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地球日誌

熊倉敬聡/Takaaki Kumakura

慶応義塾大学理工学部教授。新たな学(び)のあり方に関係し様々な研究・企画を行う。現在フランスのパリを拠点に研究中。著書に『美術特殊C』、『脱芸術/脱資本主義』等。

Takaaki Kumakura is a professor at Keio University. His research theme includes new and experimental education. He currently lives in France for his research project.

[地球日誌] vol.07 インド旅行記(2)

2009.04.07


〈2月24日〉
 朝食後、Kiranのお父さんが創設したという公立のインターナショナル・スクールの見学に向かう。非常に近代的な設備に驚く。すべての授業は英語で行われているという。子供たちの目が輝いている。学校の食堂で昼食。何百人という生徒が同時に食事をするため、巨大な食堂だ。我々だけ、一足先に、ご馳走になる。使用人の女性たちが、サービスしてくれる。英語で話しかけてみるが、伝わらないようだ。インドでは、どうやらこうした「公立」の学校で教育を受けられるのは、一部の階級の子女にとどまり、法律的に「カースト制」が廃止されたとはいえ、その現実は歴然と残っているようだ。路上で暮らしている人たちは、「人間」の顔形をしているが、もしかすると生まれてからずっと路上で暮らしていて、言語すらまともに話せないかもしれない。「教育」の機会などに一切恵まれていないかもしれない。

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 昼食後、学校見学に同道してくれていた「文学者」であり「哲学者」でもあるという男性の自宅に向かう。これから半日、2~3人のグループに分かれ、家庭訪問。次々に、訪問を受け入れてくれる人たちがやってくる。私は、他二人と、二人の男性に案内されることになる。
 ある聖者が運営しているという音楽学校を見学し、二人の男性の友人であるというケニア出身の女性宅でチャイをご馳走になったあと、海岸沿いのジャイナ教寺院を見学する。夕食は、二人のうち建築家であるという男性の自宅でご馳走になる。そのお母さんが作ってくれた家庭料理がすこぶる美味しい。
 夕食後、Tithalの町の中心部のある建物に連れて行かれる。中では、何やら儀式を行っているようだ。入ると、見知った顔が並んでいる。中央では乾燥した牛糞に火がたかれ、その周りで地元の青年たちが様々な鐘を叩きながら、祈祷の文句を歌い上げている。傍らの祭壇には、色とりどりの果物や花が捧げられている。ジャイナ教の儀式であろうか。3~4人ずつ順番に火のそばに坐らされ、「魂の浄化」の儀礼を受ける。炎と煙に煽られながら、各自勺でバターを火に注ぎ、ゴマと何かが混じったものを一つまみづつ火に放っていく。それこそ「護摩を焚く」原点だろうか。

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 全員が「浄化」されて、儀式は終了する。
 その後は、背後の舞台で、インドでも一際人気の高いという伝統音楽グループの歌唱を聴く。特別に、ここまで来てくれたとのこと。複雑な唱法とトランスがこちらの体と魂をも揺さぶる。
 高揚しつつ、深夜に帰宅。

〈2月25日〉
 午前中、オーガニック農場の見学。「文学者=哲学者」が、我々のグループを紹介するとともに農場の試みを称えているらしい(現地の言葉なのでよくわからない)。子供たちの歌・踊りで歓待される。質疑応答、Kiranが代表して、現地の言葉でフランスのオーガニック農業の事情などを答えているらしい。
 その後、我々のために設えてくれたらしいポスター展示や陳列物をみるが、ポスターは現地の言葉なので、全くわからない。英語が多少できる人が少し説明してくれたり、Kiranが通訳してくれたりして、だいたいのことがわかる。牛糞・蜂蜜・牛乳・バター・ココナッツミルクなどを混ぜて、天然の駆除剤を発明したり、牛糞・藁・土の中でミミズを飼い、「ミミズ・バンク」として農民に配給していたりするらしい。
 一通りの説明とやり取りが終わった後、その場で昼食に。地面に座り、椰子の葉を皿代わりに、いろんな食べ物が盛り込まれる。多少衛生が気になるが、思い切って皆食べる。その後別段、誰も何ともなかったようだ。

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 午後は、ガンジーの謂れのある場所を巡る。有名な「塩の行進」――イギリス統治による塩の専売制度に抗議するため、ガンジーがグジャラート州のダンディー海岸まで約380キロを行進し、浜で塩と泥の塊を掲げる。この象徴的行為が、インド中に非暴力不服従運動を引き起こし、最終的にはインドの独立につながる全国的な抗議運動に発展した――の後、しばらく住処としたあばら家が再現され展示されている学校(こちらもKiranのお父さんが創設者)を訪れる。ココナッツの葉で覆われただけの文字通りのあばら家。ここで、ガンジーは、1930年5月、イギリス統治政府に逮捕される。

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 次に、ガンジーが実際に塩を採ったという記念碑に向かう。現在は海岸線が遠のき、海が臨めない。記念館もあり、資料が展示されているが、管理がかなり杜撰。

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 夕食前、といってももう8時近いが、砂糖工場の見学。非人間的な労働環境――機械の騒音、異様な臭い、そして何よりも暑さに一同唖然とする。ひどいときには48度くらいになるという。機械油などで不気味に黒光りする機械にもはや同化してしまったかのような無表情な工員たち。言葉を失う。

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[地球日誌] vol.07 インド旅行記(1)

2009.03.29


 パリの自宅から歩いて10分ほどのところに、Tapovanというヨガとアユルヴェーダのセンターがある。私は、そこに毎週、ヨガに通っているが、そこが2月から3月にかけてインドのヨガやアユルヴェーダに関する施設などを巡るツアーを企画した。絶好の機会なので、参加した。以下は、その旅行記である。


