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地球日誌

熊倉敬聡/Takaaki Kumakura

慶応義塾大学理工学部教授。新たな学(び)のあり方に関係し様々な研究・企画を行う。現在フランスのパリを拠点に研究中。著書に『美術特殊C』、『脱芸術/脱資本主義』等。

Takaaki Kumakura is a professor at Keio University. His research theme includes new and experimental education. He currently lives in France for his research project.

[地球日誌] vol.07 インド旅行記(4)

2009.04.24


〈2月28日〉
 スリ・オロビンドSri Aurobindo――インド独立に大いなる貢献をした政治活動家であると同時に、その後は西洋的教養に裏打ちされたヨガの探究を通して「超精神的なもの」を限りなく追い求めたインドの「英雄」。彼の精神的遺産を受け継いだ精神的パートナー、ザ・マザーThe Motherが1968年に創設したオロヴィルAuroville。「オロヴィルの目的は、人類の多様性の中に統一を実現することである。今日、オロヴィルは、最初にして現在も進行中の、人類の統一と高次の意識の実現を目指す、国際的にも支持された実験である。それはまた、持続可能な生活と、人類がこれから文化・環境・社会・精神的に必要とするものを探究し実験する共同体である。」(オロヴィルのサイトから)
 朝5時ごろ、2時間の仮眠だけで朦朧とした頭と体のまま、車でオロヴィルに向かう。セレモニーの会場もやはり薄霧に包まれ朦朧としたなか、扁平なアンフィシアターに光の導線が灯る。中央には、仄白く丸みを帯びた小さな塔の如きものが浮かび上がり、背後の彼方にはMatrimandirという瞑想用の巨大な球状の建築が朧に滲む。中央の舞台に、火が燈され、セレモニーが始まる。生前のオロビンド(かマザーか判然としなかったが)の人類ための祈りの声が重々しく夜空に響き渡り、「ニューエイジ」を髣髴とさせる電子音楽が鳴り響く。まどろみから覚醒へと絶えず往き来しつつ、茫漠とした空間・宇宙に向けて瞑想する。まどろんでは目覚める意識の中、暁闇が徐々に薄らぐとともに、Matrimandirが威容を現す。夜が静謐に明けていくなか、いつのまにか儀式は終わっている。

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 ホテルに戻って休息と思いきや、オロヴィルのカフェテリアで朝食となる。オロヴィルの概要を展示するミュージアムを見学したり、コミュニティ内で製作された様々なグッズを売るショップで買い物をしたりしていると、いつの間にか昼時に。宿に戻り、昼食。午後はさすがに休息。部屋で洗濯をしたり、仮眠を取ったりする。夕方、今回の旅で初めて(!)単独行動。町の散策に向かう。海岸のプロムナードからベンガル湾を臨む。また、人生で初めての海。多くの露店が出ているので、覘いていると、修学旅行中らしい制服姿の中学生(?)の女の子に英語ではにかみながら「日本の方ですか?」と話しかけられる。衛星放送で見ているNHKの番組が好きだという。一緒に写真に収まってくれと頼まれ、快諾する。こちらも、彼女らの写真を撮らせてもらう。

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 インドにしては、街路が「きれい」だ。今まで通った街路は、「掃除」というものを(雨季のスコール以外)全く知らず、何年何十年と放置されたゴミ、汚水などが蟠っていたが、ここポンディシェリは(少なくとも中心街に限れば)、掃除の"痕跡"が感じられ、ゴミが異様に少ない。(といっても、パリの最も汚い界隈程度だが。)これも、フランス統治の遺産だろうか?
 町を散策しながら(いまだにフランス人住人・観光客が多そうな町なので)ビールを飲めそうなカフェを探すが、見つからない。ビールどころか、ゆっくりチャイを飲めそうなカフェも見つからない。自宅以外で、喫茶を嗜むという習慣がないのだろうか。仕方なく、諦める。

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 散歩の途中、偶然、象に出くわす。象の神を祀る寺院の入り口につながれているのだ。参拝に来た者や観光客たちが鼻を触っていく。寺院の入り口は、今まで見たジャイナ教の寺院の外壁――バロック的ながらもモノトーンに近いものが多かった――と違い、俗な極彩色の神々=彫像たちで覆われている。中に入ってみる。慌てて気づき靴を脱ぐ。象の神を拝むために、行列ができている。聖と俗が渾然とし民衆の信仰心が濃縮された空気の濃密さにむせる。靴を手に持っていたことを係の人から注意され、慌てて外に出る。

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 さらに散策を続けていると、今度は生きた象こそ繋がれていないが、同様に象の神を祀っている寺院に出くわす。今度は、入り口できちんと靴を脱ぎ、境内に入る。先ほどの寺院と違い、雨ざらしの境内だ。床が汚い。聖なる空間でありながら、きちんと掃除がされている形跡がない。先ほどの寺院は人で溢れていたが、こちらは数える程度しかいない。しかし、神の象が祀られている祠は先ほどよりもさらに濃密だ。やはり極彩色の祠の前に、何やら象の鼻とも横倒しになったリンガムともとれる物体が怪しく黒光りしている。長年バターでもかけられ続けたのだろうか?とにかく、あまりに濃厚な怪しさと聖なる俗っぽさと足元の汚さに、悪酔いしそうになりつつ、外に出る。

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 夕食は、レストランで。クレープ状のナンが美味しい。人気のあるレストランらしく、客が行列を作っている。しかし、うるさく、皆の話すこともよく聞こえず、疲れる。



