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夢であいましょう

原 智治/Tomoharu Hara

1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。

Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.

[夢であいましょう-ある公務員の育児日誌] vol.5

2010.07.12

 今回は、これから赤ん坊と暮らす(かも知れない)方のための話。

 娘が産まれて7ヶ月になります。今のところ、私自身には大きなストレスはないように思います。何も問題はありません。

 という話をすると、ときどき、強がりか、さもなくば冗談なのではないかと言われることがあります。そのような問いがあり得る程度に、子育てはストレスフルなものであるということになっています。
 子どもをもつ以前、私には、子どもを育てることはとても大変なことに思えました。ライフスタイルが激変することへの大きな不安を、私は抱えていたのだと思います。仕事の上でも経済的にも、あるいは友人と食事をしたり美術館に行ったりすることも、子どもがいると、大きな制約を受けるのではないか。私には、そのような心配がありました。
 妻は産前産後の休暇中、インターネットで育児についての文章をよく眺めていましたが、陰鬱で刺々しいものばかり見つかると話していました。あるいは、『ママはテンパリスト』というマンガをみると、多くの親は3日に1度は自分が最低な親であるという想いに苛まれる、と描かれています。
 私は、子育てにそのような面があることを否定しません。客観的に見て、子どもが産まれる前の私の不安は、全くの的外れというわけではなかったと思います。ある程度、生活は子ども中心のものになります。泣き叫ぶ子どもに付き合うのは骨の折れることです。

 ですが、そのような幾つかの言説と経験を踏まえてなお、私は、何も問題はありません、と申し上げたいのです。

 先行して育児をしている友人に、娘を連れて会うと、時折、「うわ、小さいなあ!そう言えば、こんな小さいもんやったなあ」という類の感想に出くわします。たったの数ヶ月前には友人も同じ月齢の乳児と暮らしていたのですから、このような感慨は、少し不思議なものにも思えます。
 ここでは、時間は「誰にとっても平等なもの」ではない、ということが思い出されます。1時間が極めて長く感じることもあれば、逆に短く感じることもある、というのは、多くの人が経験的に知っていることでしょう。経験一般は、時計の上での時間と、その時間のうちに起こっていることとの比率(すなわち密度、ないしは速度)によって、考えられるべきものなのかも知れません。
 親にとっては、子どもの成長が、生活の基準の一つになります。乳児は、数ヶ月のうちに、体重が倍以上になりますし、寝転がってただ泣いているところからスプーンを使って南瓜のペーストを食べるところまで成長します。このような驚異的変化を物差しに採用した親が、通常とはスケールの違う時間の中に身を置くとしても不思議はないでしょう。
 この「子育て体感時間」の中では、記憶は、光の速さで忘却の彼方に飛んでいきます。光陰矢の如し。今や、子どもが産まれたばかりの頃のことは霞の中に消え、その頃の、娘の表情も、仕草も、ほとんど太古の出来事のようにしか考えることができません。
 育児は、時間のあり方を変更し、また拡張します。
 このようにして、少し後からやってくる乳児を前に、我々は深い感慨を覚えるのではないでしょうか。

 子どもを育てるということは、実は、我々の知覚を変更することにつながるのです。今まで日常的には経験してこなかった時間の密度を、乳児の保護者は知ることになります。
 あるいは、子どもを育てる者は、いつも自身の経験を拡張することになるでしょう。あなたは、夜を撤して歌う者になるかも知れません。行政書士にも、コメディアンにも、栄養士にもならなければならないでしょう。あなたは、今まで経験しなかったあなた自身を見つけることになるのです。

 何も問題はありません、と言うとき、私は、しばしば、このような変化率のことを念頭に置いています。微分的ストレスに、人はすぐに慣れます。自分の経験を修正し、拡張します。端的に言うと、人は変わり得るのです。
 そして、それは、育児という状況において、最高度に起こることなのです。親は、乳児的時間を自身の基準にするのですから、その成長の密度は大変なものになります。
 子どもが、他の動物に比べて身体能力/社会能力ともに未熟な状態で生まれてくるのは、そのような神話的時間を、親にもたらすためではないかと思うのです。(それは、『スーパーマリオブラザーズ』、『巨人の星』、『シンデレラ』などのアナロジーで考えることができるでしょう。)

 これから赤ん坊と暮らす(かも知れない)皆さん、あなたの心配は概ね正しいものですが、何も問題はありません。あなたは、そのときが来ればすぐに、状況に押されて、嵐のような変化を経験するでしょう。それを逐一記憶できないほどのスピードで。
 私は、子どもを盲目的に愛せる性質(たち)ではありませんし、そのような幻想は今のところ採用していません。が、子どものもたらす暴力的変動は、一つの経験として純粋に、楽しく、幸福なものであると考えています。そして、多くの人には、おそらく、その幸福を感じることができると信じているのです。

ハラトモハル

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