〈2月22日〉
 ムンバイ(旧名称:ボンベイ)空港。初めての光景。何が初めてか。雑然とした感じはバクー空港に似ていなくもないが、それとも違う。あちこち工事中のように見えるが、もしかするとつねに工事中なのかもしれない。工事"中"のはずなのに、工事独特の活気が感じられないのだ。床のあちこちに埃の塊があるが、これも掃除"中"なのだろうか。もしかすると、この国には「完成」という概念がないのかもしれない。つねにすべてが"中"なのであり、生々流転しているだけ、世界をそうとしか捉えていないのかもしれない。空港もまた。
 そして、何よりもこの匂い。町は、土地は、それぞれ固有の匂いをもっているが、この匂いはやはり初めてのカテゴリーだ。不透明で厚い。強烈だが豊潤。極端に不快な匂いから極端に心地よい匂いまでが渾然としている。しかも、移動するにつれ、目まぐるしく匂いの地図が変わっていく。
 人々の表情。バクーのように人相は悪くないが、どこか掴みどころがない。まだ朝の4時過ぎだからかもしれないが、あまり生気が感じられず、まどろんでいるような手ごたえのなさ。
 空港から最初の訪問地TithalのShantiniketan Ashramへ。4時間かかるらしい。迎えの車2台に10人が分乗。男は私一人。
 まだ未明で判然としないが、一応「高速道路」のような道路沿いには、スラムが延々と続く。辛うじて力強く生きている感触が、車で走っていても伝わってくる。こうして車で飛ばしていても、次から次へと予想外の強烈な匂いが押し寄せる。中でも、腐敗があまりに長年続きすぎ腐敗を通り越してしまったような匂いが随所でする。
 「象よ!」と同乗者の一人が子供のように叫ぶ。「高速道路」の路肩をゆったりと歩いている。牛や鶏も時折見かける。それにしても、運転手はクラクションを鳴らしっぱなし。「どけどけどけーー」といった調子で、次から次へと猛スピードで追い越していく。イスタンブールやバクーの運転もアナーキーだったが、ここインドも別様にアナーキーだ。とにかく目の前の邪魔なあらゆるもの(大型トラックから人間や牛まで)を根こそぎ追い越さないと気がすまないようだ。
 4時間後(100キロ以上出していたから東京から京都くらいまでの距離を疾走したか)、Ashramに何とか到着。町外れの精神的・宗教的小宇宙といった趣き。予想より敷地が狭い。縦横100メートルくらいか。中心にジャイナ教の寺院、周りに宿舎や、今のところ用途のわからない建物数棟。このAshramの指導者KirtijiとTapovanの指導者Kiranに出迎えられる。二人とも60歳後半くらいだろうか。いい顔をしている。峻厳というよりも寛容を体現しているかのよう。部屋が割り当てられ、私は9番の部屋に。二人部屋だが一人使用でいいようだ。ごく質素で古ぼけていて設備も最低限だが、フルーツやミネラルウォーターが置かれていて、心遣いが感じられる。(が、フルーツには早細かい蟻の行列ができている。)

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 朝食、休息、昼食。食事はヴェジェタリアン。乳製品は出てくる。それぞれにスパイスが効いているが、思ったほど極端に辛いものはない。「外国人」用に手加減してくれているのか。それにしても、次から次へとサービスしてくれる。文字通りの「歓待」だ。こちらから断らないと、すぐお代わりを注がれてしまう。この「歓待」、慣習的なものなのか純粋な心遣いなのか定かでない。おそらく両方なのだろう。
 昼食後、しばし部屋で休息。夕方にホールに集まってさっそくヨガ。しかし、長い飛行機の旅に気遣ってくれ、横たわりながら主に腰や背中のコリをとる、リラクゼーション中心のヨガ。Kirtijiのヨガの指導の前に、Kiranがインドでヨガとは何を意味するかを簡単にレクチャーしてくれる。特に、インドは、その長い歴史の中で、絶えず外的な物質的な発展とともに内的な精神的な発展をも求めてきたこと。そして、ヨガは、いかなる宗教にも属さない、ヒンズー教からもジャイナ教からも仏教からも独立した一つの哲学であり科学である、という指摘が印象に残った。長旅の疲れで、ヨガの前半はまどろみと夢と「現実」の間をたゆたっていた。
 その後、敷地内の寺院の見学。ジャイナ教の聖人たちの彫像三体が祀られている。仏像と非常に似ているが、違うという。現に、手のムドラーが違うと示される。中心の漆黒の大理石に彫られた彫像が特に印象的。生と宇宙の根源的な力=クンダリニを表すコブラで背後から覆われている。漆黒の艶に濃厚なエロスが香る。

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 さらに寺院の地下と、寺院の隣、聖なる山を象った「楽園」の地下の二箇所に、「真剣に」祈りを捧げ瞑想に励む者たちのための礼拝室がある。キリスト教教会の地下礼拝堂の構造と似ている。寺院の上層部が、気軽に誰でもが出入りする場所であるのに対し、地下礼拝室=瞑想室は、基本的に長時間礼拝し瞑想する者のためということだ。といっても、上層部同様、夕方のこの時間、ひっきりなしに近所から人々(子供連れも多い)がやってくる。宗教が生活に生きている。
 夕食。ジャイナ教では、日暮れ以降は食物を口にしないようだが、我々が外国人でありジャイナ教徒でもなく、時差もあることから、例外的に夕闇に包まれながらいただく。臨機応変な心遣いだ。
 夕食後、そのまま敷地内のミュージアムの見学。二年前にできたこのミュージアムは、主にKirtijiのジャイナ教の彫像のコレクションと、写真好きの彼自身が撮ったという、インド国内の主要なジャイナ教寺院の写真の展示からなっている。規模は小さいながらも、これだけのもの(中には純金の?彫像もあった)を集めたのだから、資財はあるのだろう。聖人たちの坐像もさることながら、さまざまな姿態を艶かしく踊る女たちの彫像に、エロスの大らかな肯定を確認する。
 

〈2月23日〉
 朝食の後、町にショッピングに行く一行に付き合う。「リキシャ」とフランス人たちが呼ぶバイクに座席をつけたタクシーに分乗する。生々しい震動が全身の感覚を高揚させる。人々の生活を掠めながら、排気ガスを浴びながら、町中へと入り込んでいく。信号も横断歩道も道路標識も何もなく、動物からトラックまでがどこまでもマイペースに、しかし微妙に接触を回避しながら、すべてが流動している。どうやら、交通法規などなくとも、大して怪我人(動物)も死人(動物)も出ないらしい。カオスとしかみえない秩序。
 女性たちがお目当てのサリーやチュニックを売る(この町では高級店らしき)店に入る。私も最初は物珍しく何となく付き合うが、やがて飽きて、外に出る。とにかく、通りを通る乗り物・人・動物のスピードがばらばらなのだ。普通、都市や町では、ある程度一定のスピードに揃ってそれらのものが行き交うはずだが、ここではそれがない。皆まったく思い思いに自分や乗り物を移動させている。一応道路なので、「方向」はあるが、もちろん車線や歩道などないので、微妙に多様な角度で動く、止まる。見飽きない。
 ほとんどの女性たちが、大量にサリーやチュニックやアクセサリーを買う中、蚊よけクリーム以外何も買わずに、アシュラムに戻る。
 昼食後、昼寝の後、午後4時からホールでヨガのはずが、プログラムが変わり、Kirtijiとの質疑応答になり、その後は近くの浜辺に沈む夕日がきれいだからと、皆でそれを見に行ってはということになる。
 そう、驚くべきことに、このアシュラムについてから、プログラムがころころ変わっていくのだ。一応、前もってプログラムが組んであるのだが、それがおそらくはいろいろな内的外的事情からだろうが(たとえば、これまでそしてこれからもKirtijiとあまり質疑応答時間が取れないからとか、日没が何時間後だからとか)、刻々と変えられていくのだ。私ももともと「プログラム」や「シラバス」が嫌いな方だから、むしろ大歓迎なのだが、それにしてもごく当たり前であるかのように変わっていく。これも、森羅万象の永遠なる生々流転の中で生きるインド人には「日常」のやり方に過ぎないのだろう。
 Kirtijiとの質疑応答の中で、彼がヨガを自由と平和を求めるart de vivreと捉えている点、そしてヨガを一言で表すなら、「人生そのものがヨガ」であるというスリ・オロビンドの言葉に集約されると言う点に、大いに首肯した。
 その後、予定通り(?)皆で近くの砂浜に向かう。人生初めてのアラビア海だ。(それにしても、この半年で人生初めての海が三つ目だ。夏のユーラシア大陸横断時の黒海とカスピ海に続く。)ごく遠浅の黒っぽい砂浜がかなりの沖まで広がっている。粘土に近いほど細かい砂だ。ヤドカリや貝やカニが砂から顔を出したり穴に潜ったりしている。遠浅すぎるのか、泳いでいる者は誰もいない。日光浴している者も誰もいない。習慣がないのか。辛うじて水面に映る日暮れの写真を何枚か撮る。

