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熊倉敬聡/Takaaki Kumakura

慶応義塾大学理工学部教授。新たな学(び)のあり方に関係し様々な研究・企画を行う。現在フランスのパリを拠点に研究中。著書に『美術特殊C』、『脱芸術/脱資本主義』等。

Takaaki Kumakura is a professor at Keio University. His research theme includes new and experimental education. He currently lives in France for his research project.

[地球日誌] vol.07 インド旅行記(3)

2009.04.21


〈2月26日〉
 富豪=実業家の邸宅の訪問。92歳の、しかし矍鑠とし70代くらいにしか見えないおばあさんとその嫁によって迎えられる。おばあさん、いまだにインドでも有数の企業グループの会長さんとのこと。まさに「お金持ち」を絵に描いたような邸宅。湖を望む庭に面した居間と食堂。ふと、祖父がある証券会社の創設者という友人の家を思い出す。お金のかかっているであろう調度類、隅々まで神経の行き届いたゆとりある空間、さりげなくしかし心を配りながら行き交う使用人たち。昼食は、ビュッフェ形式だが、これまでインドで食べた中でもちろん最も洗練された料理。すべてが、ある「レベル」以上の繊細な味付けに仕上がっている。ムンバイ郊外に広がっていたスラム街との落差がよぎる。
 富豪のおばあさんが語るには、450ヘクタールの土地に36万本の木を植えた環境の中で、5000人の従業員が暮らし働いているとのこと。フィランソロピーにも熱心で、様々な社会活動、文化財保護、教育などに資財を投入しているらしい。
 それにしても、このおばあさんを含め、インドでは(少なくとも出会った裕福な人たちのなかに)年齢のわりに若く見える人が多い。ヨガや瞑想の日常的実践のおかげか、ヴェジェタリアンの食生活のおかげか。でも、逆に、ヨガやヴェジェタリアンのわりには、男女ともにお腹の出ている人が多い。謎だ。

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 Nargolという村にあるKiranの家を訪れる。
 歩いてすぐに海がある。さっそく海水着に着替えて、海に向かう。アラビア海で、今度は泳ぐ。水がぬるい。場所によっては温かすぎるほど。水は、黒っぽい細かい砂にまみれ、濁っている。視界はゼロに近い。それにしても、インド(少なくともこの地方)では、水が濁っている。見る川、見る海、濁っている。水は透明なものという先入観がある者には、不可解だ。川はもちろん様々な汚染で濁っていることもあろうが、理由はそれだけでないだろう。土の質?流れの遅さ?そう、インドでは、水が流れない。水が滞留し、澱み、場合によっては腐っている。その澱んだ水が、様々なゴミや排泄物から発生する微生物と野合し、多様な腐敗臭を醸しだす。
 海から上がり、村の見学に向かう。この村は、Parsi、つまり8世紀にインドに渡ってきたペルシャ人たちが作った村だという。今も、その子孫たちが暮らしていて、彼らの寺院もある。Kiranのお父さんが初めて作ったという学校に向かう。今日は休みらしく、中は見学できない。校庭に面して、Kiran が生まれ育った家が残っている。Kiranも懐かしそうに眺めている。
 村の市場に向かう。市場といっても、それらしき広場の地面に、女性たちが思い思いに座り込み、店開きしているだけだ。見たことのない果物や野菜がある中、苦瓜やオクラもある。魚や海老、生きた雛鳥まで売っている。どうやら、ヴェジェタリアン以外の人たちもいるようだ。皆で夕食用に買い物をする。

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 今度は、Kiran自身が創設したインターナショナル・スクールの見学に行く。寮、食堂、牛小屋などを見る。Kiranは物心がついてからすぐに後述するSri Aurovindoが作った精神的共同体Aurovilleに行き、そこで教育を受けたとのこと。彼への崇敬と感謝をこめ、敷地内に彼の聖遺物が眠る廟を作った。その周りで、しばし皆、祈りを捧げる。同道しているKirtijiが祈りの歌を唱える中、辺りに宵闇が立ち込めていく。

