[淡水録] vol.18 滋賀会館について
過日、シンポジウム「滋賀会館の放課後」に参加した。パネラーは、須川咲子(hanare)、高嶺格(美術作家)、根木山恒平(栗東芸術文化会館さきら)、山本淳夫(滋賀県立近代美術館)。滋賀会館のサイトには次のように説明が掲げられている。
「アート現場で活動する様々な人々の活動事例を中心に、アートに関わることについて考えます。また、滋賀会館を含む周辺地域で何が出来るのか?参加者と一緒に可能性を探ります。」
シンポジウムでは、パネラーがそれぞれの活動を簡単にプレゼンし、その後、意見交換が行われた。僕には、次の二つの発言が印象的だった。
高嶺さん「作家はハコとではなく人間と仕事をしている。(一緒に仕事ができる)人がいることが大事」
須川さん「いろんな要素のある変な場所で面白い。囲碁教室から現代アートの展示まで、地域の人が企画を持ち込んで何でもできる、二十一世紀型の公民館がつくれたらいい」
何かのマネジメントを考えるとき、ソフト、ハード、ヒューマンの三つの要素があるが、いつでも最重要なのはヒューマンの部分だ。経験に裏打ちされた高嶺さんの発言は、シンプルだが重いと思う。
質疑応答では、発言者から滋賀会館への愛情が表明された。正直なところそれを共有するのは難しかったが、シンポジウム後の"滋賀会館ツアー"により、僕も彼らの想いに同意することになる。
屋上、最上階の映画館から順に、諸室を見て回る。会館全体が古くてスキだらけである。よく分からぬ青々とした空間が、ただ広がっている。かと思うと、文化サロン(喫茶店)があり、自民党支部や行政関連団体の事務室があり、地下には八百屋や魚屋(の跡)まである。緩い。今は使われなくなった大ホール、映写室、タイル張りのロビー。構造を捉えられぬまま、狭くて暗い廊下、県庁へ続くという廊下などをグルグルと見て回る。
一口に言うならば、そこには、特権的な空間があった。ただ、それだけがあった。
滋賀会館は、1954年に開設された県の文化施設で、今は(財)滋賀県文化振興事業団が管理している。所管は県民文化課。
2007年の県の資料「滋賀会館のあり方について」※1では,滋賀会館の用途廃止が決定済みとされており、取り壊しにも言及がある。行政がここまではっきり書くからには、事が政治問題にでもならない限り、そのようになるであろう。滋賀会館は2010年3月末で無くなる。直近の滋賀県の文化振興に関する報告※2でも、文化施設活用についての記載があるが、滋賀会館には触れられていない。
今後、建物のポテンシャルが発揮される可能性は、非常に低い。将来的な取り壊しは避けられないであろうし、それまでの最後の数年間も、行政の倉庫くらいにしか使われないかも知れない。
滋賀会館のような場所は、全国的に見ても稀少であろう。たとえば、京大・西部講堂にも同様の自由があるが、それでも"我々"以外の誰かの手が入っていることを思わせる。東京で見た古いビルや、大阪の寂れた倉庫も、やはりそれは"我々"のものではなかった。
滋賀会館は、そこに集まった者たちだけの、"我々"の秘密の花園を想起させる。明日から、ここで何かを始められるのではないか、という錯覚を抱かせる。大変な親密さだ。
シンポジウム後、人々の集まった中華料理屋では、滋賀会館の今後のことが様々に述べられた。僕は、この建物に出会ったばかりだが、それでも、この場所があまりにも惜しいと言うことはできる。
僕は最終的には人材がいればどのような場所でも面白くなり得ると思う。どのようにすれば、この建物に最期の花を咲かせ、この場所の空気を人々の記憶に残せるか。「次の滋賀会館を産むために」。おそらくそのように考えねばならないのだろうと思う。
www.shiga-kaikan.jp/
※1 www.pref.shiga.jp/c/kemmin-s/shigakaikan/191003sigakaikansiryou.pdf
※2 www.pref.shiga.jp/shingikai/shiga_bunka/saishu.html