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 その後は、毎日アシュラムで我々の世話を焼いてくれているインド人医師夫婦の家でアイスクリームを食べるというので、皆で向かう。夫は60代後半、妻は前半だろうか、かなりのお金持ちらしい。アメリカとインド間を、仕事や生活の関係で行き来しているらしい。家は、それほど大きくもなく家具調度なども質素だが、おそらくこの国ではかなりの裕福度だろう。ピスタッチオとマンゴーのアイスが、ごく自然な味で美味。インドではこうしたお金持ちが文字通り「奉仕」としてあるいは「寄進」として、物理的精神的にこの種の宗教施設あるいは精神的共同体を支えているらしい(我々に食事まで給仕してくれたり、ショッピングのアテンド兼通訳まで買って出てくれる)。彼らはごく当然のこととして、行っている様子。今の日本などではほとんど考えられない羨ましくもある状況。まさに「檀家」と「寺社」の"正しい"関係を見た気がした。
 Tapovanの女性スタッフの一人が今日誕生日とかで、蝋燭2本ながら、簡単なお祝いをする。インドでは、蝋燭は点けたら吹き消さないとのこと。炎を生命の象徴と考えれば、その方が論理的かもしれない。インドでは、このように「なるほどもっとも」と思うことが多い。Kirtijiの、通常誕生日は一年に一回だけだが、生きるということは毎日毎日が誕生日なのだ。そう思えば、毎日毎日を新鮮な心持ちで送ることができる、という言葉が印象に残った。
 アシュラムに戻って夕食。ノルマンディのTapovanの料理人(インド人)が到着していて、今日は誕生日のために特別手を振るったという。コーンスープなど極めて繊細な味付け。やさしい。こんなにやさしい味の料理は食べたことがない。脱帽。料理人の"精神性"と慈愛がこめられている。
 夕食後、このアシュラムに謂れのある僧侶たちのポートレートが飾られている庭の一角で誕生日の儀式。Kirtijiがクリスタルの数珠と象を象った小さな像を贈る。私の背後では、刺すと痛いという赤蟻たちが、電灯に群がっている。

[地球日誌] vol.06 Plum village滞在記(4)

2009.03.22


《7日目》

 実質的最終日。朝ベッドから出ると、妙に冷え込んでいる。ヒーターに触ると、何と冷たい。まだ5時過ぎなので、タイマーか何かで停止しているのではないかと思う。が、廊下やシャワー室のヒーターも止まっている。訝りながら、食堂に向かう。朝食の時間を勘違いしたらしく、まだ誰もいない。手持ち無沙汰なので、ジャスミンティを作っていると、台所で人が足りないので、手伝ってくれという。キッチンに初めて入る。学校並みに大きい。リンゴを切るのを手伝う。外に置いてあったリンゴは氷のように冷たく、切っていると手がかじかんでくる。
 朝食。今日も控えめに。自分で切ったリンゴが、ひときわ感慨深い。7時から働くメディテーション。いろいろな片づけや掃除。食堂のクリスマスの飾り付けを外すのを手伝う。このサンガはキリストも尊んでいるようだ。
 8時半から、メディテーション・ホールで坐るメディテーション。今日は、この間の日曜同様、Village中の僧と在家が集まっている。ティク・ナット・ハンの講話。今日はノートをもってくるのを忘れたので、覚えているかぎりの概略。
 「十の善き行い」のうち、言葉に関する四つ「嘘をつかない」「大げさに言わない」「二枚舌を使わない」「罵らない」について。特に一つ目の「嘘をつかない」については、常に真実を言うのがもちろん大切だが、真実を言ったことで相手が必要以上に傷ついたり、場合によっては命を落としてしまったりしては、何にもならない。だから、真実を言うときでも、その言い方(art)を工夫しなくてはならない。常に相手を慮る言い方を心がけるべきである。という指摘には首肯した。
 次に日曜日の続き、「超心理学」について。仏教では言葉の意味は「仮」像とみなし、意味的二項対立(存在/非存在など)を超えた"空"にこそ、真実を見出す。そうした二項対立に基礎を置く「標準道徳学」を超えた「超道徳学」をこそ実践しなくてはならない。にもかかわらず、人はしばしば言葉の意味で(たとえそれが「真実」であっても)相手を傷つけてしまう。だから、真実を言うときも前述のように常に意味を超えた慮りをもって言わなくてはならない。
 11時から歩くメディテーション。とにかく寒いので、靴下も二重に履き臨むが、それでもすぐに全身がかじかんでくる。それを慮ったのか、先導する者が小走りを始めたようだ。2~3分ジョギングのようなことをするが、止めると見る見るうちに冷えてくる。途中、見晴らしのいいところで休憩というより止まって瞑想するが、この寒いのに地面に座ったり寝そべったりする人もいて、寒さを超越しているのか、単に寒さに対する感覚が違うのか、感心するとともに呆れる。その後、丹田に精神を集中していくと、寒さが他人事のような感覚になってくる。いずれにしても、結果的にはまたも冷え切って部屋に戻る。さっそく熱いシャワーを浴びるが、体中が凍え切り、しかも箇所により温度が違うので、どの感覚が「本当」なのかわからず、というよりすべての感覚が「本当」であるので、体感温度など実に相対的なものだと痛感する。

