hanare

hanareMedia

[淡水録] vol.08 ゴスについて

 時々、西日暮里のHIGUREで『夜想』のイベントに参加したときのことを思い出す。この手のイベントとしてはそれほどハードなものではないが、それでも異様な姿の者も多い。黒髪、白い肌、黒いドレス。六月の蒸し暑さの中、白熱灯の光に不穏な祝祭性を感じながら、彼らの影を眺めたことを思い出す。
 それは、ゴスであった。

 ゴスを定義づけることは非常に困難である。暗黒と死体の蒼さ、陰鬱で荘厳な鐘の音、エロスとタナトス。これらはすべてゴスであるが、このように個々の要素を連ねても、ゴスの核心にたどり着くことはない。ゴスはその出自から、引用とイメージの奔逸の中で、キマイラとして成長してきた。

 編年的にゴスのルーツを確認してみよう。
 もともとゴシックという言葉は、十二世紀頃の教会建築様式を指す言葉として、ルネサンス期に用いられた。ゴシック建築は、高い尖塔と大きなステンドグラス、それらの重量を支える飛梁を特徴とする。黒い森と、キリスト教以前の土着的な神々を巧みに換骨脱退し、ゴシックは建設された。
 ルネサンス期に蔑視されたゴシックは、十八世紀にイギリスで華麗な復活を遂げている。ホレス・ウォルポールの『オトラント城綺譚』がゴシック・ロマンスの嚆矢となり、また彼の奇怪な邸宅はゴシック趣味の記念碑となった(※1)。
 ウォルポールの生んだ怪物たちは、大西洋を渡り、ハリウッドに乗り込む。一九三〇年代にはユニバーサル・スタジオでホラー映画が量産され、ドラキュラやフランケンシュタインの一般的なイメージが決定づけられる。(ちなみに、ホラー映画の血統はその後も脈々と受け継がれていくが、『プラン9フロムアウタースペース』に至って圧倒的なB級感を植えつけられた。このことはゴシック全体にとっても、なかなか興味深い出来事である。)
 現在のゴスの直接的なルーツは、一九八〇年代初頭のポスト・パンク・シーンにあるとされる。これらはアメリカでデス・ロックの流れを生み、ドイツではダーク・ウェーブを形成した。それらはスピーカーを介して、勿論日本にも流れ込み、サイバー・ゴスを洗練しつつ、ゴシック・ロリータを産み落とした。

 ゴスのルーツは、しかしここにとどまらない。
 振り返れば、ゴシック建築を彩った装飾群は十一世紀のロマネスク様式にも見られるし、古代ローマの黄金宮殿ではグロテスクの起源が蠢いている。世界各地の土着習俗、見世物文化、フーコーの言う阿呆舟、サドやマゾッホ、ダダとシュールと未来派を一切合財放り込み、鍋で千年以上に渡って煮詰めたものが、現在のゴスである。
 さらにややこしいことには、現在のゴスはそれらとは「何の関係もない」場合すらある。ゴシック建築が象徴と引用でできていたように、ウォルポールの『オトラント城綺譚』が滅茶苦茶なはったりの連続で成り立っているように、ゴスは自分以前の一切を無頓着に切り貼りして、それまでのゴシックと断絶した地点であり続けている。

 ゴスは一つのイズムではない。まして思想や理論として説明されるものでもない。それは美意識や倫理の範疇の問題であり、生き方としてしか捉えられない。ゴスは、確かに一つの定型詩であり、多くの場合ある種の様式を伴うが、しかし、それらの様式によってゴスは決定づけられない。たとえあなたが黒づくめの服装をしていなくても、あなたはゴスであり得る。

 たとえば、一本の直線をイメージしよう。それを鉛直方向に十五度の角度をつけて傾け、直線の中点を支点にぐるっと一回転させる。そうすると、二つの円錐三角形がその頂点を接して描かれる。ゴスはこの二つの三角形の中の運動である。
 ゴスの志向は、常に悪と崇高に向かう。
 徹底的な、真正の、純粋な悪。善から逃避するその螺旋運動は、自己否定と自己矛盾を繰り返しながら、ひたすらに辿り着くことなのない悪を目指す。世界の誰かが正義を掲げるや否や、それと同量の悪魔が夜空に翼を広げる。
 悪を志向する円錐三角形の中の螺旋運動は、頂点で接したもう一つの円錐三角形の、同じ位相に影を作る。その影は、悪の螺旋運動と同じ軌跡を描きながら、崇高を目指す。尖塔の先へ、光降る天上の彼方へ!パゾリーニが「何事にも極限に美が存在する」と言ったことが正しいならば、神を鞭打ち、神に鞭打たれ、その大仰で過大な仕草に飽いた先にこそ、何ものかは存在する。
 悪と崇高を追い求める二つの螺旋運動は、しかし、やがて一つの頂点で衝突する。崇高は無次元のうちに悪へと堕落し、悪は最上の崇高を呼び起こした後に幽かなファンタズマを残して滅び去る。二つのものが同時に反転する。そのとき、何者かの死を祝って、また何者かの生を呪って、鐘が狂ったように打ち鳴らされるのだ。

