1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。
Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.
1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。
Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.
contact Gonzo には二つの方向性がある。一つはミクロ/自己/向心の方向であり、もう一つは、マクロ/他者/拡散の方向である。「コンタクト」には、必ず作用と反作用が含まれているのであるから、それは必然的なことである。
自分の痛みを自分のものとして子細に把握することは、それほど容易なことではない。もちろん、痛みは、自分にとっては、ふてぶてしく居直るやくざなものである。が、その実、それがどのようなものなのか、それがどのように自分に影響しているのか、明瞭に言葉にすることは難しい。これが他人の痛みになると、余計に分からない。まして、私とあなた、とそれを取り巻く世界の痛みに思いを馳せるや、もう雲を掴むようなものである。そこにはズレの連鎖がある。
アッという痛みが、ほんの一瞬、意識に空隙を穿ち、しかる後にそれを指でくまなくなぞるように観察する。一瞬の空隙は、すぐさま意識で埋められる。突き出す拳の、踏み出す足の、クリアで平穏な観察と、底の抜けた空隙。Gonzoはいつも二つの道を、分裂症の患者のように走る。二つの道は「コンタクト」において分岐し、いずれ、牧歌的な風景において出会う。
緩慢で大きな動きを捉えることは難しい。
インドの時間の単位に「劫」というものがある。天女が三年に一度、羽衣で巨岩を撫でる。それを繰り返し、岩が磨滅する程の時間をいうのだが、かように極端に引き伸ばされた時間を知覚することはとても難しい。死ぬまで立ち尽くしたとしても、その巨岩の変化を認識することはできないだろう。
我々は、あまりに大きな幅で動くものを知覚することができない。地球の自転も、岩の磨滅も、我々にはそれを直覚することができない。月の光や、伝説や、仮想的な実験などの外部の指標を通じて、ようやく長大なムーブメントを伺い知るのみである。
歴史と自然のすべてを包括する一個の生というものを想定したとき、我々はそれを直覚することはできない。唯一完全であるその生が、別の生のために身を悶えたとして、我々はそれを知ることはできぬだろう。ただ、力なく横たわるものだけが、そのことを、星の光のように知らしめる。
十二世紀の後半から、禅の世界では「十牛図」という小テキストが用いられている。十枚一連の図と、それぞれの図に添えられた短い詩句から成るもので、自己が経歴する「自己」の在り方と、その関連が簡潔に示されている。
「十牛図」では、牛(「自己」)を追い求める牧童(自己)のことが描かれる。牧童は、野を彷徨い、やがて牛を見つけ、牛とともに家に帰還する。ここまでが七枚の図にまとめられている。牧童(自己)は牛(「自己」)を得たのであり、第七の境位にあっては、牧童と牛は一つのものになっていると言えよう。従って七枚目の図には、牛は描かれない。
而して、八枚目には何も描かれない。ただの空。九枚目には花と河、十枚目には老人と若者の邂逅が表される。一度見つけられた牛は牧童もろとも消え去り、そこからまた、"自然"と"人の交わり"が展開される。「自己」を探し当て、充実し切ったはずの自己までが失われること、この道行きは甚だ興味深いが、ここでは第九の境位のうちに立ち止まりたい。
実はここでは、牛=牧童と同時に、写真が蒸発するのである。
九枚目には、水自茫茫花自紅、いう句が添えられる。自分のうちに樹が生え、雨が降る。鳥が、私を貫いて飛ぶ。このような感覚は、日常のうちにあっては、極めて微細なものであるが、極めて大きな動きを掴み得る、数少ない感覚でもある。「花は自ずから紅」という、ただの単純な咲き表れにはつと心を留めるとき、そこに、ほんの一瞬、我々は風景を見ることができる。否、可能な限り正確を期すならば、「「我々は風景になる」という動態」になるのである。
そのとき、一体誰が、カメラのシャッターを切ろうなどと考えようか。