[淡水録] vol.17 或は灰色の風を無言で歩む幾人か
contact Gonzo 「the modern house - 或は灰色の風を無言で歩む幾人か」展を見る。
contact Gonzo について説明するのは、未だに容易ではない。Gonzoは、当初、コンタクト・インプロビゼーションとして捉えられ、ダンスの文脈で扱われてきた。が、彼らがシアターでのパフォーマンスにとどまることなく、その始まりから路上で殴り合い、確信的にYou Tubeを使ったことで、彼らはダンスの範疇から抜け出していくことになる。Gonzoは、多くの人やメディアを巻き込み、増殖し、いくつもの旅を内包しつつ、一個のプロジェクトとしての全貌を現し始める。
http://contactgonzo.dtiblog.com/
会場では、折に触れて、殴り合いが繰り広げられる。
Gonzoの重要な要素の一つに、水がある。彼らは、殴り合いながら水を飲む。ペットボトルの水を、場のそちこちに起き、思い出したようにそれらを飲む。時にはそれを蹴り、投げ、またそっと置き直す。激しい動きと暴力的な行為の中、水は、ささやかな空隙をもたらす。
Gonzoは、次のように語る。
「ゴンゾをやっていてたまに、言葉的な思考回路が外れるというか、瞬間的なことなんですけど、「ごろん」って転がってる時に上から人が「ばん」って飛んできて、一瞬何か分からんけど、「パッ」て動いたら凄くきれいにかわせて、なおかつまだその人と一緒につながってるみたいな。ホンマに一瞬全てのことが「完璧に上手く行くぞ」って、確信できる瞬間があって。」
この感覚を、僕は"共感"と呼ぶ。自分、他者、世界、それらが時間と空間において共にあるという感覚。しかし、この感覚は極めて危険でもある。私とあなたが一体化すること、私たちが世界と一体化すること、そこからは容易に、グロテスクな全体主義が開かれる。おそらく彼らは共感の瞬間を悦ぶとともに、コンタクトの恐ろしさを知ってもいるのであろうと思う。
コンタクトは恐ろしい。それは常に痛いものでなければならない。
コンタクトは恐ろしい。であるからこそ、彼らは水を要請する。水は、いつも、理解することの狂気を知らしめる。
「the modern house」展は彼らにとって、初めての個展である。会場は大阪府立現代美術センター。パフォーマンスではなく、"展覧会"というフォーマットで、彼らが空間の全てを埋める。僕が観た日には、会場内で家が作られていた。それを取り囲むように橋が設けれら、また旅のビデオと、パフォーマンスの写真が、インスタレーションとして並べられている。
家は10㎡ほどの土台の上に建てられる。土台はシーソーのようになっており、誰かが動く度にガタガタと揺れる。ドリルの音が響く。ほとんど思いつきのように、窓が作られ、玄関が飾られ、ペインティングがなされる。延々と続く、遊びとしての家作り。
Gonzoの重要な要素の一つに、写真がある。彼らは殴り合いをしながら、フラッシュをたき、互いに写真を撮る。今回の会場でも、大量の写真が壁に貼られ、またマガジンとして編集されていた。何故彼らは写真を撮るのであろう。彼らは写真の記録性を利用しようとしているのか。あるいは、フラッシュの扇情的な効果に期待しているのか。撮り、撮られることのうちに、幾重にも張り巡らされた、記憶と視線のシステム。無言の空間に、フィルムを巻き上げる音と息遣いが、魔術のように響く。
写真には、いつも"構想力"がついて回る。
三木清によれば、構想力においては主観と客観が一致する。三木は次のように書く。
「構想力とは像を作る能力であるが、この像は常に個物的なものである。...しかし他方構想力は単に知的な能力でなく却って感情であり、感情の性質は一般性と見ることができる。従って構想力において個物的なそして知的な像はつねに同時に一般的な意味を有している。個物的と一般的という相反するものはそこでは直ちに一つに結び付いている。」