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 昼食。日曜同様、Village中の人がいるので、メディテーション・ホールで。ただし今日はインフォーマル。といっても、もちろん全員揃うまで待つ。せっかく温かかったものが見る見るうちに冷めていく。食事開始の鐘。見ると、やはりティク・ナット・ハンを含めた「高僧」のみ、別献立でしかも湯気が立っている!???
 今日は売店が開いているので、ティク・ナット・ハンの本を買いに行く。彼が自分の初恋を語っているという « L'esprit d'amour »(『愛の心』)を選ぶ。部屋に戻り、しかし暖房なしで冷え切っているので、ベッドに入り読み始めるが、やがて居眠りしてしまう。
 5時少し前、このあいだ日曜に出会ったフランス人Carlに自分の宿舎にお茶を飲みに来ないかと誘われていたので、散歩道途中の見晴らしのいいところをさらに下り、初めての宿舎に向かう。こんなところにも施設があるとは知らなかった。
 サロンで、ヴェトナムで買ったというウーロン茶をご馳走になる。かなりいい茶だ。暖炉の火が実に心地よい。傍らで、猫が丸くなって寝ている。Carl以外のフランス人ともいろいろ話す。場所が場所だけに、日本の仏教、禅、文化に興味を持っている人が多い。例のように、マンガ、宮崎駿のアニメの大ファンだという青年がいる。
 宿舎でそのまま夕食をとることにする。暖炉の前でCarlと二人で食べる。こちらがユーラシアの旅の話をし始めると、彼は何と10年も旅をし続けたとか! 上には上がいるものだ。チベット、モンゴル、タイ、日本...、文字通り世界中を放浪したらしい。常に何かを貪欲に追い求めていたようだ。途中から、パリ近郊で小さいサンガを運営しているという青年も加わる。彼はなぜか日本でサンガを作るのが夢だとか。スイスのレジデンス([地球日誌] vol.04 Silent Shadowsを参照)の運営メンバーの一人に教わった岡山の曹源寺の話も出る。皆、心の底から言葉を発し、(フランスでは特に必要な)駆け引きや論争のテクニックを使わなくて済むので、清々しい。
 8時半過ぎ、お暇する。Carlに、日本に来たら連絡をくれるように告げる。外に出ると、妙に明るい。月明かりだ。半月と満月の中間程度だが、周りに全く明かりがないのと、おそらく空気が澄んでいるせいで、懐中電灯など必要ないほど明るい。木々の影がくっきりと地面に浮かぶ。満天の星空。またも、見知らぬ土地を一人で黙々と歩いている。なぜ、こういう"在り方"が好きなのだろう。寒く薄暗い山の中で怯えないことはないが、同時にこういう"在り方"を満喫している自分がいる。途中、やにわに猫が駆け寄ってきたときにはさすがに仰天したが、迷うこともなく部屋に戻る。
 暖炉の遠赤外線効果か、体の芯がほんのり温かい。が、やはり熱いシャワーを浴びたい。ところが、お湯が出ない! ヒーターに続き、ついに給湯までパンク。唖然としながら、手を切るような水で歯だけ磨き、冷え切った部屋の中、冷え切った布団に入る。重ね着し、頭にはマフラーを巻き、わずかに布団から片手だけ出しながら、本を読む。昔、フランス留学時代、下宿先の部屋もやはり申し訳程度の暖房しかなく、同じような姿勢で本を読んでいたことを思い出す。お茶をかなり飲んだのと、寒いせいか、なかなか眠くならない。けっこう本を読んでから、11時過ぎにようやく消灯するが、頭だけ異様に寒いので、寝付けない。



《8日目》

 ついに帰宅する日。シャワーを浴びれないので、そのまま朝食に。
 部屋に戻り、一時間坐ったあと、部屋の掃除。次に使う人のことを思いながら、丁寧に掃除する。出発まで少し時間があるので、庭を歩いて瞑想。12時過ぎ、Villageを出る。

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《滞在を終えていくつか思うこと》

〈「食道」は可能か?〉
 食べる瞑想。食べているもの、食べていることに十全に気づきながら、味わい尽くす。当然、十全な気づきを遮り覆うあらゆる記号的なものは排除される。沈黙の中で、ゆっくりと何度も何度も咀嚼し、食べることの豊かさ・複雑さ・驚きを、口のみならず全身で感得する。しかし、食べる瞑想は、単なる精神集中したテイスティングではない。そうして味わい尽くしながら、食べることにまつわる「縁起=inter-being」にも思いをいたす。この野菜が、ここ=私の口に出会うことを可能にした、あらゆるもの・人――注いだ太陽、潤いを与えた水、根を支え滋養をもたらした土、手間暇をかけて育てた生産者、遠くから運んできた輸送業者、心をこめて調理した料理人...。無数の野菜の中からこの野菜が、無数の人間の中からこの私に出会うという"奇跡"。その奇跡に深く感謝しつつ、その奇跡を存分に味わう。
 ヴェトナム風精進料理。その多様性と質は、心の集中に十分応えうるものだった。おそらく同様の集中をもって、料理人は調理したことだろう。その心も伝わってくる。確かに仏教は、最重要な戒律に「殺すなかれ」、つまり生き物の命を奪ってはならないという戒めがあるがゆえに、通常菜食に徹する。しかし、仏教はまた、命の存在をいわゆる「動物」のみならず「植物」にも、そして「鉱物」にさえ認める。したがって、もし「殺すなかれ」を文字通りすべての生命の尊重と捉えれば、人間はいかなる動・植・鉱物をも摂取できなくなってしまう。
 仏教が説くように、人間もまた宇宙の大いなる縁起の中で生かされている。その命の縁起の中で、究極的には「動物」「植物」「鉱物」という「科学的」(?)弁別は意味を持たなくなるのではないか?たとえば、「植物」が存在し得ない環境、北極圏に暮らすイヌイットの人たちにヴェジェタリアンたれ、というのは、彼らの生命を維持する生態系に根本的に反することではないか?現にダライラマ14世でさえ、自分が生まれ育った生態系・食的伝統の中では菜食は健康を害するがゆえに肉食を取り入れざるを得なかったと自伝で告白している。
 要は、「動物」「植物」「鉱物」といった記号的分節のみに捕らわれることなく、自らが生まれ育った生態系・食的環境の中で、いたずらに他の生命を犠牲にすることなく、自らの食するもの=命に生かされていることに深く感謝しつつ食べることこそ重要なのではないか。
 食の"道"、"食道"があるとすれば、精神を集中し味わうこともさることながら、その堪能を通して、この命の縁起に深く思いいたし感謝することにあるのではないか。

〈Sexual meditation?〉
 滞在中、2回のシェアリングに参加したが、Thâyが講話で「第3の教え」(不適当な性的関係を戒める教え)について話し合うよう促したこともあり、二度とも「性」に関する発言が多くを占めた。そこで、私を含め、性的関係は相応しいパートナーと営まれるとき、生の悦びを妨げるどころかむしろそれを最大限に味わいうる貴重な機会であると発言する者がかなりいた。それは「祈り」に等しいという者さえいた。
 食べる瞑想が、食べるという快楽に耽溺し尽くすことなく絶えず十全な意識の目覚めをもちつつ生の悦びを体感しうるように、性行為においても同様の瞑想が可能なのではないか?それはややもすると食的体験よりも強度が強いゆえに快楽への耽溺の危険度が高いにもかかわらず、あるいはそうであるがゆえに、生の悦びをより強烈に経験しうる特権的な機会でもあるのではなかろうか?
多くの仏教の宗派が性的禁欲を奨励するのに対し、タントリズム(の流れを汲むある種の仏教)は、性の瞑想を解脱にいたる最も重要な道と考える。単なる快楽への耽溺に終わらぬよう、タントリズムは複雑で深遠な瞑想の技法(art)を開発した。呼吸と思考と精液の「止」により、強烈な快楽の中でも限りなく目覚め、パートナーとの宇宙的気の交感により解脱へといたる。
もちろん、Thâyは、性的関係そのものを(少なくとも在家に関しては)禁じているわけではない。現に、Plum Villageでもカップルの同室での滞在を認めているし、ドイツには結婚を控えたカップルに婚姻生活でいかにmindfulnessと幸福を実現するかを説く「幸福研究所」さえあるという。しかし、少なくとも、今回の滞在期間中、そして私の読書の範囲内では、ThâyそしてPlum Villageは、性を重要な瞑想の機会と捉える思想をもっているようには見受けられなかった。おそらくそれを意識的無意識的に感じていたからこそ、何人かが、シェアリングの際、上記の内容の発言をしたのだろう。
個人が生きることの、そして何よりも生命の根源とさえいえる生殖ないし性。それをあえて瞑想の機会としては排除するところに、もしかすると仏教の大いなる逆説が隠されているのかもしれない。