過日、クラブの隅で人に抱かれて押し倒された。したたか腰を打ち、二日程、微かな痛みを抱えることになった。腰を打ったとき、フロアではGonzoが殴り合っていた。シクシクと(あるいはズキズキと、ベクベクと)痛む身体の律動を感じながら、Gonzoのパンチが、牧歌的風景を越えて、僕の腰を打ったのだ、と、僕は考えた。それは崇高でもあるが、同時に遣る瀬無い雨の降る、力ない風景のようでもあった。
平面のように広がる風景の上を、緩慢で大きな風がやってくる。木々が揺れ、ざわつき、やがてそれは頬を撫でていく。Gonzoたちがその上を駆けていくのを、僕は、彼らが見えなくなるまで眺めていようと思う。
ハラトモハル
contact Gonzo について語るのは、容易なことではない。その蛮勇であることを知りつつ、なお語ろう。
弱々しいもの、小さなものについて考えたいという欲望が、いつの頃からか、自分の一隅に生まれ育っている。僕のそのような欲望は、僕自身の個人的な体験に由来するものではあるが、ある種の普遍性と必然性をもっているやも知れぬという淡い考えもある。
弱々しいもの、力なく横たわるもの。
何も出来ぬまま日がな一日畳の上に寝転がり、己の無力さや社会との断絶を心にうち並べつつ、同時に、そのような思考の脆弱をこれまたくよくよと思い悩むとき、我々は、牧歌的風景を垣間見る。
小さく渦を巻く、ブドウの蔦の目に見えぬ程の成長のような、細くともしたたかなものども。まだ見えぬ結論を先に言うならば、そこには、小さいが、現状を浸食し最終的には大きく変化させる、蝶のはばたきが見出せるのではないかと思う。
写真のことから話を始めよう。
我々が、一葉の写真を眺めるとき、そこにはストゥディウム(自明な意味)とプンクトゥム(鈍い意味)が見て取れる、というのが『明るい部屋』でのロラン・バルトの指摘であった。小さな裂け目としてのプンクトゥムに惹かれ、我々は写真に目を留める。
プンクトゥムは、何か際立った明晰なオブジェクトに表れるとは限らない。フォーカスの定まらぬ、何が写っているかもよく分からぬ写真にもプンクトゥムが表れ得る。バルトは、プンクトゥムを呼び起こすものは、現在における「不在」であるとしている。「それは、かつて、あった」というセンテンスに集約される(従って抜き差しならぬ程に死の影に覆われた)彼の論理は、「写真」を解体し、拡散させる素地を用意したとも言える。中平卓馬の一連の神経症的な仕事、アレ・ブレ・ボケに写真を見出す仕草は、バルトの遺作を通過せずには考えることができない。
写真を巡る僕の思考は、随分長い間、バルトの魅力的な論理の引力圏にあったと思う。しかし、いつの頃からか、僕は、彼の議論に物足りなさを感じ始めていた。一般意味の平面とそこに穿たれた傷口、裂け目を開く死者のこと。果たして写真はそのようなものでしかないのであろうか。どこまでも平滑な、けれどもソフト・フォーカスなどとは原理的に異なる、写真の地平というのは不可能なのだろうか。
動き、対象からの光を、眼という球面で捉え、脳の電気信号として変換解釈し、(場合によっては暗室の光を経由して、)今また、写真からの光として了解する。そのような、通常の議論に上る、一連の写真のシステムは、力なく横たわる風景のことを見逃してしまっている。
先日、麿赤兒の、老いについて語るのを聞いた。日本には、能でいうところの黒面の「翁」に代表される、「老い」を精錬した芸事のパッケージがあるという。老いて呆けた語りの、聞き取れぬ程の、しかし恐ろしい程のアナーキー。もうわしには何もわからぬ、お前様の好きにせよ、好きにせよ。小刻みに震える腕や足の、制御し切れぬ振る舞いのことを、麿赤兒は、少しの笑みを浮かべながら、淡々と語った。このようなか弱い震えの、逆説的な強さは、Gonzoにも見出すことができる。
牧歌的という言葉は、ある種の障壁として働く、とGonzoの塚原は言う。牧童の歌う素朴で半ば呆けた小唄。そのイメージは、Gonzoを包みこみ、ある種の異世界へと彼らを連れ去る。我々は容易なことではそこに追いつけない。腕や背や鎖骨の痛みを、するすると回収しようとするものへの、逆説的なバリア。
かつて僕が求めた風景は、弱々しくも、世界に遍在しているのではないか、と思う。宇宙から降り注ぎ、我々の身体を、それと知覚できぬうちに絶えず貫くニュートリノのように、それは我々の前に横たわっているのではないか。
