?とか、梅雨の晴れ間が続くともう少し雨がほしいとか、お天気に対して色々と注文を付けるようになったのはもちろん畑を始めてからです。
6月初旬、どこも田植えが始まり一斉に田んぼに水が張られます。水鏡に移る景色がどこまでもどこまでも続く様が、畑とは違う田んぼの魅力の一つです。私たちは毎年この時期になると「田んぼがしたいねー」と言いはじめます。自給にはお米が欠かせないことと、調味料などを自分たちで作ることに興味を持ち始めた私たちにとってお米は本当に大事なものだと感じ始めているからです。畑をするにも藁やモミが必要なときそれが自分たちでまかなえたら...と、想像するだけで嬉しくなってしまいます。ですが今年もその夢はかなわぬまま梅雨を迎えてしまいました。それでも今年はひとつ必ず挑戦しようと思っていたことが私にはありました。
それは...


ベビーバスde田んぼ!


をするということです。
私には3歳になる子供がいて、ややこの頃に使っていたベビーバスをちょうど持て余していたのです。(ベビーバスは大きなタライのようなもので、陶芸をする際に大物の作品の釉薬をかけるために使ったりもしていましたが)そのベビーバスで田んぼをしようと決めたのはちょうど去年の今頃でした。私の家の向かいに住むご婦人が、毎年モリアオガエルが卵を産みに来るようにとベビーバスに水を溜め、ついでに稲を植えておられることを知ったのです。そして遂に今年、ベビーバスde田んぼにむけてお世話になっている農家さんに少しばかりの稲の苗をいただき、そして小さく田植えを終え無事にたった18株の田んぼを管理することとなりました。そして先日私の田んぼにも小さなお客様が...!モリアオガエルかシュレーゲルアオガエルかどちらかだと思いますが、産卵の下見に来ていただいたのでしょうか?こんなものでもなんとなく田んぼと認定してもらえたようでとても満足しています。それでも来年には本当の田んぼがしたいと思う今日この頃です。


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[すこしずつ、自給していくことで見えてくる] やっと春がきた

2012.05.18

冬の間すっぽりと雪に埋まってしまう椋川では、畑がどこにあるかわからないほど一面雪景色となります。そんな椋川も雪が解けて畑が見えたそうです、よかった。
 
私たちの畑では冬の寒さで完全にロゼットになった葉がむくむくと膨らみ、成長を止めていた野菜たちが動きはじめました。白菜も水菜もすっかりとう立ちして、ほろ苦い菜の花が春を知らせてくれます。(白菜の菜の花はボリュームもあって食べ応えがあるのです)
畝の整理にと畑に備中を力いっぱい入れたら、ひょっこり土の下に大きなヒキガエルが寝ていて、拾い上げて掌でなでると眠い目を開けて「くぅぅ」と鳴きました。まだまだ本調子ではないみたい、どうだろうと思いつつもう一度脇のほうに埋めてみました。
春一番の仕事の一つ、私が楽しみにしていたのがえんどう豆の誘引。新芽が伸び始めにゅっと手が出てくるときに支柱を立てて藁をつかませます。しばらく藁の家に暮らすえんどう豆もきっとすぐに家から飛び出して、5月ごろには実がつくんじゃないかな。とにかく楽しみです。
 
Social kitchenがほんの少しでも自給しようということで借りた畑の様子を中心に、自給していくって何のためでどんなことなのかを探ってつづっていきます。そして地域の農家さんや自給的な暮らしをしている人から学びながら少しずつ進んできます。

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