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淡水録

原 智治/Tomoharu Hara

1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。

Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.

[淡水録] vol.25 発熱京都

2010.03.08

 この数年、京都のアートシーンが少しずつ熱を帯びてきている。
 2008年秋、小山登美夫とタカイシイが六条に、児玉画廊が十条に、それぞれオープンし、同時期にヴォイスとモリユウが移転した辺りから、今の流れは始まっているように思う。その後、作家の共同アトリエがまとめて公開されるイベント(※1)が2009年、2010年と連続で開催され、大きな存在感を示した。2010年には、5月に二つのアートフェア(※2)があるし、8月にはここまでの動きを総括するようなプロジェクトも控えている。
 また、このような流れと並行して、複数の新進ギャラリー(Super Window Project & Gallery、0000など)、WEB(&ART、AMeeTなど)、グループ(hanare、RAD)が立ち上げられている(※3)。4年連続して京都所縁の作家がVOCA賞を獲り、この地のつくり手は前にも増して注目を集めているように思う。さらに、手前味噌ではあるが、京都芸術センターも、こと美術の企画展に関しては少しずつ評価を高めてきている。

 コンテンポラリー・アートの世界の、ギリギリの端っこでは、いつも価値観のカオスが揺らめいている。知性と、マネーと、美しさと、狂気と。それらが押し合いへしあいし、たとえばじゃんけんをするとして敗者が勝者を殴り倒して我を通す様な無茶をしながら、時折、作品というものが生まれ落ちてくる。
 アートの面白さの一端は、それが無目的で際限のない純粋な実験である、というところにある。そこからは、空間、時間、関係性一般についての新しい把握が現れる。社会についての、政治についての、我々の生活に対しての新しいアイデアが生まれ得る。
 その意味において、僕は、京都のアートシーンの新たな熱量を喜ばずにはいられない。

 もちろんこれまでにも、京都では、現代美術のシーンを巡って様々な試みがなされてきた。ギャラリー16等の画廊、ダムタイプや中原浩大らの活躍は特筆すべきものであるし、近年では京都造形芸大の派手な動き、Kyoto Art Mapの息の長い取組も挙げられるだろう。その意味では、この数年でことさら状況が変わったとは言えない。京都で、コレクターが急に増えたとか、文化芸術に理解を示す人が激増したとか、そういう統計はもちろんない。あるいは、僕と同世代の人々がある程度の規模の仕事ができるようになり、個人的に色々な動きが目につく、というそれだけのことなのかも知れない。今やられていることは、概ね、既にやられたことだ、とも言えるだろう。それぞれの世代は、それぞれの世代なりに、いつも熱を帯びてきたのであろうとは思う。

 少しこれまでと違うのではないか、と感じるのは、京都と外との往還が、これまで以上にビビッドなものに思えるからだ。東北や九州から人が来る。東京風のやり方が京都に流れ込む。京都で育った人材が、他都市や世界に出て、また戻ってくる。京都の作法、デザインが各地でまた別の成果を生み出す。そういったことが起こっているのではないかと漠然と感じるのだ。

 大きなエネルギーが動くには、一般に、静と動、両方の力が必要になる。
 京都には、待庵の黒楽茶碗を極とするような「静のエネルギー」はあるだろう。夜遅くまで知り合いの家で飲みフラフラと歩いて帰るような生活が、また、流動性の小さい関係の中、独自の流儀で一つのことをやり続けるようなことが、京都では許容される。そのような一種隔絶した土地柄が、この場所にはある。(それはのんびりしているとも言えるが、停滞しているとも言えるだろう。)
 しかし、現在の京都は、幾分「動の力」を欠いているのではないかと思う。古代、中世、近世、近代のそれぞれに見られた、度を越した出来事が、今の京都にはない。そのせいで、底に徹したオルタナティブになり切れていないとするならば、それは残念なことではあろう。
 京都の人々は、他府県の方はよくは御存知ないかも知れないが、恐ろしくプライドが高い。死ぬ程プライドが高い。それはよく言われることだが、本当のところ、巷の噂を二割増しして考えるくらいで丁度目方が合う。よそさんのやらはることはよう分からしまへん、とか何とか言いながら、彼らは、外部からの来訪者を迎え、いなし、取捨選択しながら、それもまた一つの京都にしてしまうことだろう。東京風のやり方も、それはそれとすることだろう。京都の持つ静の力とはそのようなものだ。
 これを動かせる「動のエネルギー」があるとすれば、それはカオスの淵から立ち上るものでしかあるまい。

 外部との往還が爆発的な荒々しい力を生む火種になる、という漠然とした期待を、昨今の京都に感じる。単に面白いだけではない、加茂川の、東山の、細い路地の所作がスタンダード・オルタナティブになる、その始まりとしての出来事。

 あるいは、そのような期待は危険なものであるかも知れない。最近の流れは、よくある、アート業界の徒な花に過ぎないという見方もあるだろう。京都の特長をスポイルしかねない、積極的に忌避すべき事態だという考えもあるかも知れない。著名人との交友が自慢気に語られ、若い作家が、就職活動をする学生のようにポートフォリオを振り回す。キュレーターが、金とメディアの話しかしない...。最近の様々な動きに、スタイリッシュで効果的であることがいつも求められているような、あくせくとしたものを見ることは難しくない。
 が、そのような浮き足立ったものはいずれ切って落とされると、僕の京都への信仰は告げている。この土地はそれ程甘くもない。この数年の京都アート・シーンの熱量が確かなものなら、炭に点いた火のように、適当で手を抜いた脂どもを絞り落としつつ、それは長く熱く燃えることだろう。

 2010年のアートの発熱が、狡猾な京都の静的摩擦特性を振り切り、京都を超え出て行くこと。今一度、この場所に、北野の大茶会や、豊国寺の大風流のような、度を外れた狼狽を持ち込むこと。それをこそ、僕は望むのだ。

ハラトモハル


 ※1 京都オープンスタジオ2010 http://kyoto-openstudio.jimdo.com/
 ※2 アートフェア京都 http://www.artfairkyoto.com/
    アートフェア<超京都>
 ※3 Super Window Project & Gallery  http://www.superwindowproject.com/
    0000 http://www.0000arts.com/
    &ART  http://www.andart.jp/
    AMeeT http://www.ameet.jp/

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