〈踊りながら"止まる"ことは可能か?〉
 Thâyの禅の思想の根幹は、日常生活のあらゆる行為を、絶えず呼吸への、「いまここ」への気づき=mindfulnessをもって行うことである。そして、そのmindfulnessが即幸福であると説く。その思想はだから「汎瞑想論」=「汎幸福論」といえる。
 前述のように、汎瞑想論は、シャワー、洗面、用足しといった些細な(?)日常の行為にも及ぶ。坐る瞑想といった精神集中が比較的しやすい場面と比べ、こうした「些細な」行為は、ふだんの「自動性」が高いために、ややもすると十全な自覚なきまま「流して」しまうことになりかねない。そこで、Villageでは具体的な方策として、"止まる"ことを奨励している。鐘や時計のチャイムが鳴ったとき、何を行っていようがとにかく"止まる"のだ。食事をしていても話していても皿を洗っていても、とにかく鳴ると瞬時に全員が"止まる"。それは、最初はなはだ奇妙な所作に映ったが、慣れると自分も何をしていようが"止まり"、呼吸への気づきに戻れる。もちろん、こんな手段を使わずとも、絶えず mindfulnessの状態でい続けられることこそ、修行であろう。しかし、人間の心身のハビトゥスは深く執拗なもの。つい心も体も、mindfulnessから脱落してしまいがち。だから"止"。

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 ヴィパッサナー瞑想は、その"止"を極限まで推し進める。長時間坐ることで(一日10~12時間!)体の"止"を得るとともに、心の完璧な"止"に至るよう促される。私のような者でさえ、場合によって一時間ほど完璧に心が"止まる"ことを体験する。そのとき、"止まった"心以外の森羅万象が永遠に流転していることをまざまざと実感する。
 しかし、問題は、坐ってばかりいては日常生活が送れない。歩いたり、食べたり、用を足したりしなくてはならないことだ。ヴィパッサナーは、その完璧な"止"をできる限り乱さないよう、そうした日常の所作もできる限り"ゆっくりと"行うことを勧める。走ったり踊ったりなど言語道断。Thâyの方法は、それに比べれば、"ゆるく""あそび"があるので、庭で走る僧侶もいれば、卓球をやっている僧侶さえいた。しかし、基本はそうしたときでもmindfulness、"止"である。はたして人間は、走っていて踊っていて、mindfulnessで、"止"でいられるのだろうか? 少なくとも私の知っている限りのヴィパッサナーは、その点については何も教えてくれなかった。Thâyは、歩くという動作、食べるという動作に関してはかなり具体的な方法を提示してくれるが、事より「激しい」活動に対しては(私の知る限り)積極的な方法を提示してはいない。
 はたして走りながら踊りながら"止まる"ことは可能か?私は昔何年かあるコンテンポラリーダンスのカンパニーのワークショップに通っていたが、その経験からすると、可能だ、といえる。ある種の訓練を積むことにより、物理的には「激しい」動きをしているにもかかわらず、心はいたって安らかであったりする。満身で跳躍していながら、軽やかな静止感に包まれていたりする。おそらく究極的には、"止まる"には物理的な静止は必要ないのだろう。逆に、限りなく激しく動いていても、"止"が乱れない状態こそ、解脱なのかもしれない。
 しかし(私も含め)人間は弱いもの。解脱を成就した者でもない限り、"止まる"には、鐘やチャイムが必要なのだろう。

〈脱宗教的サンガは可能か?〉
 「宗教性」という観点で気になったことが二点。一つは、少ないながらも宗教的儀礼があったこと。特に坐る瞑想では、瞑想の最後に仏陀の像に向かって平伏して祈りを捧げなくてはならなかった(特に小さな瞑想ホールには、なぜか全身ピンクに塗られた「ポップな」仏陀がいた)。もう一つは、Thâyの特権性。食事を共にするときも、彼は高僧らとともに別の献立のものを食べ、特に会衆と交わろうという風でもなかった。また会衆も、彼への尊崇からかあえて近づき話しかけたりする者もいず、弥が上にも彼を聖化する"へだたり"を形成していた。
 それ以外の場面では、逆に、在家は僧侶たちとも(少なくとも日常の場では)自由に交われたり、僧侶たち自身もピンポンやブランコをしたりして、かなり"自由な"雰囲気を醸していた。「厳粛な」禅寺という感じはトンとしなかった。
 これだけ宗教的にも"ゆるい"にもかかわらず、これだけの修道僧と在家が世界各地から集まってくる、その"魅力"はやはりティク・ナット・ハンの「カリスマ性」にあるようだ。解脱者としての彼の行動と言葉の"力"、そしてそれへと共同幻想的に仮構される集団的崇拝が綯い交ぜになった「カリスマ」は、この「サンガ」の最大の求心力だ。それゆえ、こんなヨーロッパの「辺境」にさえ、世界中から人々が引き寄せられてくる。
 こうした「カリスマ」もなく「宗教性」もなく、はたして"サンガ"は可能か?脱宗教的サンガは可能なのか?もし可能だとすれば、そのサンガを動かす思想と方法それ自体に魅力、求心力があるかどうかだろう。それこそ、たとえば私が「三田の家」を通して、あるいはその先に、実現したいことなのではないか。

[地球日誌] vol.06 Plum village滞在記(3)