個物的なもの/主観/ロゴスと、一般的なもの/客観/パトスを結び付けるには、その上位概念としての何物かがなければならない。「形なき形」としての何か。形をもって存在するもの、その存在に対しての、飢え。
写真には、いつもそのような飢餓がまとわりついている。世界の空気を一つのイメージに構想し、対象を写し取ろうとするならば、そこにはいつも超越の契機としての構想力が働かずにはいられない。己の凝視する世界を、正確に写し取ったとき、そこにはかつて見たことのないものが写り込んでいる。あるいはデジャブとしての未来/過去が。
Gonzoの写真はいつもあらぬものを写し取っている。地面、舞い散る雪、闇夜、そして誰かの身体。それらは半ば意図されたものであり、半ばは何かの弾みに撮られてしまったものであろう。
彼らは押す。身体を。殴る。シャッターを。彼らは何もないところから、極めて強烈な構想力をもって、彼ら自身のうちに一つの像を提出する。身体に触れ、相手の様子を探り、ときに使い慣れた身体の動きを試してみながら、彼らは、あてどなく創造する。超越の契機としての、それらの所作を"虚無"と名づけるならば、彼らは、闇夜に舞い踊る、雪に近しい。光を待つ夜に舞う、重い牡丹雪たちよ。
ハラトモハル
[淡水録] vol.16 祖父の昔話
二〇〇九年、元旦。広島・東城の義理の祖父の家へ行く。東城へは電車では行けないので、新大阪の駅からバスで行く。交通の便はあまりよくない。途中、雪が降り始め、除雪車に引かれながら漸く辿り着く。時刻は二十二時。
祖父に昔の話を聞く。
祖父は、戦時中、東京の眼科医の下で書生をしていた。医師は祖父に大変よくしてくれたのだそうで、夏には皆で海に行き、海の近くに邸を構える文人とも交流をもったという。祖父は、医師のことを、恩人だ、と言う。
一九四五年三月、祖父は、東京大空襲に遭った。家のあった新橋から、どんどん南へ逃げる。蒲田の麦畑まで逃げ延びたところ、品川に積んであった古い線路の枕木に火がつき、その明かりで新聞が読めた。品川から蒲田までは大分離れている。まるで、アレクサンドリアの大灯台のような話だ。
夜が明けて祖父が家に戻ると、家財は悉く焼けていた。祖父と彼の父親は、そのようなこともあろうかと、従前から庭に米と釜を埋めていたのだそうだ。米を掘り返していると、近所の住民たちも戻って来たので、皆で飯を炊き、おむすびにして食べた。食べた後、人々は三々五々どこかに立ち去り、それ以来、彼らとは会っていない。
その後、東城に帰った祖父は、土建業を一から始める。彼は学校で物理を学んではいたが、土木については全くの素人だった。ズブの一個人が、突然、架橋工事の入札に参加する様というのは一体どういったものだったのだろう。入札に参加した祖父は、事前に談合をしていた業者たちを押しのけて、工事を落札してしまう。彼は、町で初めての近代的な橋を、苦労をして架けることになる。
その後、祖父は何度も数億規模の事業を手がける。土砂崩れを取り除き、整地する話。工事が捗らず、図書館で古い工法を研究した話。笑いながら、大仰な身振りで話す祖父の話は、なかなかに趣深い。
祖父は、苦労をして財を成した。自ら「私は成功した」と言って憚らない。
雪の降り積もる東城に着いたとき、彼は真っ先に分厚いカーディガンを取り出し、僕に手渡してくれた。僕はそれを着て、二階の座敷で眠る。寒い、暗い山村の夜。
ハラトモハル
「gadget展」について
「gadget展」について
京都芸術センターで「gadget展」を観る。
開催日:2008/12/14~12/26
企画者:林田新、中西園子
出展者:芳木麻里絵、今村遼佑、中村裕太、西園淳
http://arata-h.sakura.ne.jp/contents/gadget.html
「ガジェット」という言葉は、あまり一般的ではないかも知れない。ガジェットはもともとは、比較的小さな装置や機械、またそれらを構成する部品も含めたところの総称であった。僕の感覚では、現在ではもう少し狭く、携帯電話やPDAなどの小型電子機器を、主に指すのではないかと思う。
