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未来の娘へ

熊倉 敬聡 / Takaaki Kumakura

慶應義塾大学教授。新たな学びの在り方を探究し、大学キャンパス近傍に学びのオルタナティヴスペース「三田の家」を共同運営する。最近は、実存的/文明史的課題として「瞑想」に取り組み、3月『汎瞑想』を出版。

[未来の娘へ]2012年10月某日(5)

2012.12.21

  私は、15年にもわたって大学で教えていますが、通常の「教育」的関係性ほど、そうしたエロティシズム=コミュニカシオンから遠い関係もないでしょう。教師は、空間的にも(階段教室)時間的にも(シラバス)特権的で超越的な一つの中心から多数の学生たちに向け一方的に言説を課し、その学習度合を試験し評価する。学生たちからの異議申し立てすら原則的に受け付けない(ようやく最近、うちの大学でも成績評価へのクレームを用紙に記入してできるようになりましたが・・・)。こうした「パノプティコン」的ともいえる権力関係―しかし実際はその特権的で超越的な視点はたえず無数の視線にさらされていることにより、たとえば講義内容が退屈な場合当然無言の抗議を浴びることになり、教師は危うくなる視座の特権性にますます偏執狂的に固執する、そうしたアンビヴァレントな関係なのですが―は、あらゆる「エロティックな」コミュニカシオンを抑圧して初めて成立する関係性です。(だからこそ、何らかのきっかけでそれが「個人的な」近さを獲得してしまったとき、「セクハラ」という倒錯的な形で抑圧の解除が生じたりするのでしょう。)私は、このハビトゥスに雁字搦めになり、それがゆえに知的生産性も大して上がっていない「教育」的関係に、どんどん耐えがたくなっていきました。そしてついに、10年目になったころ、ある授業で思い切ったことをしました。「教育」的関係を根底から覆し、後に「セルフ・エデュケーション」と名づけることになる方法を実験してみたのです。

 

 4月、学生たちに、自分たちの1年間の授業を自分たちの手でデザインし企画し実行するよう申し渡しました。教室における椅子・机の配置から最終的には成績評価にいたるまで、自分たちで(もちろん私も加わりますが)話し合いながら決め、実行に移していく。私は、そのとき、「教師」という立場ではなく、アドバイザーないしサポーターとして、今流行りのワークショップ用語で言えば「ファシリテーター」として参加し、彼らに助言なり支援をしていく。さらには、授業というものは決められた時間割の中で決められた教室でやるべきものなのか、自分たちの学ぶ欲望が欲するなら、そうした時間空間的コードすら疑ってかかるべきではないか、といった「授業」それ自体の「脱構築」とでもいうべき作業が開始されていったのでした。シラバスも固定された座席もない毎回の授業(?)は、即興、駆け引き、直感、忍耐、危機、思いやりなどに満ちた、文字通り「出来事」の連続となりました。もちろん、私ですら、次回に何が起きるのか、予測できません。そうして、絶えず予期せぬ、異質な力に出会い、翻弄され、傷つき、あるいはそれを乗り切りながら、自分たちの潜在力、生のエネルギー=エロスを累乗させることにより、彼らにしか生み出せない出来事=授業を「発明」していきました。それは、時には、限りなく「エロティックな」授業にすら見えました・・・(Cf. 熊倉敬聡『美学特殊C』)。

 

 もちろん、そうした「エロティックな」授業を実行するにあたっては、大学内で様々な抵抗、障害に遭いました。その過程で、一つの授業のみならず、一大学全体が旧来の組織的因習・ハビトゥスで雁字搦めになっていて、それに「違犯」する実践は、容易なことでは実現不可能な、そうした硬直化した学びの環境に陥っていることが痛感されました。(もちろん、それにもかかわらず、私たちの授業の違犯がある程度可能となったのは、授業の参加者の力量と努力によるところが大きいのですが、そうした組織的因習の最中でも、個人としてあえて「違犯」を手助けしてくれる少数の人たちがいたのも確かです。)

 私の勤める大学は、一応世間的には「リベラル」で「オープン」な大学とされているようですが、それはあくまで表面的にそうであるだけで、たとえば地域社会とダイナミックなインターラクションがあるかといえば、少なくとも数十年前からほとんど何もないに等しい。学生たちは、気の利いたカフェ・喫茶店一つないので、ほとんど地域・商店街に滞留することなく素通りし帰途につく。ごく限られた学生団体のみが、辛うじて地域のイベントや行事にささやかに協力する程度。一方、地域・商店街の方も、学生のますますの離反に打つ手もないままただ手をこまねいているだけ。大学・キャンパスは、物理的に無防備なほどに誰でも自由に出入りできる場所でありながら、制度的・ハビトゥス的にいたって「閉じられた」場としてしか社会的に機能していないのです。

 

 そこで、私は、前述の授業実践の延長線上で、「インター・キャンパス」ととりあえずは名づけたプロジェクトを始めたのでした。それほどまでに閉じられた大学・キャンパスならば、それを文字通り「リベラル」で「オープン」に「開く」ために、オン・キャンパスとオフ・キャンパスをダイナミックに相互作用させるインターフェイス、すなわち「インター・キャンパス」を生成し、そこで従来のキャンパス的慣習の中では行いがたい実験的授業やワークショップを行っていく。しかも、その場では、通常の社会的ハビトゥスでは出会いがたい、あるいは出会いが非常に限定的な「異文化」に属す人々―一般学生、留学生、教員、職員、地域住民、商店主、会社員などが、学ぶ欲望さえあれば、自由に訪れ、交わり、学ぶことのできる、そうした場=インター・キャンパスを創造したいと思い、実際に作り始めたのでした。

 

 準備期間も入れ、約4年にわたる試行錯誤の末、ようやく今年(ささやかな形ですが)、具体的な建物を取得し、自分たちの手で改装を施し、この秋から始動させる予定です。「公」の「授業」でもなく、「私」の「居酒屋」談義でもない、その中間で、異質な人々がカジュアルに集い「エロティック」に学び合える「共」=コミュニカシオンの時空間を作っていきたいと思っています。21世紀的学びの場=「塾」は、そこにあるとすら思っています。(これが「三田の家」となりました。)

 

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