 ゴスは、イエスとノーを同時に叫ぶことである。

 あなたがもしも環境問題に興味があり、かつ、ディープエコロジストとロハスマダムとペットボトルのリサイクルを唱える各種業界とを「四文字熟語」で罵るなら、あなたはゴスであろう。
 あなたがラディカルな貴族主義を愛し、テロルとしての詩を朗読し、アラーとキリストを同時に抱擁するなら、あなたはゴスであろう。
 あなたが、私はそのようなものではない、と宣言するときあなたは常にゴスであろう。

※1 http://www.friendsofstrawberryhill.org/


ハラトモハル

hanare July 9, 2008 10:32 PM

[淡水録] vol.07フロンティアについて(あるいは、さようならについて)

    かつてアメリカにはフロンティアがあったという。開拓地と未開拓地の間にある辺境。
1890年には国務省がフロンティアの消滅を宣言し、最早彼の地に未知の大地はなくなった、ということになっている。
 しかし、僕の興味は、フロンティアのその初めにある。
 英国のアメリカ大陸への本格的な進出は、1620年のメイフラワー号移民に始まるとされている。しかし、短期的にならば、それ以前にもいくつかのコロニーが作られた。1584年、エリザベス1世の治世下、サー・ローリーがロアノーク島に上陸し植民を開始している。原住民と衝突を繰り返し、島の植民地は数年で消滅するが、そこには一つの謎が残される。
 1590年8月、救援隊が同島に上陸、入植者たちを探すが一人も見つからない。百人以上いた人間が、一人もいないのだ。家は草に覆われている。一体、皆はどこに行ってしまったのか。やがて一つの標識が見つかり、そこにはきれいな大文字ではっきりこう記されている。「CROATOAN」。
 CROATOAN(クロアタン)というのは、島近隣の友好的な原住民部族の名前らしい。おそらくロアノークの住民は「フロンティアを乗り越えて」その向こう側へ行ったのではないか。彼らは「こちら」をドロップアウトし、境界を乗り越えて、「あちら」になった。

 過日、高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を再読した。詩人の「わたし」と恋人と猫が営む超現実的な愛の生活を独創的な文体で描いた、高橋のデビュー作だ。

 物語は超現実的である。
 たとえば。『さようなら...』の世界では誰も名前をもたない。代わりに、名前をつけてもらいたいと思う相手に「わたしに名前をつけてください」というのである。「わたし」は恋人によって「さようなら、ギャングたち」と名づけられた。
 現実は言葉でできている。ということになっている。本当だろうか。世界に満ちるものどもは言葉によって分節され、我々の操作対象になる。確かにそうかも知れない、しかし。
 未文節の操作できない現実も、本当のところは我々に感じられているのではないか。現象学でいう地と図の間には、無限のグラデーションがあり、我々の現実は、我々の知る現実以上のより錯綜したキラメキを放っているのではないか。『さようなら...』 はこの点において超現実的なのである。

 どのようにすれば、物語はかように超現実的になるのだろう。こちらからあちらへ、超え出る、その機制はどのようにして生まれるのか。フロンティアのビッグバンは、この錯綜したキラメキのカオスの中でこそ生じるように思う。

 高橋の物語は、あたかも散文詩のように構成される。
 たとえば、第三部第二章第一節はたったの一文で成っている。「わたしと「ヘンリー4世」はテレビの画面を見つめていた。」これだけ。
 この小説があたかも散文詩のように構成されるのは、言葉に対する極度のためらいのせいである。言葉を書くことで、選択することで、高橋は今にも倒れこみそうに見える。第三部第二章第一節を一文で構成することに理由はあるのか?ない。それで何かを描けたのか。メイビー。それでも彼は選択をやめない。一文ごとに崩壊を繰り返し、改めて彼は超現実的であろうとする。高橋は『さようなら、ギャングたち』をこのようにして提出する。

 フロンティアは、こちらとあちらの境目のことだ。あるいは、あちらがこちらへ進行してくる、その事態を指す。フロンティアにいるということは、常に「こちら」に別れを告げ、「あちら」に身を投げ出していくといううことと同じである。
 もしあなたが、超現実的に、あなたに別れを告げるなら、あなたは境界の向こうの何者かに名づけられるだろう。そしてあなたはその地に名前をつけるだろう。ロアノーク島の人々が姿を消したように、あなたはあなたから失踪し、「ギャングたち」になるかも知れない。