力なく横たわるものは、そのある種の欠落性により、かえって可能性を膨らませる。松岡正剛が『フラジャイル』において指摘した通り、多くの神々はその神性と不可分に欠落を抱え込む。逆に言えば、神々は、我々の欠落への憧憬から生まれ落ちる。欠落をなぞろうとするあえかな指の動き、そこに小さな花火のように開く「共感」こそが、弱々しく、小さなものどもの、世界を転覆させる力なのではないか。
力なく横たわるものの可能性は、原理的には完全に孤独でありながら、なお独りでは在り得ぬという、生の基礎的な相克に由来する。生はそれ自体では完結しない。我々は、いつも誰かに触れ、誰かに師事し、誰かの声に応えることなしには、生きられぬ。にも拘らず、それは自分の背を正視することが叶わぬのと同じように、不可能なことである。断絶の、深い淵に唯一橋を架けるもの、それが力なく横たわるものである。
(つづく)
ハラトモハル
サウス・ブロンクスの街角で、ラティーノたちがブレイクを踊る、その遠景には、しばしばスケートボードを見ることができる。ヒップホップがブレイクダンスに繋がっているように、ストリートでは、パンクがスケートボードに繋がっている。ブレイクダンスのある種の性格は、エクストリームのそれと比較するとき、鮮明になる。
パンクは、その系譜に、エクストリームという態度を生んだ。速さと高さに、危険で華麗な離れ業に、エクストリームは心酔する。エックスの身体感覚は、線的であり、都市空間への建築的広がりを持つ。跳躍や回転を含みつつも、それは本質的には、ある点からある点への直線的"疾走"である。その後ろではいつも、ラウドなパンクが鳴らされる。
エクストリームは、現代の未来派である。
エックスが未来派であるとするならば、ヒップホップとは何者であろうか。
ブレイクダンスにおける身体は、エクストリームの剃刀めいた薄い線に比べれば、強い粘り気を含んで見える。だらしない静止と、血迷った激動との、果てのない揺れ動き。そのような、トリッキーな動きこそがブレイクダンスの真骨頂である。エクストリームを、過剰な速度を称揚する未来派として見るとき、ブレイクダンスのトリッキーなふらつきは、ゾンビのことを想起させる。広い郊外を、餌食を求めてさ迷い歩く、死人たち。
ヒップホップは、死霊を正しく裏返した何者かである。
ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・リビングデッド』がアメリカの比喩であることは夙に知られている。(劇中、ラジオから流れるゾンビたちの様子は、黒人たちのデモのことを想わせる。また、それに対する白人自警団の反撃も、そのまま公民権運動における人種間の対立に重ね合わせてみることができる。)そのような文脈を延長するならば、ここで黒人に与えられた役割は、ヒップホップの隘路を予言していると言えよう。
ゾンビ映画では、死者たちが黒人に襲いかかっている。黒人は、最大限の正当な条理でこれを退け、果敢に状況を打破するが、最後には死霊と間違えられ、白人に撃ち殺される。『ナイト・オブ・リビングデッド』が1968年に作られたこと、そのこととヒップホップは一つにして語られねばならない。
ヒップホップは、いつも複雑に政治的である。ヒップホップの最初の第一声は、ルーサー・キングの夢についての咆哮であろう。黒人の、社会的に虐げられた者の怨念の裏返しとして、ゴールド・チェーンと、ダイヤと、アディダスがあるのだ。
ヒップホップの誕生は、そのまま新しいコミュニケーション方法の発明であった。それは、かつて、権力を持たない者のメディア、「自らを語ることができない者、たとえ語っても、それを解釈する他者によって覆い隠されてしまうような者」にとっての唯一無二の"声"であった。ラップは、声であった。
ロメロのゾンビ映画は、声、その響きが拡散し失われることを予言していたのではないか。
ヒップホップは、いつしか新たな権力として、別のゲットーを生んでいる。ゴールド・チェーンが鎖となり、その端にダイヤの重りをつけて、別の声なき者を地に繋いでいるのではないか。もしも、その観察が的を外していないならば、ヒップホップはこれから最も困難な道を辿ることになろう。自分自身に対する闘争を、不可避的に、彼は始めねばならない。そして果敢なその闘争の最後に、なお生き延びねばならない。
炎に身を投じるようなその闘争が現実になるとき、世界は非正規な自由をいっそう加速させるだろう。ラップの、グラフィティの、DJの、ブレイクダンスの、不死鳥性。ヒップホップはそのような期待をもって、注視されるであろう。
非正規な自由のための闘争。ヒップホップのハード・コア!