僕は携帯電話メーカーにいたので、当然その言葉に触れる機会があり、その意味でも、興味深い展示であった。
たとえば、携帯電話を考えるときに、いくつかの切り口が考えられる。社会的コミュニケーションのシステムとして、電話とカメラとテレビを飲み込んだ電子機器 として、あるいは「もう一人の自分」として。(携帯電話は、衣服の次に、最も長く、最も身近にあり続けるモノである。)
携帯電話を、印籠文化の延長として捉えることもできる。印籠はもともとは薬入れとして持ち運ぶものであったが、凝った蒔絵や根付によってデコレーションされ、本来 の機能を逸脱していった。携帯電話を「印籠を掌中でもてあそぶ美意識」の延長に置くならば、日本における携帯電話のガラパゴス的な発展が理解できるような 気もする。
「掌中の美」というのは、日本における一つの特徴なのではないかと思う。それは大変アンビバレントな性質のものである。対象の距離は非常に近く、眺め入れば、他事を忘れて没入してしまう。しかしながら、そこに辿り着くことはできない。近づけど近づけど、なお触れることはできない。ちょうど孫悟空が遠大な距離を飛行してもなお、釈迦の手の平から逃れられなかったように、そこには無限の距離がある。最上級のフェティシズムである。
このことは、松岡正剛が次のように表現している。「触れるなかれ、なお近寄れ」と。体温と肌の湿気を感じるほどに近付くが、しかし触ることはしない。にじりより、主体(視覚)と客体(身体)がない交ぜになる、そのような局面のエロス。
周知のように、距離は、政治の問題である。そうであるなら、一瞬のうちに、掌中に無限大の距離を乗せてしまった日本は、特異点としての政治状況を生きていることになる。
時間が一定のとき、距離を無限大にすることは、速度が無限大になることである。高速の日本。ハイウェイスターとしての日本。もし、日本において、携帯電話や美術が特異なもの、世界市場の常識から零れ落ちたものであるとするならば、この高速性、「掌中の美」に遠因が見られるのではないか。
「掌中の美」ないしは「高速の日本」は、ガジェットにおいて、折に触れて顔を見せるだろう。「gadget展」に出品された作品は、様々なガジェット性を有している。しかし、少なくとも、僕が芳木のシルクスクリーンのインクや、今村の回転木馬に見入っていたとき、僕は孫悟空のように無限の距離を飛んでいたのだ。
[淡水録] vol.14 ある子供
ダルデンヌ兄弟『ある子供』を観る。
18歳のソニアは、男の子を産み母親となった。子供の父親は20歳の恋人ブリュノ。だが父親としての実感も自覚もない。真面目に働いてほしいというソニアの願いをよそに、彼は手下の少年を使って盗品を売りさばく暮らしを続ける。ある日、ブリュノは赤ん坊を高く買い取る組織があるという話しを耳にする...。
ブリュノは徹底したダメ人間である。立ち止まって考えることをしない。目の前のものにだけ夢中になる。反射する。心底悪い人間ではないが、彼は、どうしようもなく浅薄である。「ある子供」とはブリュノのことである。
「子供」は、ごく単純な社会的関係のうちに閉じ込められている。それ以上の広がりについて、具体的に思いを馳せたり責任を取ったりすることはない。逆に、そのような、縁のようのなものを引き受ける者を「大人」というのではないか。「大人」は民族のことを話したり、アフリカの飢えのために行動したり、未来の動植物を想って環境問題に熱をあげたりする。大人には大人の浅薄さがある。がそれは、少なくとも子供のものとは異質である。
ブリュノは、手下の少年のために動くことで、大人になったと言える。彼はこれからも浅薄であろう。いずれまた過ちを犯し、違う質の涙を流したり、ベビーカーともスクーターとも違う形の重荷を押して歩いたりするだろう。しかし、物語の最後に彼が流す涙は、
その瞬間限りの、ある種の通過的儀礼としての、極めて特別なものではあったのだと思う。
ハラトモハル
hanare March 3, 2009 11:51 PM