2009.03.14


《5日目》
 6時過ぎ起床。なんと一面雪景色! 
 朝食。ついパンを取りすぎてしまう。しかも、今日の自家製パン、けっこう「重い」。胃の中が穀物で一杯になり、後悔。
 部屋に戻り、シャワー。6時45分から、坐る瞑想。心がかなり安らいできたのか、あまり雑念が湧かず、久しぶりにかなり「入れる」。5分おきくらいに、鐘と指導の言葉が入るが、それほど気にならない。ただし、30分は短い。せっかく「入り」かけたのに、途絶してしまった。
 9時半から、ベテランの在家のカナダ人男性がPractice of healing/Transformationについて。何かメディテーションをやるのかと思いきや、彼自身の両親をめぐるhealing/transformationの体験談を1時間聞くことになる。感動的な話ではあったが、聴衆のhealingではなく、話している彼自身のhealing practiceであった。ただ、healingのhealがwholeと同じ語源、つまり「全体」を回復すること、という話は面白かった。
 続いて10時45分から歩くメディテーション。一緒に歌を歌うのが嫌だったので、少し遅めに向かうが、少し歌うことに。今日は、このあいだと違ってペアになり、一人が目をつぶり、もう一人がガイドし、視覚以外のあらゆる感覚を開いて、自然を味わうメディテーション。最初にこちらがガイドされる。雪の多様な感触が足の裏を通して伝わってくるとともに、雪を踏みしめる音も刻々と変わる。止まるよう促される。恐る恐る手を伸ばす。枝だ。雪の柔らかい冷たさが手に沁みる。ずっと楽しんでいたいが、悴んでくる。今度は、段があるようだ。導かれて、恐々と、一段一段確かめるように上っていく。上りきると、突然目の前で弱い鐘の音が鳴る。触る。微妙な震動が手に直に伝わってくる。体中に染み渡っていく。体が、心が、洗われていく。
 しばらく砂利道の感触を楽しむ。目を閉じているが、雪の照りで視界がかなり明るい。微妙に変化する。また雪の中に入る。今度はしゃがむよう促される。手を恐る恐る差し伸ばすと、ゴワゴワした手触り。岩のようだ。しばし岩の荒々しい起伏を楽しんでいると、突然冷たい! 雪だ。思わず握り締める。手の中の塊は、ほんの一瞬安らぎを与えてくれた後、手を情け容赦なく悴まらせる。
 終着点に着いたら、今度は役割交替。私が誘導していく。どの地面を通ろうか、何を触らせようかと、かすかな迷いを楽しむ。今回は、手を離して、相手に好きなようにさせてもいいというので、広々とした平地で手を離し踊るなり何なりするよう促す。すると、相手は小刻みに踊りだし、しかもどんどん楽しくなっていくようで、なかなか踊り止めない。彼の中の「少年」が突然目覚めたようだった。
 自室に戻る。全身、特に足先の感覚がないほど冷え切っている。部屋のスチームに足を直につけ温める。
 昼食。いつも通り、鐘の音とともに食べ始める。今日はどちらかというと「ヨーロッパ」風の味付け。久しぶりのトマトソースが懐かしい。炒め煮したセロリ、ズッキーニの味が体に沁みていく。白菜の浅漬け(これは「ヨーロッパ」ではないが)の唐辛子の熱が体を火照らせる。
 2時から、ダルマ(法)のシェアリング。フランス語のグループに加わる。やり方は日曜のシェアリングと同じ。ただし決まったテーマはない。ファシリテーターの促しにより、「自己紹介」的内容から始まる。もちろん話したくない人は話さなくてもいい。私も4回ほど話した。日曜はこの種のことが初めてだったので、話し出すまでに散々逡巡したが、今回は比較的自然に発言できた。それに、ふつうのフランスでの会話と違い、話し終わるまで皆待ってくれるし、すぐさま反論が返ってくることもないので、かえって安心感をもって話せる。テーマは(私が振ったこともあるが)日曜に引き続き、セックスを巡ってが中心を占める。仏教の多くの宗派を含め多くの宗教がセックスを抑圧ないし排除し、生の悦びへの道とみなさないことに、疑問を呈する者が少なからずいた。
 続いて4時から、リラクシング・メディテーション。このあいだ行ったものと同様だが、今回はファシリテーターが異なった。かなり寝てしまった。最後にファシリテーターがいくつか歌を歌ったが、瞑想としてはいかがなものか。
 
《6日目》
 5時起床。5時45分からメディテーション・ホールで坐る瞑想の後、「五つの教え」の朗誦。かなり儀式ばっている。仏陀の像に向かい、床に平伏し祈ったりする。全身凍える(今日は日中でもマイナス5度だったそうだ!)
 凍えをとるため、ヨガ。軽く汗をかく。
 8時から朝食。昨日パンを食べすぎたので、控えめに。
 9時15分から、メディテーション・ホールで、ダルマ(法)のシェアリング。フランス語グループに加わる。ホールがさらに冷え切っている。「第2・第3の教え」について。
 第2の教えとは?:「搾取・社会的不正義・盗み・圧制は苦しみを生み出すがゆえに、私は決意する、愛を育むこと、そして人間の動物の植物の鉱物の安らぎのために行動することを。私は誓う、自分の時間・エネルギー・財産を、それらを必要とする人たちと分かち合うために惜しまないことを。私は誓う、自分に属さない何ものも盗んだり所有したりしないことを。私は誓う、他人の所有権を尊重することを、そして何びとが人間や他の生物の苦しみから利益を得ようとする場合、それを阻止することを。」
 皆(例えばある種の評論家や学者のように、他人の視点を借用して他人事のように話すことなく)自分の視点から話すので、聴き甲斐がある。ブルターニュから来た女性の、マリ人との交流プログラムの話に特に心惹かれた。蛇口から流れる水を見て狂喜したり、一滴の水でも残れば草に上げに行くマリ人たちの水への感性と抜き差しならない関係に感じ入ったようだ。私は寒すぎて口を開く気がしなかった。
 どうしようもなく全身が冷え切ったので、すでに今日三度目のシャワーを浴びる。同じ温度の湯のはずが、当たる場所ですごく熱く感じたりそれほどでもなかったり、全身の「冷え度」にかなり差がある。どうにか体温を取り戻す。
 11時から歩くメディテーションなのだが、寒すぎるのでパスする。代わりに部屋で坐る。
昼食。米二種、温野菜、ジャガイモ炒め、チヂミ(!)、ズッキーニのスープ。特にスープが絶品。動物系の出汁を使っていないはずなのに、ここまでやるとは。それに温かいえんどう豆の汁粉!(ココナッツミルクがけ!)これも絶品。メディテーションにかなうだけの質と多様性を心がけている。
(それにしても、前にも書いたとおり、昼食にティク・ナット・ハン他3名の高僧が同席していたが、彼らだけ「上座」に座り、特別に用意された食事と器で食べている。Noble silence後も別段他の僧や在家と交わることもない。聖化されすぎているのではないか?)
 昼食後、ローザンヌから来ている精神科医のフレデリックと歓談。スイス的アイデンティティとは? 日本の社会状況・精神状況。スイスの神秘主義的傾向、軍備などについて、一時間ほど話す。
 午後、働くメディテーションだったが、これも寒すぎるのでパスする。

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 5時から、また寒々しいメディテーション・ホールで坐るメディテーション。冷えが気にならない程度には集中できた。半眼で通してみる。ヴィパッサナーは基本目を閉じるが、視覚的に外界を遮断するため、目を開けて過ごす「日常生活」とのギャップが大きい。半眼にすることで、内/外が半々ずつ開け、意識/無意識の交流も、後者に飲み込まれにくくなる。ただ、垂直的な深まりを突き詰めづらくなる。一番いいのは、「自然な」半眼、というか意図的に半眼にもっていくのではなく、瞑想の深まりの必然として自ずから半眼になる状態。
 夕食。Pho!スープが絶品。思わずお代わりしてしまう。こればかりは、麺が延びてしまうので、ゆったりとメディテーションすることなく、食す。でも「早く」てもメディテーションはできるはずだ。蕎麦の「のどごし」もメディテーション?

