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[淡水録] vol.25 発熱京都

 この数年、京都のアートシーンが少しずつ熱を帯びてきている。
 2008年秋、小山登美夫とタカイシイが六条に、児玉画廊が十条に、それぞれオープンし、同時期にヴォイスとモリユウが移転した辺りから、今の流れは始まっているように思う。その後、作家の共同アトリエがまとめて公開されるイベント(※1)が2009年、2010年と連続で開催され、大きな存在感を示した。2010年には、5月に二つのアートフェア(※2)があるし、8月にはここまでの動きを総括するようなプロジェクトも控えている。
 また、このような流れと並行して、複数の新進ギャラリー(Super Window Project & Gallery、0000など)、WEB(&ART、AMeeTなど)、グループ(hanare、RAD)が立ち上げられている(※3)。4年連続して京都所縁の作家がVOCA賞を獲り、この地のつくり手は前にも増して注目を集めているように思う。さらに、手前味噌ではあるが、京都芸術センターも、こと美術の企画展に関しては少しずつ評価を高めてきている。

 コンテンポラリー・アートの世界の、ギリギリの端っこでは、いつも価値観のカオスが揺らめいている。知性と、マネーと、美しさと、狂気と。それらが押し合いへしあいし、たとえばじゃんけんをするとして敗者が勝者を殴り倒して我を通す様な無茶をしながら、時折、作品というものが生まれ落ちてくる。
 アートの面白さの一端は、それが無目的で際限のない純粋な実験である、というところにある。そこからは、空間、時間、関係性一般についての新しい把握が現れる。社会についての、政治についての、我々の生活に対しての新しいアイデアが生まれ得る。
 その意味において、僕は、京都のアートシーンの新たな熱量を喜ばずにはいられない。

 もちろんこれまでにも、京都では、現代美術のシーンを巡って様々な試みがなされてきた。ギャラリー16等の画廊、ダムタイプや中原浩大らの活躍は特筆すべきものであるし、近年では京都造形芸大の派手な動き、Kyoto Art Mapの息の長い取組も挙げられるだろう。その意味では、この数年でことさら状況が変わったとは言えない。京都で、コレクターが急に増えたとか、文化芸術に理解を示す人が激増したとか、そういう統計はもちろんない。あるいは、僕と同世代の人々がある程度の規模の仕事ができるようになり、個人的に色々な動きが目につく、というそれだけのことなのかも知れない。今やられていることは、概ね、既にやられたことだ、とも言えるだろう。それぞれの世代は、それぞれの世代なりに、いつも熱を帯びてきたのであろうとは思う。

 少しこれまでと違うのではないか、と感じるのは、京都と外との往還が、これまで以上にビビッドなものに思えるからだ。東北や九州から人が来る。東京風のやり方が京都に流れ込む。京都で育った人材が、他都市や世界に出て、また戻ってくる。京都の作法、デザインが各地でまた別の成果を生み出す。そういったことが起こっているのではないかと漠然と感じるのだ。

 大きなエネルギーが動くには、一般に、静と動、両方の力が必要になる。
 京都には、待庵の黒楽茶碗を極とするような「静のエネルギー」はあるだろう。夜遅くまで知り合いの家で飲みフラフラと歩いて帰るような生活が、また、流動性の小さい関係の中、独自の流儀で一つのことをやり続けるようなことが、京都では許容される。そのような一種隔絶した土地柄が、この場所にはある。(それはのんびりしているとも言えるが、停滞しているとも言えるだろう。)
 しかし、現在の京都は、幾分「動の力」を欠いているのではないかと思う。古代、中世、近世、近代のそれぞれに見られた、度を越した出来事が、今の京都にはない。そのせいで、底に徹したオルタナティブになり切れていないとするならば、それは残念なことではあろう。
 京都の人々は、他府県の方はよくは御存知ないかも知れないが、恐ろしくプライドが高い。死ぬ程プライドが高い。それはよく言われることだが、本当のところ、巷の噂を二割増しして考えるくらいで丁度目方が合う。よそさんのやらはることはよう分からしまへん、とか何とか言いながら、彼らは、外部からの来訪者を迎え、いなし、取捨選択しながら、それもまた一つの京都にしてしまうことだろう。東京風のやり方も、それはそれとすることだろう。京都の持つ静の力とはそのようなものだ。
 これを動かせる「動のエネルギー」があるとすれば、それはカオスの淵から立ち上るものでしかあるまい。

 外部との往還が爆発的な荒々しい力を生む火種になる、という漠然とした期待を、昨今の京都に感じる。単に面白いだけではない、加茂川の、東山の、細い路地の所作がスタンダード・オルタナティブになる、その始まりとしての出来事。

