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夢であいましょう-ある公務員の育児日誌

原 智治/Tomoharu Hara

1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。

Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.

[夢であいましょう-ある公務員の育児日誌] vol.2

2010.05.08

 今回は、妊娠が分かったときの話。

 ある日、妻が荒れ狂い家を飛び出していったので何事かと思うと、数時間後に電話がかかってきて、妊娠した、と告げられました。
 私たちは、ともに28歳、仕事を始めて3年目のことでした。

 当時、我々は新幹線で1時間の距離に離れて暮らしていました。そのとき私の家に来ていた彼女は、一頻りの言い争いの後、家を飛び出し、駅のトイレで妊娠を確かめたのだそうです。我々は階段に腰かけ善後策を話し合いました。彼女は、大きなプロジェクトに向けて仕事を進めようとしていた頃で、妊娠、出産はいささか都合が悪かったのです。離れて暮らしていること、共に働いていることも、子育てをするには極めて大きな不安要素でした。
 我々は、堕胎も含めて検討すること、ともかく診察を受けることを確認し、お好み焼きを食べて帰路に着きました。

 荒れ狂う妻ほど恐ろしいものはありません。
 子どもを持つことの喜びやとまどいのすべては吹き飛び、私は彼女の感情の起伏をどうにかすることで頭がいっぱいでした。
 妻は、聞いたこともないホルモンの名称を連呼し、妊娠に伴う**ホルモンの分泌せいで情緒不安定になっているのだ、そんなことも知らないのかこの馬鹿、と罵りますが、残念ながら私はその手の知識を欠いていました。男性諸氏はこのような事態に備えて、予めホルモンのことを知っておいた方がよろしい。

 診察を受け、数日後、我々は子どもを持つことに決めましたが、これには、妻の参加したある会議と、高嶺格さんが大きく影響を及ぼしています。
 妻曰く、「昨日、会議があったのだが、下らぬ頭の悪い議論に延々とつき合わされた。このような仕事のために、子どもを堕ろして、十字架のようなものを背負うのかと思うと、私は悔しい。」とのこと。"昨日の会議"が超楽しいハッピーでクリエイティブなものでなくてよかった。将来、娘にこの話をすべきかどうかは悩むところですが、あなたは皆の力で生まれてきたのだ、という風には伝えてもよいと思います。
 また曰く「先日、高嶺さんの『在日の恋人』を読んだ。高嶺さんのお子さんが産まれる頃のことも書かれているが、私の関っているプロジェクトに比べても遜色のない凄い仕事だと思った。あと、大概のことはどうにでもなる、とも思った。」これはちょっといい話です。

 というわけで、我々は、子どもを持つための準備(それは私には全く未知のものでしたが)を進めることになりました。その話はまたいずれ。

ハラトモハル

[夢であいましょう-ある公務員の育児日誌] vol.1

2010.05.01

 今回は、子どもが産まれたときの話。

 11月某日、朝、子どもが産まれました。

 お世話になったクリニックは、セレブっぽい産院として、界隈では有名なところだそうです。最初はもう少し地味で実直そうなところに当たったのですが、既にいっぱいだそうで、こちらにかかることになりました。診察室にはバング&オルフセンのオーディオやデザインチェアが置かれ、出産入院のメニューには、アロマテラピーや、なんとフレンチのディナーまで含まれています。
 これらは全て院長の趣味だそうです。彼はクリニックの上階に住み、年間数百件もの、昼夜を問わぬ出産に追われながら、その世界観に磨きをかけ続けています。大変なことです。

 妻はもともと、子ども受けのする性格ではありません。極度の人見知りな上に、ハートの片隅にシニシズムとアカデミズムを養っています。時折、恥ずかしさの余り(あるいはアルコールの力で)臨界点を突破し、思いもつかぬ奇想天外な言動を示しますが、馴染みのない人がそのような姿を目にすることは基本的にはありません。
 過日、知り合いのお子さん(乳児)に、彼女は「いないいないバア」を敢行しました。乳児を喜ばせるにはわりと手堅い方法で、事実、その場に居合わせた誰がやっても、その子は笑顔を見せるのですが、妻のそれに対しては冷めた視線を送るのみ。恥じらいの故か、妻は子どもに受けません。
 入院のために妻が用意していた鞄の中には、ラカンの解説書が入っていました。それは、生まれいずる我が子を愛せるだろうかという、彼女なりの不安感の表れであったのだと思います。表れ方としては相当に奇怪です。