 さようなら、と、フロンティアに別れを告げよう。フロンティアを越えよう。さようなら!

hanare June 21, 2008 07:31 AM

[淡水録] vol.06 誠実さについて(リターン)

 誠実さについて、友人から懇切丁寧な意見をもらった。応えねばなるまい。
来年の話をすると鬼が笑うという。何故だろう。
 鬼というのは神々の眷属で、魔なるもののことをいう。彼らは、とりわけトリックスターとして現れる。通常の神々(と人々)の規範に拠らないところで暴れ回る一方で、結果として人々に幸をもたらすこともある。
 鬼といえども神なので、我々は彼らをお客様として我々の世界で遇することになる。子どもの頃、家に誰かお客様が来ると、違和感を感じなかっただろうか。あるいは彼らとの祝祭的な時間を過ごし、しかる後に、彼らにお帰り願った後で、どこかホッとしたのではないだろうか。このように、お客様は家の中に微妙な緊張感、違和感をもたらす。神々、鬼は基本的に我々の世界とそのようにして関わる。
 彼らはいつも時空を越境して現れる。
 しかし翻って、我々が来年の話をするとき、ことはさほどに単簡ではない。我々にとって越境は至難の業である。ばかりか、それは盲目の者が蛇を恐れぬような、蛮勇の業である。このことを指して、鬼たちは我々の越境の素振りを笑うのである。人間どもの猪口才なことよ、あっはあっは。
 誠実さというのは、このような蛮勇の顕在化のことをいうのではないか。誠実さは、いつも越境として現れる。あちらからこちらへ。私から他者へ。未来から過去へ。
 誠実であろうとするとき、そこには最終的な根拠はない。我々は他者からの呼びかけに応じて、甚だ無根拠に、あちら側に身を投げ出す。神からの呼びかけに応じて、新たなる約束の地を目指した者のように(果たして神の呼びかけに根拠があるというのか?)。そこには不断のためらいと確信、抑えられない震えこそがある。
 誠実であろうとするとき、我々は何かを断定することはできない。見かけ上、暫定的に断定されるとしても、そこには無限のエクスキューズがつく。誠実であろうとするとき、我々は他者を問い詰めることはできない。そのような詰問の素振りは、直ちに自らへと跳ね返る。他者を問い詰める者は、メドゥーサのように、永遠の石化を経験するだろう。
 我々にできることはただ矛盾の中で語り続けることであり、説明し続けることである。その態度をメディアとすること、それを誠実というのだ。
 誠実さを考えるには、簡単な場合分けをしなければならない。誠実さの対象は、私か、あなたか、彼らか。ここを見誤ると、行為としての誠実さと状態としての誠実さを混同する。誠実である、誠実であろうとする。このことは原理的に異なる。正確には誠実さは状態としては現れない(それは神々だけに許された特権だ)。誠実さは常に動的である。

 従ってそこには一定の準則はない。規範を作り、壊し、その過程のすべてを "共感" しようとする、その中にしか誠実さは現れない。
 誠実であろうとする者に、安息日はない。
 越境の最初に置かれるのは、ヤッホーである。最初でありすべてである。
 我々は山や谷に向かってヤッホーと呼びかける。その意味は、私の声が聞こえる?、である。ヤッホーと呼びかけられた木霊たちは、豊穣な音の反響をもってヤッホーと返すであろう。我々はそのことを夢想して、いつもヤッホーといい、ciaoといい、Je t'aimeというのだ。
 我々は、そのとき、鬼たちの大きな笑い声をも幻聴するだろう。それは畏怖の念と同時に、少しのおかしみを、温かさを生む。ヤッホー、あっは!
 僕の声が聞こえただろうか、友人よ。

ハラトモハル

hanare June 6, 2008 06:47 PM

[淡水録] vol.05 モンゴルについて

   東京で働いているとき、同期にモンゴル人がいた。
 内定者が初めて集まる説明会で隣の席になり、僕たちはよくある簡単な自己紹介を始めた。名前は、だのどこに住んでいるか、だの。ほぼ完全な日本語を話すので、最初は日本人だと思ったのだが、デルゲルマーという名前を聞いて異国の人なのだと気付いた。

 彼女は既婚者だった。結婚式には親戚一同が会し、お祝いに羊をもらったのだそうだ。しかし日本に住む彼女には、羊を飼うことは難しい。羊はモンゴルにおいてきたと言っていたと思う。あるいはもう食べたのかも知れない。
 彼女が学生の頃は、モンゴルはまだ厳しい社会主義の国で、しばしば抑圧的な集会にも出席することになったのだそうだ。彼女はウランバートルの学生寮に住んでいた。上層階の彼女たちの部屋からは大地の端っこが見え、仲間たちと宴会をしたある日、彼女たちは窓の外に広がる地平線にダイブしたという。彼女はひどい怪我を負い、それからあまりお酒を飲まなくなった。
 彼女は、モンゴルにしっかりした技術を持ち帰り、社会的インフラを整備することが目標だ、と語った。
 一年余りのうちに、以上のような話を、彼女は教えてくれた。