 あるいは、そのような期待は危険なものであるかも知れない。最近の流れは、よくある、アート業界の徒な花に過ぎないという見方もあるだろう。京都の特長をスポイルしかねない、積極的に忌避すべき事態だという考えもあるかも知れない。著名人との交友が自慢気に語られ、若い作家が、就職活動をする学生のようにポートフォリオを振り回す。キュレーターが、金とメディアの話しかしない...。最近の様々な動きに、スタイリッシュで効果的であることがいつも求められているような、あくせくとしたものを見ることは難しくない。
 が、そのような浮き足立ったものはいずれ切って落とされると、僕の京都への信仰は告げている。この土地はそれ程甘くもない。この数年の京都アート・シーンの熱量が確かなものなら、炭に点いた火のように、適当で手を抜いた脂どもを絞り落としつつ、それは長く熱く燃えることだろう。

 2010年のアートの発熱が、狡猾な京都の静的摩擦特性を振り切り、京都を超え出て行くこと。今一度、この場所に、北野の大茶会や、豊国寺の大風流のような、度を外れた狼狽を持ち込むこと。それをこそ、僕は望むのだ。

ハラトモハル


 ※1 京都オープンスタジオ2010 http://kyoto-openstudio.jimdo.com/
 ※2 アートフェア京都 http://www.artfairkyoto.com/
    アートフェア<超京都>
 ※3 Super Window Project & Gallery  http://www.superwindowproject.com/
    0000 http://www.0000arts.com/
    &ART  http://www.andart.jp/
    AMeeT http://www.ameet.jp/

hanare March 8, 2010 12:06 AM

[淡水録] vol.24 力なく横たわるものについて(2)

 contact Gonzo には二つの方向性がある。一つはミクロ/自己/向心の方向であり、もう一つは、マクロ/他者/拡散の方向である。「コンタクト」には、必ず作用と反作用が含まれているのであるから、それは必然的なことである。
自分の痛みを自分のものとして子細に把握することは、それほど容易なことではない。もちろん、痛みは、自分にとっては、ふてぶてしく居直るやくざなものである。が、その実、それがどのようなものなのか、それがどのように自分に影響しているのか、明瞭に言葉にすることは難しい。これが他人の痛みになると、余計に分からない。まして、私とあなた、とそれを取り巻く世界の痛みに思いを馳せるや、もう雲を掴むようなものである。そこにはズレの連鎖がある。
 アッという痛みが、ほんの一瞬、意識に空隙を穿ち、しかる後にそれを指でくまなくなぞるように観察する。一瞬の空隙は、すぐさま意識で埋められる。突き出す拳の、踏み出す足の、クリアで平穏な観察と、底の抜けた空隙。Gonzoはいつも二つの道を、分裂症の患者のように走る。二つの道は「コンタクト」において分岐し、いずれ、牧歌的な風景において出会う。

 緩慢で大きな動きを捉えることは難しい。
インドの時間の単位に「劫」というものがある。天女が三年に一度、羽衣で巨岩を撫でる。それを繰り返し、岩が磨滅する程の時間をいうのだが、かように極端に引き伸ばされた時間を知覚することはとても難しい。死ぬまで立ち尽くしたとしても、その巨岩の変化を認識することはできないだろう。
我々は、あまりに大きな幅で動くものを知覚することができない。地球の自転も、岩の磨滅も、我々にはそれを直覚することができない。月の光や、伝説や、仮想的な実験などの外部の指標を通じて、ようやく長大なムーブメントを伺い知るのみである。
 歴史と自然のすべてを包括する一個の生というものを想定したとき、我々はそれを直覚することはできない。唯一完全であるその生が、別の生のために身を悶えたとして、我々はそれを知ることはできぬだろう。ただ、力なく横たわるものだけが、そのことを、星の光のように知らしめる。

