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淡水録

原 智治/Tomoharu Hara

1980年、京都市生。大学で画像情報システムを専攻。卒業後、メーカー勤務を経て、京都市入庁。現在は文化行政を担当。

Tomoharu Hara was born in 1980. He graduated from university where he majored in Image Information System. Tomoharu is currently works for Kyoto City, reforming the city's public hospitals.

[淡水録] vol.23 ヒップホップのハード・コア(1)

2009.10.08

 もしも、あなたが、思想や生活や行為において、どこかに行き詰まりを感じるなら、あなたはヒップホップのことを考えるべきである。ハードでざらついた、少し未来のヒップホップのことを。

 ヒップホップは、1970年代初頭のブロンクスを揺りかごに、主として、黒人とヒスパニックにより育て上げられた。ヒップホップを奏でた最初の一群は、青空の下の公園で、あるいは真夜中のダンスホールで、クレイジーな実験としてそれを行った。グラフィティとブレイクダンスとを巻き込み、やがてヒップホップは一つの"態度"として成立する。
 ヒップホップは、そのコア・イメージに闘争を含んでいる。
 ヒップホップは、マネーと、ドラッグと、血の歴史を刻み、それでもなお、ドラスティックな自由を、ゲリラとしての、呪術としての、非正規な自由を加速させる。

 書というものがある。書家・石川九楊によれば、書とは「他者、世界や自然に立ち向かう力」を中心軸とする表現である。
 中国の書は、その苛烈さにおいて、日本のそれとはかけ離れている。天から真っ直ぐに、筆の尖り(自己)を紙(世界)に突き立てる、その覚悟の跡は、彼の国が、否応なく政治の国であることを示す。一方、日本には政治がない、と石川は言う。そこには"天"という概念がなく、ただ薄明のもやの中に立つような、無言の合意だけがある。中国という磁場に鑑みるとき、ひらひらと舞い散る紅葉の、その赤のトーンの一瞬の翻りが、ただただ日本なのである。
 この、中国と日本のグラデーションの中に、グラフィティを置くとき、それはどのように見えるであろう。
 グラフィティは、自己の存在証明であり、美の発露であり、マニフェストであろう。闇の中、ライターが素早い仕草でタグを描くとき、そこにはエス(欲求、衝動)とイド(規範)のせめぎあいの中でエゴが鋭く立ち現れる。中国の政治観が、天を頂とする階層的なものであり、日本のそれが、虚を中心とする同心円的なものであるとするならば、ヒップホップは、あくまで人間・私を起点とする。世界に対する、カウンターとしての、私のボム。
 グラフィティは、その意味でユマニズムである。

 グラフィティは、戦略的に匿名的であり、身体的であるにも拘わらず時空を超えて遍在する。顔も知らぬ者への親密なメッセージであると同時に、公的空間を私的空間に還元する不穏なサインである。
 ドキュメンタリー『ワイルド・スタイル』には、NYの地下から、カラフルに彩られた巨大な鉄の塊が、高速で地上へ躍り出る様が記録されている。それは、ただ人間・私の、天と地に仕掛けた変革の爆弾のように見える。
 人々はそれを無視する。人々はそれを嫌悪する。人々はそれを賞賛する。何故なら、グラフィティが、一瞬にして一切を塗り替えるからである。

 ヒップホップは、そのコア・イメージに闘争を含んでいる。

(つづく)

ハラトモハル

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