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未来の娘へ

熊倉 敬聡 / Takaaki Kumakura

慶應義塾大学教授。新たな学びの在り方を探究し、大学キャンパス近傍に学びのオルタナティヴスペース「三田の家」を共同運営する。最近は、実存的/文明史的課題として「瞑想」に取り組み、3月『汎瞑想』を出版。

[未来の娘へ]2012年7月某日

2012.07.02

IMG_0714_2_1.f4v お父さんは、先日、お母さんと大飯原発再稼働に反対するデモに行ってきました。以下は、そのレポートです。きみは、出掛けに紫陽花の花束をつくってくれました。ありがとう。


***


 "何か"が、起ころうとしている。この国で、長く長く"政治"に麻酔をかけられていたこの国、この民の中で、"何か"、そう"政治"が目覚めようとしている。
 6月29日。首相官邸前。二歳の娘が手向けてくれた紫陽花の花束を掲げもつ妻とともに、私は「デモ」の中にいた。脱原発デモに参加するのは、初めてだった。
 夕方6時頃、着いたろうか。人々は、三々五々、静かな熱気を秘めながら、集まりはじめていた。
 暮れなずむ空は、梅雨時には珍しく、清々しい青に澄みわたっていた。
 私たち、人々は、整然と立ち並ぶ警官たちに誘導されながら、漫ろに、首相官邸正門を臨む歩道に、佇みはじめる。「NO NUKE」「再稼働反対」「原発はいらない」など、手に手に、思い思いの意匠を施したプラカード、弾幕、旗を掲げている。合間に、紫陽花の紫、薄紅(くれない)、薄緑がかった白が、漂う。誰が名づけたか「あじさい革命」。
 それにしても、行儀がいい。「デモ」のはずなのに、警官たちに守られ、大通りの路傍、「歩道」の上に、大人しく佇む人々、私たち。
 世界的に見て、これほど「行儀のいい」デモは希有だろう。これが「デモ」なのか? ヨーロッパやアメリカで、広い街路を埋め尽くす人の群れを見慣れた目には、やはり異様な光景に映る。
 そんな大人しい人々の群がりのなか、私も大人しく立ち尽くす。
 デモの「主催者」と思しき人たちも、(デモに関係のない)一般の人々の通行を妨げぬよう、あるいは車道に人が溢れ出ぬよう、「秩序」を呼びかけている。
 警官、参加者、主催者こもごも、行儀よく、一つの「和」に己を嵌め込もうとしている。またしてもか?
 徐々に、空が青を失い、薄闇に滲んでいく。とともに、人々の数も増えはじめ、「再稼働反対!」というシュプレヒコールも、じわじわと音量を上げていく。
 本当に雑多な人々だ。出で立ち、顔つき、年齢、国籍、実に様々な人たちが、立ち並び、行き交い、叫び、黙し、その場に、いる。携帯で一眼レフで写真を撮る者、スマホでプロの機材で動画を撮る者、あちこちで様々な人が様々な人にインタビューし、拡声器で肉声で「再稼働反対!」「原発は犯罪!」「野田辞めろ!」と叫び、手を振りかざし、官邸前の虚空に、虚空を隔てたこの国の元首に、訴えつづける。(元首は「大きな音がしてますね」と宣ったとか。)
 波動――こらえながらも渦巻くエネルギーの波のようなものが押し寄せ、満たし、溢れ、引き、また寄せ返し、人々を、いや増す人々を、少しずつ、ほんの少しずつ、前へと前へと、突き動かしている。車道の方へと、警官たちの張る黄色い非常線へと躙りつつ、少しずつ少しずつ、人々の熱の、怒りの、黙した、断固とした波の圧力が、静かに静かに強さを増し、迷いを、ためらいを、恥じらいをかなぐり捨て、自己の力を確信していく。
 なおも、その自信に満ちはじめた波を押しとどめようとする警官たちも、少しずつ少しずつ後ずさりし、せざるをえず、ついには、なんと、非常線の黄色いテープを手放してしまう。車道へと、公道のただ中へと、人が、人が、溢れ出し、広々とした交差点を半ば占拠せんとする。シュプレヒコールが、一段と高まり、凱歌を揚げんとする。
 いいのだろうか? こんなことが起きていいのだろうか? この、行儀のいい、世界で一番行儀のいい国で、しかも首相官邸前の公道で、起きていいのだろうか? 熱いものがこみ上げてくる。
 と、どこからともなく、装甲車が、一台、二台、三台と現れ、私たちの群れと官邸の間に立ちはだかる。屋根に、赤いサイレン灯がくるくると点滅している。

 突然、40数年前の光景が蘇る。神田神保町は駿河台下の交差点。私は、夕方、母と都電に乗っていた。古本屋街を抜け、交差点に差しかからんとする瞬間、突如、左の大通りから無数の若者たちが溢れ出し、雄叫びとともに、火炎瓶を、右手に陣取る機動隊めがけて、投げつける。突然の擾乱を目前に、都電は立ち往生。生まれて初めて見る尋常ならざる光景に、震えおののきながら、私と母は、都電は、騒乱が鎮火するまでひたすら待っていた。
 

 装甲車を背に、「主催者」が、壇上から、必死に、落ち着くよう落ち着くよう、群衆に呼びかける。が、声は、辺りの叫喚にかき消され、ごく近くの者たちにしか届かない。次から次へと、人人人の群れ、流れが、そんな声に頓着なく、装甲車の方へと、官邸の方へと、にじり寄り、エネルギーの厚みを増していく。それでも、さらに必死に呼びかけつづける「主催者」。どうなることか?
 私と妻は、そんななかを、後にした。


 主催者発表で、10~20万人。はたして、この国で、本当の"デモ"が、本当の"政治"が目覚めつつあるのだろうか? あじさい"革命"となるのだろうか? 私は、そう信じたい。


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