 十二世紀の後半から、禅の世界では「十牛図」という小テキストが用いられている。十枚一連の図と、それぞれの図に添えられた短い詩句から成るもので、自己が経歴する「自己」の在り方と、その関連が簡潔に示されている。
 「十牛図」では、牛(「自己」)を追い求める牧童(自己)のことが描かれる。牧童は、野を彷徨い、やがて牛を見つけ、牛とともに家に帰還する。ここまでが七枚の図にまとめられている。牧童(自己)は牛(「自己」)を得たのであり、第七の境位にあっては、牧童と牛は一つのものになっていると言えよう。従って七枚目の図には、牛は描かれない。
 而して、八枚目には何も描かれない。ただの空。九枚目には花と河、十枚目には老人と若者の邂逅が表される。一度見つけられた牛は牧童もろとも消え去り、そこからまた、"自然"と"人の交わり"が展開される。「自己」を探し当て、充実し切ったはずの自己までが失われること、この道行きは甚だ興味深いが、ここでは第九の境位のうちに立ち止まりたい。
 実はここでは、牛=牧童と同時に、写真が蒸発するのである。
 九枚目には、水自茫茫花自紅、いう句が添えられる。自分のうちに樹が生え、雨が降る。鳥が、私を貫いて飛ぶ。このような感覚は、日常のうちにあっては、極めて微細なものであるが、極めて大きな動きを掴み得る、数少ない感覚でもある。「花は自ずから紅」という、ただの単純な咲き表れにはつと心を留めるとき、そこに、ほんの一瞬、我々は風景を見ることができる。否、可能な限り正確を期すならば、「「我々は風景になる」という動態」になるのである。
 そのとき、一体誰が、カメラのシャッターを切ろうなどと考えようか。

 過日、クラブの隅で人に抱かれて押し倒された。したたか腰を打ち、二日程、微かな痛みを抱えることになった。腰を打ったとき、フロアではGonzoが殴り合っていた。シクシクと(あるいはズキズキと、ベクベクと)痛む身体の律動を感じながら、Gonzoのパンチが、牧歌的風景を越えて、僕の腰を打ったのだ、と、僕は考えた。それは崇高でもあるが、同時に遣る瀬無い雨の降る、力ない風景のようでもあった。

 平面のように広がる風景の上を、緩慢で大きな風がやってくる。木々が揺れ、ざわつき、やがてそれは頬を撫でていく。Gonzoたちがその上を駆けていくのを、僕は、彼らが見えなくなるまで眺めていようと思う。

ハラトモハル

hanare January 3, 2010 02:13 PM

力なく横たわるものについて(1)

 contact Gonzo について語るのは、容易なことではない。その蛮勇であることを知りつつ、なお語ろう。

 弱々しいもの、小さなものについて考えたいという欲望が、いつの頃からか、自分の一隅に生まれ育っている。僕のそのような欲望は、僕自身の個人的な体験に由来するものではあるが、ある種の普遍性と必然性をもっているやも知れぬという淡い考えもある。
 弱々しいもの、力なく横たわるもの。
 何も出来ぬまま日がな一日畳の上に寝転がり、己の無力さや社会との断絶を心にうち並べつつ、同時に、そのような思考の脆弱をこれまたくよくよと思い悩むとき、我々は、牧歌的風景を垣間見る。
 小さく渦を巻く、ブドウの蔦の目に見えぬ程の成長のような、細くともしたたかなものども。まだ見えぬ結論を先に言うならば、そこには、小さいが、現状を浸食し最終的には大きく変化させる、蝶のはばたきが見出せるのではないかと思う。

 写真のことから話を始めよう。
 我々が、一葉の写真を眺めるとき、そこにはストゥディウム(自明な意味)とプンクトゥム(鈍い意味)が見て取れる、というのが『明るい部屋』でのロラン・バルトの指摘であった。小さな裂け目としてのプンクトゥムに惹かれ、我々は写真に目を留める。
プンクトゥムは、何か際立った明晰なオブジェクトに表れるとは限らない。フォーカスの定まらぬ、何が写っているかもよく分からぬ写真にもプンクトゥムが表れ得る。バルトは、プンクトゥムを呼び起こすものは、現在における「不在」であるとしている。「それは、かつて、あった」というセンテンスに集約される(従って抜き差しならぬ程に死の影に覆われた)彼の論理は、「写真」を解体し、拡散させる素地を用意したとも言える。中平卓馬の一連の神経症的な仕事、アレ・ブレ・ボケに写真を見出す仕草は、バルトの遺作を通過せずには考えることができない。
 写真を巡る僕の思考は、随分長い間、バルトの魅力的な論理の引力圏にあったと思う。しかし、いつの頃からか、僕は、彼の議論に物足りなさを感じ始めていた。一般意味の平面とそこに穿たれた傷口、裂け目を開く死者のこと。果たして写真はそのようなものでしかないのであろうか。どこまでも平滑な、けれどもソフト・フォーカスなどとは原理的に異なる、写真の地平というのは不可能なのだろうか。
 動き、対象からの光を、眼という球面で捉え、脳の電気信号として変換解釈し、(場合によっては暗室の光を経由して、)今また、写真からの光として了解する。そのような、通常の議論に上る、一連の写真のシステムは、力なく横たわる風景のことを見逃してしまっている。