ハラトモハル
もしも、あなたが、思想や生活や行為において、どこかに行き詰まりを感じるなら、あなたはヒップホップのことを考えるべきである。ハードでざらついた、少し未来のヒップホップのことを。
ヒップホップは、1970年代初頭のブロンクスを揺りかごに、主として、黒人とヒスパニックにより育て上げられた。ヒップホップを奏でた最初の一群は、青空の下の公園で、あるいは真夜中のダンスホールで、クレイジーな実験としてそれを行った。グラフィティとブレイクダンスとを巻き込み、やがてヒップホップは一つの"態度"として成立する。
ヒップホップは、そのコア・イメージに闘争を含んでいる。
ヒップホップは、マネーと、ドラッグと、血の歴史を刻み、それでもなお、ドラスティックな自由を、ゲリラとしての、呪術としての、非正規な自由を加速させる。
書というものがある。書家・石川九楊によれば、書とは「他者、世界や自然に立ち向かう力」を中心軸とする表現である。
中国の書は、その苛烈さにおいて、日本のそれとはかけ離れている。天から真っ直ぐに、筆の尖り(自己)を紙(世界)に突き立てる、その覚悟の跡は、彼の国が、否応なく政治の国であることを示す。一方、日本には政治がない、と石川は言う。そこには"天"という概念がなく、ただ薄明のもやの中に立つような、無言の合意だけがある。中国という磁場に鑑みるとき、ひらひらと舞い散る紅葉の、その赤のトーンの一瞬の翻りが、ただただ日本なのである。
この、中国と日本のグラデーションの中に、グラフィティを置くとき、それはどのように見えるであろう。
グラフィティは、自己の存在証明であり、美の発露であり、マニフェストであろう。闇の中、ライターが素早い仕草でタグを描くとき、そこにはエス(欲求、衝動)とイド(規範)のせめぎあいの中でエゴが鋭く立ち現れる。中国の政治観が、天を頂とする階層的なものであり、日本のそれが、虚を中心とする同心円的なものであるとするならば、ヒップホップは、あくまで人間・私を起点とする。世界に対する、カウンターとしての、私のボム。
グラフィティは、その意味でユマニズムである。
グラフィティは、戦略的に匿名的であり、身体的であるにも拘わらず時空を超えて遍在する。顔も知らぬ者への親密なメッセージであると同時に、公的空間を私的空間に還元する不穏なサインである。
ドキュメンタリー『ワイルド・スタイル』には、NYの地下から、カラフルに彩られた巨大な鉄の塊が、高速で地上へ躍り出る様が記録されている。それは、ただ人間・私の、天と地に仕掛けた変革の爆弾のように見える。
人々はそれを無視する。人々はそれを嫌悪する。人々はそれを賞賛する。何故なら、グラフィティが、一瞬にして一切を塗り替えるからである。
ヒップホップは、そのコア・イメージに闘争を含んでいる。
(つづく)
ハラトモハル
高嶺格演出『Melody Cup』を観る。
伊丹市・アイホール。『Melody Cup』公演最終日。
会場には、観客席よりも少し低い位置に大きなスペースが取られ、一面がブルーシートで覆われている。客席から暗闇を透かして見ると、空間の遠近がうまく掴めず、そこに確かにあるはずの床面は、ふとした拍子に、底知れぬ水面のように見えもする。
冒頭、暗闇の中、時計の音が刻まれる。少しずつ音量を増す針音。
突如ぬっと立つ人々。幾つものシルエットが、舞台奥の段を乗り越え、前進する。その手足の野性味は、これから物語が始まるという興奮を、熱量を呼び起こす。
現代美術家・高嶺格を知ったのは、二〇〇四年、横浜美術館で『木村さん』が公開中止になったときのことだ。
彼は九十年代半ばにダムタイプに参加し、以後、現在に至るまで、挑発的でありながら、洗練された作品を提示し続けている。近年では、山口で大友良英と作り上げた「Ensembles」が大きな喝采を受けたし、先日、マンガン記念館の閉館に際して行われたパーティーも素晴らしいものであった。
作品への期待は否応なしに高まる。
本作の中では、アイコニックな事物(ドラえもんやマイケル・ジャクソン)を、日本語とタイ語で発声するというシーンがあった。数名のタイ人が(タイ風に)「ターミネーター」と言う。応えて、日本人が(日本風に)「ターミネーター」と言う。(順序は逆のこともある。)
一連の応答は、それら発音の微妙な差異自体、既に興味深いことである。たとえば「ビヨンセ」というアメリカの歌い手が、かように近しい/隔たった音で捉えられ、タイと日本の両国で流通しているということ。それはグローカル(Global+Local)という言葉を想わせる。