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 Kiranの家に戻り、夕食。結局時間が遅くなったので、市場で買ったものは調理せず、すでに使用人たちが用意しておいてくれたものだけを食べる。
 2時間ほど文字通りバスに揺られ、深夜Ashramに戻る。


〈2月27日〉
 今日は、大移動の日。Tithalからムンバイ空港までバスで約4時間、インド東岸のチェンナイ(旧名マドラス)まで飛行機で1時間半。Pondichery近郊のAurovilleまでバスで約3時間の行程である。午前10時半ごろAshramを出発し、結局到着したのは、夜中の1時過ぎ。皆、消耗しきる。暑さと移動時間が長いせいもあるが、かなりの部分、路面が悪く非常に揺れるのと、運転がとにかく「極限状況」に近い運転のせいもあるだろう。
 ユーラシア横断の旅でも様々な国の運転を経験したが、この国の「極限状況」は、牛・犬・象といった動物から高性能の車までが作り出す移動のカオスの中を、どのように事故を起こさず、しかも最大限の自己主張をしながら泳ぎきっていくかにあるだろう。当然のことながら、それは動物や歩行者を捻じ伏せ、他の車たちと鍔迫り合いをし、事故を起こさないぎりぎりのタイミングで追い越す"技術"に裏打ちされている。日本人から見て唖然とするほど荒っぽくエゴイスティックな運転をするパリジャンたちが見ても唖然とするどころか、あまりに危機一髪的状況が多いので、しまいには呆れて拍手喝采まで起きてしまうほどの技術である。実際、インドは車による死亡事故が世界で一番多い国だそうだが、それにしても、我々の運転手の「極限状況」の作り方は、"芸術的"ですらある。まさに一刻一刻に生死を賭けているのが伝わってくるほどの"芸術"である。日本で運転している限り、個人的にも職業としても運転は「退屈なもの」という印象が強いが、そんな弛緩しきった運転とは無縁な強度の高さを持つ運転である。脱帽。
 どうにか事故にあわず、しかしそれなりにへとへとになりながら、Pondicheryに着く。1672年から1954年まで主にフランスの植民地貿易の拠点であったこの町は、さすがにいまだにその時代の建築が残っていたり、そして何よりもカトリック教会があったり辻辻にマリア像が祀られていたりして、往時の趣きを十分に残している様子が、深夜の暗闇を通してもよくわかる。宿泊先のゲストハウスの入り口でしばし滞留していると、傍らの薄暗がりの歩道でなぜか家の外壁に面と向かい何事かをぼそぼそと呟いている老婆がいる。祈りを捧げているのか、精神に異常を来たしているのか、何やらわからないが、周りに持ち物らしきものが散在していることから、そこがどうやら彼女の「住まい」らしい。
 ヨーロッパや日本でももちろん路上生活者はいるが、それらの地域ではそうでない者、つまり家に暮らしている大多数の者との間に、截然とした境界線があるのに対し、ここインドではそれがないのだ。つまり、家らしきもので辛うじて暮らしているスラム街や貧農たちから文字通りなし崩し的にこの老婆のような人たちまでが存在しているのみならず、これらの「路上生活者」たちと、やはり路上で暮らしている犬などの動物たちとの間にも差異がないのだ。つまり、犬たちが路上で当然のように暮らしているのとまったく同じ位相で、これらの「人間」たちも暮らしているのだ。だから、そこには不思議と、路上で当たり前に暮らす犬たちに特別憐れみを覚えないのと同じように、彼らにも憐れみを覚えない。
 ゲストハウスでは、またもや「一人部屋」の特権を与えられ、皆の嫉妬の的になる。一人では広すぎるほどの部屋だ。調度も、凝っている。夜明け前からAurovilleで行われるセレモニーを見学するため、2時間程度の仮眠だけとなる。

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