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地球日誌

熊倉敬聡/Takaaki Kumakura

慶応義塾大学理工学部教授。新たな学(び)のあり方に関係し様々な研究・企画を行う。現在フランスのパリを拠点に研究中。著書に『美術特殊C』、『脱芸術/脱資本主義』等。

Takaaki Kumakura is a professor at Keio University. His research theme includes new and experimental education. He currently lives in France for his research project.

[地球日誌] vol.07 インド旅行記(最終回)

2009.06.03


〈3月6日〉
 今日は、バスで2時間くらいかけて、さらに山奥の村に向かう。Kalaripayattというインドの格闘技のデモンストレーションを見に行くためだ。バスを降り、さらに山道を10分ほど登ったところに、格闘技の道場があった。地面にじかに深さ1メートル半縦15メートル横5~6メートルほどの四角い穴が掘られていて、それが道場になっている。「師範」による簡単な説明。哲学は、ヨガやアユルヴェーダと同じで、たとえばアユルヴェーダ・マッサージが手から体へオイルやハーブを通した生的エネルギーの交換であるのに対し、Kalaripayattは、剣ないし素手を通した体同士の間合いによる生的エネルギーの交換であるという。発祥はこのケラーラ地方で、その後中国や日本に伝わり、日本では空手になったという。訓練には4段階あり、①準備運動、②棒を使った形、③剣を使った形、④素手の形の訓練だという。なお、剣は本物を使うという。
 15人ほどのいろんな年齢の男女(女性は5人で皆10代だった)が、オレンジ色のまわしのようなものを身につけ、まず道場内の「神棚」に次々とお祈りをしていく。それからおもむろに、先の4段階に従い、様々な形を披露してくれる。なるほど、空手やある種の棒術・剣道などに近い気がする。(それらのものに通じていないので、正確なところはなんともいえないが。)男女・年齢など関係ないペアで次々と立会いが繰り広げられていく。道場が小さいのと、我々との距離も近いので、かなりの迫力。ただし、演者によって巧拙にかなり差があった。


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 もちろん、我々はこぞって写真をたくさん撮るわけだが、面白かったのは、演者の女性の一人が折を見ては我々を写真に収めていたこと。「写真」的視線は、往々にして視線を放つ主体を現場の環境から隔離し特権的な第三者的空間に置いた上で、現場から選択した事物・人物を「対象」として再構成する光学的視線であるがゆえに、次に述べる「観光」的空間にまさに適合的な視線だが、その「写真」的・「観光」的視線を、「対象」であるはずの者がさらに「対象」化していく。視線同士の「立会い」だったのかもしれない。


〈3月7日〉
 今日はまた、移動日。11時ごろスパイス・ヴィレッジを出発。バスで次の目的地、KumarakomにあるCoconut Lagoonというホテルに向かう。
 それにしても、クーラーが効きすぎるくらい効いている貸切バスでインドの村々を通り抜けていくのは複雑な気持ちだ。窓の外の、埃まみれで蒸し暑い街路に佇む人たちから隔絶された空間内で呼吸しながら、彼らを見下ろす。この、インドだろうがどこだろうが同質のニュートラルで守られた「観光的」空間。そこに棲まいながら、透明な壁越しに、観光的"対象"を生成していく。ユーラシアを旅したときは、(場所は違えど)向こうの人々と同じ空気を吸い、同じ埃と暑さにまみれながら、移動していた。このどうしようもない居心地の悪さ。しかし、同時に、この空間が身体的には「心地よい」と感じる自分もいる。
 Kumarakomに午後4時ごろ到着。船に乗り換え、ホテルに向かう。ここは、巨大な潟湖Vembanadu Lakeの周りに水路が張り巡らされている地域で、ホテルは船でしかアクセスできない小島にある。ホテルに到着。バンガロー形式のいわゆる高級リゾートホテル。スパイス・ヴィレッジと同系列らしい。こちらも、貸切バス同様「心地よい」が、インドだろうがどこだろうが同質のニュートラルで守られた「観光的」空間。なので、特に語ることなし。


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〈3月8日〉
 この隔離されたすぐれて「観光的」な空間で、一日を過ごす。午後2時間ほど、潟湖と水路を船で巡る。ここでも「観光」的「写真」的視線は、いたって幅を利かせていて、水路際に住む「住民」たちの生活模様がまさに被写体となるように遊覧が繰り広げられていく。住民たちにとっては、自分たちの家の玄関先に外国人観光客をたくさん乗せた船が突然やってきて、自分たちを物珍しい生き物であるかのように写真に収めていく様はどう映るのだろう。迷惑?屈辱?楽しみ?写真を撮っている者たちが、自分の国に帰り、自分の家で日常生活を送っている様を、インド人観光客に写真に収められたら、どういう気分がするのだろう。
 途中、その観光的被写体の一つ、鄙びた売店に立ち寄る。そこで、ココナッツジュースなどを飲む。「被写体」だった人たちを「被写体」のまま写真を撮り続けようとする人たち、言葉が通じないながらも何とかコミュニケーションのきっかけを作ろうとする人たち。私は、どちらにも組せぬまま、時間だけが過ぎていった。
 休憩が終わり、船に再度乗り込み、出発すると、水路際を船を追いかけてくる少女たちがいる。我々にしきりに手を振りながら、どこまでもどこまでも駆けてくる。それほどまでに人懐っこいのかと感心していると、土手が途切れるところで突然全員が叫び始めた。「ペン!ペン!ペン!...」と。ペンをくれ、ということらしい。船の中でペンを持っていた数人が拠出し、土手の子供たちまで放り投げる。それを取り合う子供たち。何か、世界経済の縮図の一つを見た気がした。

〈3月9日〉
 今日も一日中、「観光」的空間内に閉じ込められての休息。今回の旅の実質的な最終日。仕方ないので、プールで泳いだり、日光浴したり。特に語ることなし。
 夜9時ごろ、ホテルを出発。車で1時間ほどのCochinの空港に向かう。翌朝5時出発の飛行機で帰途に着く。



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