しかし、それ以上に、その言葉遊びの中にしばしば挿入される不穏な懐疑の眼差しにこそ、僕は目を引かれる。「お前は一体何を言っているのだ、何だその珍妙な発音は」という問責の視線。このような眼差しは、実は我々の社会にありふれているものではないか。黒澤明の『羅生門』で鮮やかに示されたとおり、同じものを見ても、人は違うアイデアを抱く。同じ概念について、誰かはそれを好み、誰かはそれを嫌悪する。「ジャイアン」という一つのイメージを巡って、ある人はまた別の人の表象に横槍を入れる。
その宿命的すれ違いの中で、それでもなお、「ブリトニー・スピアーズ!」という発語はおかしみを持って響く。その懐疑自体のユーモア。
高嶺格に初めて会ったのは、二〇〇六年の初冬のことだった。あの『木村さん』の作家が来ると聞いて、京大の美学研究室の飲み会に潜り込み、彼に会ったのだ。
その頃、彼はどこかの大学で「裸になる」というワークショップをやっており、僕はうまく事態が飲み込めぬまま、随分とクレイジーなことだ、と思った。ちょいちょいと酒を含むこの人は、理知的に、黙々と考える人のように見えるのに、と僕は訝しんだ。
後に、彼は相当にいい加減な無茶なこともする人であると知りはしたが、それでも、その時の僕の印象は消えることがない。
本作のモチーフの一つは、「空(くう)」であった。半人半馬の態の登場人物が、チベット風の衣装を身にまとい、苦楽について問答を交わすという直截なシークエンスもあった。出演者の中に元僧侶がいたということも影響しているかも知れない。が、とは言え、そのような問題意識は元から高嶺のうちに胚胎していたものではないかと思う。
「空」についての議論は、とりわけ大乗仏教中観派において展開された。分け入れば諸論あるが、簡単に言うと「世界の諸々の存在には実体性(自性)がなく、関係性(因縁)のうちで在るのみだ」ということを示している。
高嶺は、公演前のインタビューの中で、創造について語っている。「知覚された内容について判断しない、論理的な道筋を求めないということ」、(そしてここがより大事なことだが、)そこに様々な価値判断の網目が被さり収束していくということ。高嶺はそれが作品の鍵であると言う。これは「色即是空空即是色」の往還に完全に相似である。
高嶺は、ペイントや彫刻などの特定ジャンルに拘らず、多くのメディアを駆使する。彼の作品はいつも、彼自身のリアルな生活の中で、グジャグジャと形を求め、真摯な思考の末に思いがけない形をとって現れる。高嶺の作品は、その創造の最初に、様々な形式の条件(予算、素材、場所、人など)や課題・問題を引き受け、そこから始められる。むしろ、あっ、という創造の瞬間を掴み取るには、彼は、特定の技法に拘ってはいられない。
彼は、自分のことをシャーマンのようなものだ、と言う。
物語の中では、山が形作られ、そこに人々が詣で、海ができ、また歌が歌われる。ブルーシートはいくらでも形を変える。少しずつ凝り固まるようにして、パフォーマンスは、濃度を増す。最終盤、緊張は一転し、解放感に満ちた音楽、ビージーズの「Melody Fair」により作品が閉じられる。スクリーンには、パフォーマーたちの興奮した顔が映し出され、それに呼応するように、舞台では一際大きな「山」が形作られる。
「Melody Fair」は、映画『小さな恋のメロディ』の挿入曲として、日本でも親しまれている。歌の内容は、女の子の感情の揺れを捉えて、お前はまだ小さいし、人生は雨模様ばかりじゃない、と諭すものだ。
Who is the girl with the crying face looking at millions of signs?
Melody fair, remember you're only a girl.
Melody, life isn't like the rain ; it's just like a merry go round.
「それ禍と福、何ぞ糾える縄に異ならん」というのは古今東西の哲人の教えではあろう。それは概して正しいが、しかし、ある種の脱力を感じさせるものでもある。このラスト・パートは、幾許かの感慨ともに、本当にこれでよいのか?という疑念をも覚えさせるものであった。
物語のタイトル『Melody Cup』は、もちろん「Melody Fair」に因んだものだろう。作中での扱い方から見ても、本作の解釈にとって、この音楽を軽視するわけにはいかない。歌の内容と高嶺の物語がリンクしている必要は必ずしもないが、しかし、ここで為された無邪気な解放は、一体どのように考えればよいのであろう。この解放は果たしてどこからどこへ向かうものであったろうか。僕にはそこからどのような物を汲み出せばよいのか、まだうまく判断することができない。
ハラトモハル
タイの出演メンバーたちと
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