〈3月1日〉
 今日は、自分にとって今回の旅のメインの一つであるMatrimandirでの瞑想である。朝8時半に車(エアコン付き!)が迎えに来て、現地に向かう。オロヴィルの入り口で電気自動車に乗り換え、Matrimandirの受付に。初めて訪れる者は、まず15分程度のオリエンテーションを聴き、その後15分の瞑想をするという。事前に30分から1時間は瞑想できると聞いていたので、皆やや落胆する。応対のされ方が、何やらトゥーリズム的で気になる。
 Matrimandirは、ザ・マザーが1970年に啓示を受け、そのヴィジョンに従って、フランス人の建築家が設計した、いまだに工事が継続中の建築物である。直径36メートルの球状の建物の中に、「内なる部屋」La Chambre Intérieureと呼ばれる巨大な瞑想ルームがあり、それを取り囲むように12の瞑想ルームが配されている。外壁は、何枚もの金色の凹方の円盤が覆い、「内なる部屋」は、天井から太陽の光が垂直に床中央に置かれた巨大な水晶玉に射し込むようにできている。外で靴を脱ぎ、内部に入る。全員白い靴下を履き、ズボンの裾をたくし上げるように指示される。靴下は何となく理解できるものの、なぜズボンの裾をたくし上げるのかわからぬまま、廊下を進む。「内なる部屋」に着く。天井から自然光が文字通り垂直に巨大な水晶玉を射ている。それが、唯一の光源だ。部屋中純白。12本の柱。白い絨毯の上に、白い座布団がいくつも置かれている。合点がいく。この「純白」を汚さないために、靴下を履き、ズボンの裾をたくし上げたのだと。完璧に空調され純白の豪奢が満ちる絶対的な空間。射し込む太陽光以外、外部からは完全に遮断される。瞑想の時間に入るが、なぜか心が落ち着かない。落ち着かないどころか、にわかに怒りさえ覚える。これは、この純白の豪奢は、"大いなる欺瞞"なのではないか? 瞑想するのに、精神的な探究をするのに、これほどの豪奢、しかも完全に人工的に外界から遮断された空間が必要なのだろうか? どこまでも蒸し暑く埃っぽく、ありとあらゆるゴミと腐臭と貧困が澱む庶民の生活から自らを完璧に遊離させ、足の裏やズボンの裾の汚れまで許さぬ絶対的に純粋な小宇宙。しかもこの巨大な空間を空調するのに(しかもこのインドで!)どれだけのエネルギーを消費しているのかと思うと(そのうち自然エネルギーに転換するらしいが、今までのところは通常の電気会社の電気を使用しているという)、こんな場所で心静かに瞑想すること自体が馬鹿馬鹿しくなる。あまりに馬鹿馬鹿しいので、目を開けたまま、人々の様子を観察していると、なんと、白大理石の柱に頭をつけて瞑想している人がいると、係の人がわざわざ柱と頭の間に小さいクッションを差し挟んでいるではないか。もちろん、純白の柱を髪の汚れで汚さないためである! 
 15分後、機械的に照明が(!)点き、瞑想時間終了となる。あまりの馬鹿馬鹿しさと怒りに自分でも唖然としながら、「内なる部屋」を出る。ついに、「精神」的探究も「トゥーリズム」と化してしまったのか。少なくとも、オロビンドの著作を読んだ限り、彼がこんな精神世界の「観光」とは無縁な思想をもっていたことは明らかである。それどころか、もし彼が生きていたならば、こんな外界=社会の現実から人工的に遮断した物理的豪奢など絶対に受け入れがたかっただろう。ザ・マザーは、少なくともこのMatrimandirの構想を抱いた晩年、狂気に取り付かれたのだろうか? それとも、精神的共同体は、必然的に、巨大化し信奉者を集めるほど、その「カリスマ」力は中心的人物の精神を狂わせ、こうした豪奢なる欺瞞を実現させるようになるのか?
 帰りの車の中、何人かとMatrimandirの感想を交わす。皆、この「純粋な精神空間」に感銘を受けたようだ。にわかに、彼女らの「精神世界」に対して、疑惑が沸いてくる。彼女らの「精神世界」も欺瞞にすぎないのか? それとも、Matrimandirの欺瞞の力は、感銘を与えるほどに強力なのか? 私は、率直に自分の思いを彼女らに伝える。「そういった見方もあるわね」とか「なかなか面白い観点ね」とか言われながら、おそらく彼女らに"不可解"だけを残したまま、会話が終了する。
 宿に戻って、昼食。午後は、Pondicheryのリセで歴史を教えているというフランス人男性の案内で、植民地時代の面影を残す建物をめぐる。その男性の説明による限り、そして実際に建築物の遺産を見る限り、少なくともここPondicheryを植民したフランス人たちは、自分たちの政治的・経済的・文化的小宇宙を辛うじて形成しはしたが、周りの広大なインド世界までを(イギリス人のようには)牛耳ろうという欲望を抱かなかったようだ。
 ガイドが終わり、その流れで、近くの豪華そうなホテルの中庭にあるレストランで(ついに!)ビールを飲むことになる。喉が渇ききっていたこともあり、1週間ぶりのビールが喉に沁みる。
 夕食は、違うレストランで。こちらも久しぶりに肉(鶏のカレー)を食べる。あまり美味しくない。赤・白ワインも飲む。さすがフランス人、なんやかんや言いながら、大方が飲んでいる。

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