 先日、麿赤兒の、老いについて語るのを聞いた。日本には、能でいうところの黒面の「翁」に代表される、「老い」を精錬した芸事のパッケージがあるという。老いて呆けた語りの、聞き取れぬ程の、しかし恐ろしい程のアナーキー。もうわしには何もわからぬ、お前様の好きにせよ、好きにせよ。小刻みに震える腕や足の、制御し切れぬ振る舞いのことを、麿赤兒は、少しの笑みを浮かべながら、淡々と語った。このようなか弱い震えの、逆説的な強さは、Gonzoにも見出すことができる。
 牧歌的という言葉は、ある種の障壁として働く、とGonzoの塚原は言う。牧童の歌う素朴で半ば呆けた小唄。そのイメージは、Gonzoを包みこみ、ある種の異世界へと彼らを連れ去る。我々は容易なことではそこに追いつけない。腕や背や鎖骨の痛みを、するすると回収しようとするものへの、逆説的なバリア。

 かつて僕が求めた風景は、弱々しくも、世界に遍在しているのではないか、と思う。宇宙から降り注ぎ、我々の身体を、それと知覚できぬうちに絶えず貫くニュートリノのように、それは我々の前に横たわっているのではないか。
 力なく横たわるものは、そのある種の欠落性により、かえって可能性を膨らませる。松岡正剛が『フラジャイル』において指摘した通り、多くの神々はその神性と不可分に欠落を抱え込む。逆に言えば、神々は、我々の欠落への憧憬から生まれ落ちる。欠落をなぞろうとするあえかな指の動き、そこに小さな花火のように開く「共感」こそが、弱々しく、小さなものどもの、世界を転覆させる力なのではないか。
 力なく横たわるものの可能性は、原理的には完全に孤独でありながら、なお独りでは在り得ぬという、生の基礎的な相克に由来する。生はそれ自体では完結しない。我々は、いつも誰かに触れ、誰かに師事し、誰かの声に応えることなしには、生きられぬ。にも拘らず、それは自分の背を正視することが叶わぬのと同じように、不可能なことである。断絶の、深い淵に唯一橋を架けるもの、それが力なく横たわるものである。

(つづく)

ハラトモハル

hanare December 18, 2009 12:18 PM

[淡水録] vol.23 ヒップホップのハード・コア(2)

 サウス・ブロンクスの街角で、ラティーノたちがブレイクを踊る、その遠景には、しばしばスケートボードを見ることができる。ヒップホップがブレイクダンスに繋がっているように、ストリートでは、パンクがスケートボードに繋がっている。ブレイクダンスのある種の性格は、エクストリームのそれと比較するとき、鮮明になる。
パンクは、その系譜に、エクストリームという態度を生んだ。速さと高さに、危険で華麗な離れ業に、エクストリームは心酔する。エックスの身体感覚は、線的であり、都市空間への建築的広がりを持つ。跳躍や回転を含みつつも、それは本質的には、ある点からある点への直線的"疾走"である。その後ろではいつも、ラウドなパンクが鳴らされる。
エクストリームは、現代の未来派である。
 エックスが未来派であるとするならば、ヒップホップとは何者であろうか。
 ブレイクダンスにおける身体は、エクストリームの剃刀めいた薄い線に比べれば、強い粘り気を含んで見える。だらしない静止と、血迷った激動との、果てのない揺れ動き。そのような、トリッキーな動きこそがブレイクダンスの真骨頂である。エクストリームを、過剰な速度を称揚する未来派として見るとき、ブレイクダンスのトリッキーなふらつきは、ゾンビのことを想起させる。広い郊外を、餌食を求めてさ迷い歩く、死人たち。
 ヒップホップは、死霊を正しく裏返した何者かである。

 ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・リビングデッド』がアメリカの比喩であることは夙に知られている。(劇中、ラジオから流れるゾンビたちの様子は、黒人たちのデモのことを想わせる。また、それに対する白人自警団の反撃も、そのまま公民権運動における人種間の対立に重ね合わせてみることができる。)そのような文脈を延長するならば、ここで黒人に与えられた役割は、ヒップホップの隘路を予言していると言えよう。
 ゾンビ映画では、死者たちが黒人に襲いかかっている。黒人は、最大限の正当な条理でこれを退け、果敢に状況を打破するが、最後には死霊と間違えられ、白人に撃ち殺される。『ナイト・オブ・リビングデッド』が1968年に作られたこと、そのこととヒップホップは一つにして語られねばならない。
 ヒップホップは、いつも複雑に政治的である。ヒップホップの最初の第一声は、ルーサー・キングの夢についての咆哮であろう。黒人の、社会的に虐げられた者の怨念の裏返しとして、ゴールド・チェーンと、ダイヤと、アディダスがあるのだ。
ヒップホップの誕生は、そのまま新しいコミュニケーション方法の発明であった。それは、かつて、権力を持たない者のメディア、「自らを語ることができない者、たとえ語っても、それを解釈する他者によって覆い隠されてしまうような者」にとっての唯一無二の"声"であった。ラップは、声であった。
 ロメロのゾンビ映画は、声、その響きが拡散し失われることを予言していたのではないか。
 ヒップホップは、いつしか新たな権力として、別のゲットーを生んでいる。ゴールド・チェーンが鎖となり、その端にダイヤの重りをつけて、別の声なき者を地に繋いでいるのではないか。もしも、その観察が的を外していないならば、ヒップホップはこれから最も困難な道を辿ることになろう。自分自身に対する闘争を、不可避的に、彼は始めねばならない。そして果敢なその闘争の最後に、なお生き延びねばならない。
 炎に身を投じるようなその闘争が現実になるとき、世界は非正規な自由をいっそう加速させるだろう。ラップの、グラフィティの、DJの、ブレイクダンスの、不死鳥性。ヒップホップはそのような期待をもって、注視されるであろう。

 非正規な自由のための闘争。ヒップホップのハード・コア!

ハラトモハル

hanare October 14, 2009 04:10 PM

[淡水録] vol.23 ヒップホップのハード・コア(1)

 もしも、あなたが、思想や生活や行為において、どこかに行き詰まりを感じるなら、あなたはヒップホップのことを考えるべきである。ハードでざらついた、少し未来のヒップホップのことを。

 ヒップホップは、1970年代初頭のブロンクスを揺りかごに、主として、黒人とヒスパニックにより育て上げられた。ヒップホップを奏でた最初の一群は、青空の下の公園で、あるいは真夜中のダンスホールで、クレイジーな実験としてそれを行った。グラフィティとブレイクダンスとを巻き込み、やがてヒップホップは一つの"態度"として成立する。
 ヒップホップは、そのコア・イメージに闘争を含んでいる。
 ヒップホップは、マネーと、ドラッグと、血の歴史を刻み、それでもなお、ドラスティックな自由を、ゲリラとしての、呪術としての、非正規な自由を加速させる。

 書というものがある。書家・石川九楊によれば、書とは「他者、世界や自然に立ち向かう力」を中心軸とする表現である。
 中国の書は、その苛烈さにおいて、日本のそれとはかけ離れている。天から真っ直ぐに、筆の尖り(自己)を紙(世界)に突き立てる、その覚悟の跡は、彼の国が、否応なく政治の国であることを示す。一方、日本には政治がない、と石川は言う。そこには"天"という概念がなく、ただ薄明のもやの中に立つような、無言の合意だけがある。中国という磁場に鑑みるとき、ひらひらと舞い散る紅葉の、その赤のトーンの一瞬の翻りが、ただただ日本なのである。
 この、中国と日本のグラデーションの中に、グラフィティを置くとき、それはどのように見えるであろう。
 グラフィティは、自己の存在証明であり、美の発露であり、マニフェストであろう。闇の中、ライターが素早い仕草でタグを描くとき、そこにはエス(欲求、衝動)とイド(規範)のせめぎあいの中でエゴが鋭く立ち現れる。中国の政治観が、天を頂とする階層的なものであり、日本のそれが、虚を中心とする同心円的なものであるとするならば、ヒップホップは、あくまで人間・私を起点とする。世界に対する、カウンターとしての、私のボム。
 グラフィティは、その意味でユマニズムである。

 グラフィティは、戦略的に匿名的であり、身体的であるにも拘わらず時空を超えて遍在する。顔も知らぬ者への親密なメッセージであると同時に、公的空間を私的空間に還元する不穏なサインである。
 ドキュメンタリー『ワイルド・スタイル』には、NYの地下から、カラフルに彩られた巨大な鉄の塊が、高速で地上へ躍り出る様が記録されている。それは、ただ人間・私の、天と地に仕掛けた変革の爆弾のように見える。
 人々はそれを無視する。人々はそれを嫌悪する。人々はそれを賞賛する。何故なら、グラフィティが、一瞬にして一切を塗り替えるからである。

 ヒップホップは、そのコア・イメージに闘争を含んでいる。

(つづく)

ハラトモハル

hanare October 8, 2009 12:50 PM

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