 僕はモンゴルのことをよく知らない。
 村上春樹の文章で知るくらいだ。何も知らない。

 三週間、僕は岩手にいたことがある。千厩という小さな町に会社の工場があり、新人研修の一環として、そこで働いたのだ。工場の夜は早い。生産ラインは交代制で場合によってはほぼ休みなく稼動するが、研修として働く僕たちは五時になると宿舎に戻る。用意された夕食を食べ終わっても、ようやく七時だ。僕たちはそれから、二十分かけて最寄りのショッピングセンターに行き、コインランドリーで洗濯をしたりする。十月末の千厩は寒い。道に明かりは乏しく、ただひたすらに寒い。
 風呂に入り、暖房のないロビーで本を読んでいるときなど、通りかかったデルゲルマーはモンゴルのことを少し話していく。ロビーの隅で家族に電話する彼女は、モンゴル語で話しており、不意に彼女が異邦人であることを思い出せる。

 僕は岩手にいるときに、彼女に本を貸した。本は今も返ってこない。ひょっとすると、今頃、モンゴルにあるのかも知れないと思うと、妙な気分になる。

ハラトモハル

hanare May 19, 2008 01:40 AM

[淡水録] vol.04 日本画について

 春の京都の、話題の一つは、河鍋暁斎※1だ。
 京都国立博物館は、この数年、辻惟雄によって"奇想の系譜"と名指された一連の画家を取り上げている。伊藤若冲展の際は会期中に図録が売り切れるなど、盛況振りは毎回大変なものだ。そして今年は河鍋暁斎の出番というわけだ。
 暁斎の絵は、何と言っても見る喜びに溢れている。超絶的な技巧が、春の海に乱反射する光のように眼を射る。幽霊はあくまで恐ろしく、観音はひたすら神々しく、太夫はぞっとするほどに艶めいている。画面の隅から隅まで、動植物や人、物の一々までまことに見飽きるということがない。眼福である。

 近年、このように日本の絵画を体系的に集め、改めて紹介する動きが盛んだ。その遠景にはいつも、日本の近代/絵画にとって日本画および洋画とは一体何か、という問いが浮かんでくる。
 日本画と洋画を原理的に区別することは容易ではない、ということを近年しばしば耳にする。研究者・制作者レベルでは前から言われているのかも知れないが、この数年大きな展覧会を通じて一般にも言われるようになった、と思う(一昨年からザッと挙げるだけでも、東京都現代美術館「MOT アニュアル 2006 No Border」展、横浜美術館「日本×画」展、和歌山県立近代美術館「現代『日本画』の展望」展、大阪市立近代美術館「ニッポンvs美術」展、京都国立近代美術館「揺らぐ近代」展などが、同様の問題意識の中で企画されている)。
 河鍋暁斎展は、このような問題意識を前面に押し出すものではない。が、それにしても、古今東西の絵画技法をグラデーションのように一つの画面に展開されると、"日本画"ということを思わずにはいられない。

 日本画をめぐる物言いは、ナショナリズムの問題系と似ている。
 日本画あるいはナショナリズムを突き詰めて定義しようとすると、いずれ実体を見失い、茫漠と立ち尽くすことになる。それらは虚空の前で展開される社会的態度に過ぎない、というオチになりかねない。
 ナショナリズムが、ある種の不在への憧憬であるならば、日本画の成立ということも同様に説明できるのではないか。

 日本画を見るとき、時々気になることがある。
 一つは、かつて日本では光を描くということが自明ではなかったのではないか、ということ。たとえば狩野芳崖『岩石』など、"水墨画の白"に光を感じさせる作品は、大変特異かつ新鮮、日本の画の中にあって例外的に見える。水墨画の白には、本来、何もなかったか、無があったか、あるいは社会的連関のようなものがあったのだろう。
 またもう一つは、まるでマンガだ、と感じさせる作品が多いこと(小林永濯『道真天拝山祈祷図』などに代表的か)。日本画の成立に伴って、マンガ的表現が多く出たということは何かのとっかかりになるのではないか。"マンガ的"ということはなかなか一意には言えないが、そしてそのように評される作品は『鳥獣人物戯画』をはじめ古来から数多あるが、それにしても興味深い。
 この二つは僕の個人的な問題意識にも近しい。どなたか詳しい方がいれば、御教示願いたいものだ。


※1 1831年、古河の生れ。幕末、明治の画家。歌川国芳、狩野派に学ぶ。

sakiko sugawa May 11, 2008 02:56 PM

<<Back 1234|5|6 Next>>