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未来の娘へ

熊倉 敬聡 / Takaaki Kumakura

慶應義塾大学教授。新たな学びの在り方を探究し、大学キャンパス近傍に学びのオルタナティヴスペース「三田の家」を共同運営する。最近は、実存的/文明史的課題として「瞑想」に取り組み、3月『汎瞑想』を出版。

[未来の娘へ]2012年10月某日(1)

2012.10.10

 今日は、青が空を突き抜けています。
 昨日から今朝にかけて、強烈な台風が日本列島を駆け抜けていきました。
 きみは、「ば〜ばちゃん」の家にお泊りに出かけていきましたね。これから迎えに行くところです。

 以下の文章は、6年前に書いたものです。当時『遺言書』と名づける予定だった本を出版しようと思っていて、その序文として書いたものです。その本は、結局いろんな事情で出版することができず、この序文も宙に浮いたままでした。最近(今年の3月)、その本文になるはずだったものを大幅に削り、書き直し足して、『汎瞑想』という本としてようやく出版することができました。ただし、『汎瞑想』は、かなりアカデミックな枠組みで出版しなくてはならなかったので、この序文を採録することはできませんでした。
 つい最近、何とはなしに、この序文を読み返してみたら、もちろん、これを書いた当時は、きみの誕生などまったく予想だにしなかったにもかかわらず、あたかも「未来の娘」に宛てている「遺言」であるような気配が濃厚なのです。もしかすると、僕の遺伝子にすでに懐胎していたきみに宛てていたのかもしれません。
 そこで、少し長いのですが、これからそれを連載していこうと思います。

***

 私は、もうすぐ、死にます。
 つい最近、47歳になったので、仮に平均寿命まで生きたとしても、残りはおよそ30年。元気に仕事をし、活動できるのも、長くてせいぜい20年くらいでしょう。でも、これも、私が平均寿命まで生きたと仮定しての話で、もしかすると、残された時間はもっと少ないかもしれない。あるいは、長いかもしれない。いずれにしても、私の余生、いや「残生」というべきでしょうか、は、確実に限られているのです。その「限られている」という事実を、数年前から非常に具体的に感じるようになりました。生々しいほどまでに、「残された」時間、「限られた」生が、感じられるようになったのです。
もっと若いときにも、折に触れて、生の限界、死の不可避性などについて悩んだものでした。しかし、それは、今の具体性、生々しさに比べれば、良くも悪くも形而上学的であったがゆえに抽象的な悩みだったように思います。哲学的なアポリアの一つについて、歳相応に、実存的かつ存在論的に懊悩していただけにすぎなかったのかもしれません(それなりに真剣でしたが。)現在感じる、限られた時間の生々しさは、全く異質なものです。こういっては失礼かもしれませんが、何らかの病のために死期を宣告された人たちの感じる生々しさと同質的な感じすらします。この具体的に限られた時間の中で、何をなすべきか、何ができるのか、何がしたいのか。これまでの46年間の人生の中で行ってきたことからすると、残りの20年(?)ないし30年(?)でできることは、ごくごく限られたことのように思われるのです。
 30代は、とにかく面白そうだと感じたことは、可能なかぎり飛びつき、あるいは自分から作り出し、とにかく結果を恐れず実践していたものでした。そのほとんどが、単なる自己満足に終わらず、社会的にも意味ある活動だったように自負しています。しかし、それなりにほとんどすべてが(自分にとっても社会にとっても)面白く意味あることだったとしても、ふと気がつくと、あくまで「それなりに」であり、「ほぼ」満足できる活動ばかりでした。いつしか、その「それなりに」や「ほぼ」が、真綿のように首を絞め始め、このままでは人生そのものが、「それなりに」「ほぼ」満足のいくものにしかならないように痛感されました。このままでいいのだろうか、と事あるごとに悩み始め、でもその悩みをあざ笑うかのように、毎日毎日「それなりに」「ほぼ」面白く意味あることが起こり続け、その微温的快感に酔いしれていました。

 

(つづく)

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