 出産は、LDR(居室型分娩室)で行われました。例によって、そこには4チャンネル対応のBOSEスピーカーと50インチのプラズマテレビが置かれています。そして、妻が持参したDVDソフトは鈴木清順『オペレッタ狸御殿』でした...。
 何時間もの間、繰り返し、狸のポンポンという腹鼓の音が響き、鮮やかな清順カラーが咲き乱れる、そのような中、娘は誕生したのでした。

ハラトモハル

[夢であいましょう-ある公務員の育児日誌] vol.0

2010.04.26

 こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔
 こんにちは赤ちゃん あなたの泣き声
 そのちいさな 手つぶらな瞳
 はじめまして わたしがママよ

 こんにちは 赤ちゃん あなたの生命
 こんにちは 赤ちゃん あなたの未来に
 この幸福が パパの希望よ
 はじめましてわたしが ママよ
 ふたりだけの 愛のしるし
 すこやかに美しく 育てといのる

 こんにちは 赤ちゃん お願いがあるの
 こんにちは 赤ちゃん 時々はパパと
 ホラ ふたりだけの 静かな夜を
 つくってほしいの おやすみなざい
 おねがい 赤ちゃん
 おやすみ赤ちゃん わたしがママよ

 これは梓みちよの歌で一世を風靡した『こんにちは赤ちゃん』の詞です。この詞では母親の心情が詠われていますが、当初は、父親、曲を付けた中村八大の視点でのものだったそうです。歌詞の末尾は「わたしがパパよ」だったのです。
 作曲家の中村八大に待ち望んでいた赤ちゃんが生まれたとき、親友の永六輔が一緒に病院へついていきました。ガラス越しに赤ちゃんと対面した中村は「はじめまして、私が父親の中村八大です。よろしくお願いします。」と赤ちゃんに向かって頭を下げたといいます。これを横で見ていた永が、その場で作ったのがこの詞です。
 そう思って見直すと、ここには、子どもへの愛情とともに、生真面目な父親の心情、育児の大変さも滲んでいるような気がします。永六輔ならではの滋味深い詞ではないでしょうか。

 http://www.youtube.com/watch?v=bOf2MXkP4AI&feature=related

 hanare周辺では、最近、出産が続いています。かく言う私にも、過日、娘が産まれ、この四月からは半年の育児休業を取っています。この文章では、子どもを育てるということのあれこれ、父親が育児休業を取得するという少しレアな経験を紹介できればと思います。子どもの成長の速さに負けぬよう、拙劣を恐れず、気軽に書いてみたいと思います。

 『こんにちは赤ちゃん』が始めて紹介された『夢であいましょう』における「夢」は、直接的には、踊りや演奏、歌唱、コントなどのエンターテインメントを指していると思いますが、それ以上に、テレビ番組の黎明という状況を言っていたのではないかとも思います。その意味で、こんにちは赤ちゃんと名指された「赤ちゃん」は、テレビメディアそのものだったのかも知れません。
 翻って今、我々の「夢」は何でしょうか。社会全体で共有できるような夢は、もうテレビ黎明の頃の様には、挙げることができないかも知れません。子どもをもち、育てていくという基礎的なことさえ、私の世代ではハードルの高い難事のように思えます。
 行政では、少子化対策ということが盛んに喧伝されています。確かに年齢層のバランスが崩れることは、財政的にも、社会活力の面でも多くの困難をもたらします。行政の仕事として、それは正当なことでしょう。が、ミクロな視点で見れば、国の繁栄のために子どもをもつという発想は、少なくとも私にはリアリティがありません。それはむしろ、個々人の「夢」の部類に属することなのではないでしょうか。何かを育てるということには、いつも甘やかな期待、苦味と不安、熱や愛情が伴います。ここでは、個人的な育児記録の紹介とともに、少しだけ欲張って「夢」についても考えてみられればと思います。

 拙文で申し訳ありませんが、どうぞしばらくお付き合いください。

ハラトモハル

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