[地球日誌] vol.06 Plum village滞在記(2)

2009.03.08


《3日目》

 今日は豊かな一日だった。
 毎日曜、四つの集落(hamlet)に住む僧・尼僧と在家が、(この日はNew Hamletに)一堂に会し、メディテーションを共にする。
 朝食後しばらくしてから、皆車で出発。New Hamletは、私の居るUpper Hamletからかなり遠く、25~30分かかる。メディテーション・ホールに向かう。それにしても寒い。自然のすべてが霜で凍りついている。誰かがマイナス6度と囁いている。

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 ホールに会したのは、200人強か。午前中は、まず、Thây(「タイ」、ヴェトナム語で「師」という意。ティク・ナット・ハンのことを皆こう呼んでいる)の講話。ヴェトナム語で為されるので、英語と仏語の同時通訳が入る。
 最初の10分は、新年にあたって、改めてmindfulnessによる幸福の追求を確認。彼が著書などでよく説いていることの繰り返し。次に、今日のメインテーマらしい「道徳学」に関して。通常の欧米の(キリスト教に基づいた)道徳学が、例えば「幸福/苦悩」「吉/不吉」など二項対立的行動規範に則る「標準道徳学」normative ethicsであるのに対し、仏教が唱えるそれは、"例外"を認める、例えば「戒律を守る(嘘をつかない)/違反する(嘘をつく)」と二項対立的規範に従えば、たとえ真実を語ることで他人を死に追いやるような状況でもあくまで真実を語らなくてはならないのに対し、仏教は他人を死に追いやるのを避けるために嘘をつくという"例外"を認める。ただし、その"例外"はあくまで他人への深い愛に基づいてなされなくてはならない。仏教の道徳学は従って「応用道徳学」Applied ethicsないし「超道徳学」Meta-ethicsであるという。
 最後に、このサンガ(仏教の共同体)が遵守すべき「五つの教え」を現在改訂中だが、特に三つ目の性に関する教えについて、午後のシェアリングのときに話し合って欲しいという。
 講話は1時間程度だったろうか。常に平静で明晰な話し方だった。アリストテレスやカントへの参照もあり、仏教を世界の哲学・思想の文脈で捉えている視点をのぞかせた。それにしても、会衆はティク・ナット・ハンのカリスマ性に心酔している。狂信性こそ感じないが、畏敬の強い集中を感じる。
 食堂に戻り、しばしのティータイムのあと、歩くメディテーション。200人以上もの人間が、ぞろぞろと裏の丘へと登っていく。第三者から見たら、かなり異様な光景だろう。昨日同様、踊るように気持ちよく歩ける。霜で白く凍りついた蜘蛛の糸、霜にもかかわらず鮮やかなコケの緑、ひっそり冬眠しているワイン畑のブドウの樹。とにかく尋常でない寒さ。湿度を含んだ寒さなので、余計体に沁みる。小一時間歩き、食堂に戻る。
 紅茶を飲む。熱さが手に、五臓六腑に沁みわたる。でも、全身冷え切っているので、熱が四肢の先までは広がらない。Carlという日本好きのフランス人男性と少し話す。日本で以前3ヶ月過ごし、またできれば働きに行きたいとか。でも、まだ「その時」ではないという。
 Ritual lunch。食堂で高僧から順に食べ物を装っていく。その後、メディテーション・ホールへ。全員が揃うまで15分ほど待つ。中央通路を挟んで、男女が分かれる。食べ物への感謝の祈りの後、厳かに食事。200人以上の人間が沈黙の中で食物を味わう様は壮観だ。私自身、食をメディテーションになぞらえる方だが、これだけの時間(30分)集中して食べたのは初めてかもしれない。昨日までの食堂以上に人々の(そして私の)集中度が高い。ゆっくりと何回も噛むと唾液も多く分泌されるので、飲み物も要らない。玄米をベースに、揚げの煮込み、カボチャ煮(オレンジの香り)、揚げワンタン、その他各種温野菜、生野菜。相変わらず多様な味の世界が繰り広げられる。
 食べている最中、ふと(私が何人かの大学教員・学生などと東京で運営している一種の「サンガ」ともいえる)「三田の家」で「食道」を開いたら?というアイデアが浮かぶ。でももちろん、肉・魚・アルコールありで?...。
 昼食後は、講話にあった改訂中の「第3の教え」について、英語・フランス語・イタリア語、そして30歳以下の若者グループに分かれて、シェアリングを行う。私は、フランス語のグループに加わる。シェアリングは、単なるディスカッションではなく、一人が合掌後話し始め、合掌とともに終わるまで、他の参加者は介入したりせず、じっとその人の話に耳を澄ませる("deep listening")。話したい人がそうやって自発的に話していく。もし話している人が何らかの事情で黙り込んでも合掌するまで他の人は言葉を差し挟んだりせず、その沈黙そのものに耳を傾ける。話したくない人は、無理に話さなくてもいい。ただ集中して聞くということも、十分"参加"したことになるのだ。
 第3の教えとは?:「不適当の性的ふるまいは苦しみを生み出すがゆえに、私は決意する、各個人・カップル・家族・社会の安全と廉潔さを守るために、責任をもって行動することを。私は決意する、愛のない一時的な性的関係を結ばないことを。私自身の幸福そして他人の幸福を守るために、私は決意する、私自身愛に裏付けられた関係を尊ぶことを。また、他人の同様の関係を尊ぶことを。私は、子供たちを性的虐待から守るため、そしてカップルないし家族が不適当な性的ふるまいにより壊れることのないよう、全力を尽くすだろう。」
 テーマがテーマだけに皆非常に話し出しづらそう。かなり長い沈黙の後、ファシリテーター役の老僧が役柄上自分の「禁欲」の話から始めるが、それに続く人がいない。会話での沈黙を何よりも恐れるフランスでは非常に珍しく沈黙が領する。ようやく、中でおそらく最も若いであろう女性(30歳前後?)が自分の体験を話し始める。親から「性教育」をほとんど受けなかったこと。自分の「性」へのイメージは、映画などで形成されたこと。父親の度重なる不倫などで家庭が目茶目茶になり、両親は離婚。「性」は不純なものという強い先入観の形成。男性と「性」的にどう付き合っていいかわからなかったこと。ようやく今のパートナーに出会い、互いの「性」「愛」に関する問題を十分話し合いながら性交渉を持つようになったが、今では精神的な一体感が得られ、"祈り"にも近いという。特に最後の体験は私の現状に近いので、話し出したい気持ちに駆られるが、フランス語の「ネイティヴ・スピーカー」たちへの気後れから、話し出せない。しかしようやく2時間にも及ぶシェアリングの最後の方で、自分の体験を話し出す。他にも、私や彼女同様、「性」行為は必ずしも生の悦びを知る上で否定的な要素ではなく、それどころか最も重要な要素の一つであると主張する人が、少なからずいた。対して、ファシリテーター役の老僧は、性行為を断つことで、生のエネルギーが生を尊ぶ他の関係性へと流れ込むことで、その関係性がより豊かになると話す。断食も同様だという。(性の問題は、仏教の中で評価が決定的に分かれる試金石ともいえる。例えばタントリズムは、性を最終的な悟りにいたる最重要な道と位置づける。それに対し、他の諸流派の多くは、基本的にこの老僧と同じ立場をとる。)
 確かに、ほとんどが初めて会う人たちの前で、自分の性に関する話をするには、フランス人といえどかなり心理的抑圧がかかっているようだ。参加者は13~4人いたが、半数が話をしなかった。途中、自分の辛い体験を思い出したのか、すすり泣く女性もいたが、何か「重い」ものを語っていた。いずれにしても、言語に表出し他人と共有することの困難さの経験も含め、貴重な時間だった。
 5時ごろ、車でUpper Hamletに戻る。車の暖房がありがたい。
 日記を少し書いた後、6時半から夕食。やはり豊かな品揃え。今晩は、lazy nightとかで、いつもの鐘がない。食事も何となく始まっていて、最初から話しているテーブルもある。私は、食べるメディテーションの面白みを知り始めているので、話さずメディテートする。食をメディテートすると、こんなに豊かな悦びをもたらしてくれるのに、なぜ人々はそれを会話=記号で覆いつくしてしまうのだろうか?(もちろん会話する悦びもあるにはあるが。)本格的に「食道」ないし「味道」(「香道」のように)を突き詰めても面白い気がする。
 食事後、フランス語圏の何人かと話す。庭師を生業としているというベルギー人と庭談義をする。
 明日はLazy Dayとかで、食事以外のプログラムが一切ない。ティク・ナット・ハン、かなり「遊び」心があると見た。

