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淡水録

原 智治/Tomoharu Hara

1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。

Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.

[淡水録] vol.26 公民館について

2010.05.28

 hanareの須川さんが、artscapeという美術情報サイトで、"公民館立ち上げの過程"をレポートしている。その中で、同時に寄稿している光岡寿郎氏も巻き込みながら、公民館そのものを改めて検討している。
 公民館って何だろう。(※1)
 http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/602/

 hanareは、活動の当初から、生活に関すること全部を支離滅裂に扱う、ということをモットーにしてきた。衣食住にはじまり、政治経済、アート、性や労働、子育て等々、そこにはあらゆる問題が含まれるが、彼女たちは、そのことを公民館という概念に託して表明してきた。"なんでもありな雑多性"への期待/希望/確信。hanareは、そこに公共性と共同体の可能性のようなものを(そして必然的に、両者の相克を)見ていると思う。
 hanareが公民館らたんとするとき、そこでは何が取捨されるべきだろう。公共ということを、また共同ということを、どういう風に考えればよいのだろう。

 光岡氏は、"(公民館という言葉を)「公‐民‐館」と分節するとどうなるか...中略...公民館は「public and private center」足りうる"と指摘している。これはとても面白い指摘だと思う。公(public)と民(private)のそれぞれを、またはその総体を、その関係を扱うところとして、公民館は再検討されることになる。
 この場合、私的な人々によって公的領域が担われる、という印象が強まるのが重要なところではないだろうか。個々人の、一つ一つは小さく弱く、共有されない想いを、受け付け、ときに調整するする場所。公民館がそのようにあり得るのではないか、ということを、光岡氏は示唆していると思う。

 公民館という言葉からどのようなイメージが思い浮かぶだろう。僕にとっては"ただの貸しスペース、町内のおっちゃんやおばちゃんが集まるださい場所"というイメージが強い。残念ながら、クリエイティブで楽しいところという印象は受けない。ハイでもキャンプでもエッジでもない。が、だからこそ、公民館という概念を更新しようというアイデアに面白みを感じる。

 僕が初めて須川さんに会ったとき、彼女は"商店街を作りたい"と言っていた。商店街も彼女たちの言うところの公民館に近い概念だと思うが、そこからは、生活への眼差し、複雑性の称揚ということが、より生々しく感じられるのではないかと思う。それは、特定の誰かにではなく、多くの(原理的には、すべての)人々に関係するものであり、また、基本的には、誰に対しても開かれている。
 近所の商店街を、一つの場所で化合精製する。そこからは、郊外のショッピングモールと、公民館としてのhanareが生まれ落ちるだろう。
 公民館には、僕はあまりよいイメージを持ってこなかった。それは、その場所が、(結果的に)僕のものではない、という印象があったからだと思う。公民館は公的(official)な施設だが、それは直ちに公共的であることを意味しない。従来の公民館は、ある意味、ショッピングモール的であったのではないか。
 hanareが公民館たらんとするとき、この点には十分に留意する必要がある。"私に対してこの場所は開かれていない"と感じている外部を、内部に呼び込むための回路、そのようなものとして、hanareは支離滅裂さをこれまで以上に重視しなければならないのではないかと思う。昨日と今日が論理的に整合しないことを、恐れない。多目的ではなく、鴨川の河川敷のように、無目的、ないしは使途不明。

 半分開かれた中間的なシステムへの憧れのようなものが、僕にはある。それは、mixiが興隆し、行政で「まち(あるいは地域)づくり」がしばしば取り上げられ、あちこちで緩やかなアート・グループが立ち上がる状況を見ても、相当数の人々に共有されているものなのではないかと思う。わやわやと人がいて、大小のいろいろな出来事が起こり、少しずつネットワークが広がること。それは、基本的に善いことだ、と、誰もが直感的に感じているのではないか。
 しかし、それらはあくまで"半開き"である。
 hanareが「公民館」たらんとするとき、どこまで公共的であるか、ということはすぐに問題になるだろう。顔の見える誰かを招き入れる親密さと、公共性は、時に矛盾する。hanareが、そこに集うものを愛し、同時に、世界に対して政治的な機能を果たそうとするなら、慎重に感情の機微を仔細する必要があろう。


※1 一応、法的な定義を確認しておく。「公民館」については、社会教育法の第五章に定めがあり、社会教育(主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。))の一環として設置されることになっている。
 「公民館」の目的は「市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与すること」であり、その事業として以下が例示されている。
 一、定期講座を開設すること。
 二、討論会、講習会、講演会、実習会、展示会等を開催すること。
 三、図書、記録、模型、資料等を備え、その利用を図ること。
 四、体育、レクリエーション等に関する集会を開催すること。
 五、各種の団体、機関等の連絡を図ること。
 六、その施設を住民の集会その他の公共的利用に供すること。
 公民館は、市町村、一般社団法人または一般財団法人だけが設置できることになっているが、類似する施設は、誰でも設置できる。

ハラトモハル

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