《部屋に貼ってあったMindfulnessの詩句いくつか》

〈蛇口をひねりながら〉
水は源から流れ落ちる
山の高みから
水は源から湧き上がる
大地の深みから
水が流れるのは奇跡だ
永久に貴き水

〈手を洗いながら〉
手を水が流れる
きちんと使わなくては!
我ら貴い地球を守るため

〈歯を磨きながら〉
歯を磨きながら
私の発する言葉が磨かれますように
正しい言葉を口にするたび
心の庭に花が咲く

〈トイレで用をたしながら〉
不潔とか清潔とか
量が増えたとか減ったとか
こうした概念は所詮頭の中での出来事
縁起は、ありのまま、頭を超える



《4日目》

 一日、Lazy Day。三食以外、プログラムなし。
 8時に朝食を済ませ、庭を散歩。柔らかい陽射しが心地よい。昨日よりは、晴れているだけ気温が高い。霜が溶けている。

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 自室に戻り、瞑想とヨガ。狭くてやりにくいが、ユーラシアの旅で取った杵柄、どこでも何とかできる。シャワーを浴び、昼食へ。
 メニューは相変わらず多様。Lazy Dayなので、鐘もなく、noble silenceもない。でも、多くの人が無言で味わっている。食の瞑想、病み付きになりそうだ。香辛料豊かな料理は、瞑想に十分応えてくれる。
 昼食後、一昨日の歩くメディテーションのコースを、一人で瞑想。陽射しの仄かな温かみが嬉しい。足の運びとともにカサカサ音を立てる枯葉。小鳥たちの囀り、飛翔、戯れ。陽に鮮やかに輝く苔の緑。枯れ樹の彼方に広がる澄んだ青空。

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 自室に戻り、うたた寝。坐って瞑想。雑念、夢などが次々と湧き、心がなかなか澄まない。一時間ほどで諦め、日記でも書きにと、食堂に向かう。
 すると、たどたどしい日本語の会話が聞こえる。ヴェトナム系アメリカ人のホンが、ドイツ人(名前を忘れてしまった)から日本語を習っている。後者も初心者に毛が生えた程度なので、結局native speakerの私が加わる。日本語の文法を論理的に説明する難しさを初めて体験する。「は」と「が」の違い、「に」と「で」の違いなど、いざ外国人に(しかも英語で)説明するとなると、こんなに大変なものか。ホンは、韓国語の文法を知っているとのことで、割と勘がいい。2時間ほど付き合う。こちらのいい勉強にもなった。が、体が冷え切った。部屋に戻り、日記。
 夕食、雑炊の熱さが、冷え切った体に染み渡る。それにしても、例えば"この"リンゴを"この"私が食べるというのは、一つの"奇跡"ではないのか? 地球上で同じときに数限りないリンゴが実っていた中で、"この"リンゴがこの食卓に運ばれて来、たまたま"この"私に出会う。しかも、そのリンゴは豊かな太陽のエネルギーと、土から吸い上げた水分と栄養分が、いわば"結晶"したもの。それをたまたま食べる私の肉体は、この"奇跡"により、これから生かされるのだ。しかも、このリンゴは、この食卓まで一人で歩いてきたわけではない。少なくとも、生産者・流通業者・調理人、三人の労働力でここまで辿り着いたのだ。これを"奇跡"と呼ばずにいられようか。こうして、"私"の体は、私以外の様々なモノ・コトから日々作られていて、生かされているのだ。
 そして、私の精神も同様ではないか? それは、私が生まれてから出会ったあらゆる人たちを糧として出来ている。そして、私が現に出会った人たちだけでなく、その人たちが出会った人たち、またその人たちが出会った人たち・・・、からも出来上がっているのだ。Inter-being、縁起。"私"は、心も体も、私以外のあらゆるモノ・人から出来ている。しかし、その"出来上がり方"は、他の誰とも異なり、私独自の出来上がり方なのだ。

《ヴィパッサナー瞑想とMindfulnessの違い》
・(私がこれまで経験した)Vが段階的にそしていわば垂直的に深めていく瞑想法であるのに対し、Mは水平的に日常生活のあらゆる瞬間を覆い尽くそうとする瞑想法である。もちろん、Vも日常生活全体に関わる瞑想であるし、Mも修行僧たちはより垂直的志向をもつ瞑想法を習得しているのかもしれない。
・Vが基本的に長時間(一日10~12時間)坐り続ける瞑想であり、いわゆる「運動」的なものを控えるように勧める(ストレッチさえも)ことから、体への偏った負荷がかかるのに対し、Mは歩く瞑想や働く瞑想など「運動」にも瞑想を持ち込む。しかも、僧たちがピンポンやサッカーをするのも別段咎めだてしない。
・Vがある種峻厳な性格をもった瞑想であるのに対し、MはLazy Dayを設けるなど、かなり"遊び""ゆとり"を尊重する。沈黙を尊ぶが、お喋りを禁じるわけでない。(Vは、10日間のセミナー中〔指導者・マネジャー以外との〕会話を一切禁じる。)
・Vが記号的なもの(会話、読書、パソコン、金銭など)を一切排除するのに対し、Mは許す。
・Vが男/女を厳重に分かつのに対し、Mはカップルの同居型滞在も許すし、主な生活空間も男女で共有。
・Vの指導は基本的に坐る瞑想のみに対しなされるが、Mの指導は「坐る」「食べる」「歩く」「働く」など日常生活のあらゆる所作にまで(シャワー、トイレに至るまで)及ぶ。(これに、drinking meditationやsexual meditationまで加わったらすごい!)

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