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Conversation Pieces

  最近行ったシンポジウムとか、いろいろ考えていたことを発端にして、「Conversation Pieces - Community + Communication in Modern Art」という Grant h. Kesterの本を読み始めた。私の出不精と情報不足が多分にあるにせよ、日本でかっこいいコミュニティーベースのアートプロジェクトに出会う機会があまりなかったことについて不思議に思っていたので、そういうことを考えるきっかけにしようかなと思っている。以下自分のための覚え書き。

  この本で扱われているのは、「dialogical art(ダイアロジカルアート)」と著者が呼んでいるアートプロジェクト。日本でいえば"コミュニティーアート"とか呼ばれているもの。(後述するけど、彼のいう「dialogical art」の展開と日本の「コミュニティーアート」の展開には大きな違いがありそうだから、それらを同一視するのはやめた方がいいかもしれない)著者はWochenklausurやArtist Placement Group, Susane Lacy等の活動が、「アートは既存のイメージ、システム、習慣的(惰性的)な思考、世界の見方を疑い、新しい世界を開くこと」*1というアヴァンギャルドアートにそのルーツがあることを提示している。ただ、アヴァンギャルドアートは、オブジェクトやイメージというモノを通して、ショック、怒り、驚きなどを割と一方的に鑑賞者に与えようとしていたのに対して、Kesterが言及している上記のグループは、それを会話や参加という時間のかかるプロセスを共有することで試みようとしているということ。*2ただ、既存の表象のあり方への懐疑、経済・政治システムとそれをベースにしたものの考え方に挑戦するというコンセプトは変わらない。

  私が日本で知った「コミュニティーアート」的プロジェクトに限っていえば、会話やコミュニティーへの参加を通してプロジェクトを成立させるというプロセスそのものは「dialogical art」と定義されているプロジェクトの手法と同じかもしれないが、このアヴァンギャルドのコンセプトの部分が、見事にポロット抜け落ちているような気がする。ただ、「dialogical art」からこのコンセプトが抜け落ちたら、そんなプロジェクトに何の意味もないんじゃない?というのが正直な感想。今当たり前だと思っている世界を見つめ直すこと、周りに氾濫しているイメージ、ステレオタイプを疑うこと、そして並行して、それらを作り出している社会構造そのものに焦点を定めること、プロジェクトが実施されている地域はローカルであっても、大きな世界とがっつり4つに組む視座が抜けてしまって、「dialogical」というプロセスだけが利用されている感じ。日本以外の国で実施されている「dialogical art」プロジェクトの中でも行政サービスの肩代わり、地域活性化、企業・大学の広報に利用されているプロジェクトも沢山あるだろうし、これを日本だけの問題だとは全く思わないけど、アヴァンギャルドアートの核心があまりにもぽろっと抜け落ちてしまっている。これは単に日本社会が脱政治化されきっていることの素直な反映?それとも日本の「コミュニティーアート」的プロジェクトは、アヴァンギャルドアートの進化とは全く無縁のものなのか?(続く)

*1
... it is based on the assumption that the work of art should challenge or disrupt the viewer's expectations about a given image, object, or system of meaning and that the viewer, in turn, requires this disruption to overcome his or her reliance on habitual forms of perception (Kester 17).

*2
But the projects the author discuss here "encourage participants to question "fixed identity,  stereotypical images and so on through dialogue rather than a single instantaneous shock of insight precipitated by an image of object. These projects require a shift in our understanding of the work of art- a redefinition of aesthetic experience as durational rather than immediate" (Kester 12 )

※日本語と英語が混ざっているので、引用の仕方がむちゃくちゃで、読み難くてすいません。日英併記で、もっとさくさくっと書けるようにします。

hanare February 5, 2010 01:29 AM

[Note] Some thoughts...

  先週水戸芸術館というところに呼んでいただいて、hanareの話とか、2008年に参加したレジデンスの話とかをして来ました。いろんな出会いがあったり、水戸芸術館と遊戯室の、両者の持ち味を生かした緩やかで自然な関係を目にして、素晴らしいなと思ったり。

  あと、遊戯室で展示中の白川昌男さんの話が印象的でした。白川さんが群馬という中心から離れた場所で、制作を続けていくにあたり、東京と地方の歪んだ関係性を廃棄物という形で目にし、北海道、ドイツで仕事をしてきた群馬の炭坑労働者の存在を知ることで、いい意味でも悪い意味でも、群馬の経済、社会状況も、世界の政治経済から孤立しているわけではないと、感じたこと。だからこそ、その場所でも制作を続けていけると思われた、という話は印象的でした。その繋がりを感じたことで、群馬で作られた作品は、世界の他地域に住む人にとっても、意味を持つのではないか、と思った話は心に残りました。世界のあらゆる、中心ではない地域で活動を続けるときに、白川さんの感じている葛藤があると思う。グローバリゼーションとボディーポリティックスの問題。世界中のどこに住んでようが、何らかの形で世界の政治経済に接続されてしまっている。接続されているからこそ、表現活動でも、その他の社会運動でも、その地域以外にも通じる普遍性を持つ可能性があるのだと思う。一方で、いくら接続され、グローバルになったとはいえ、グローバリゼーション云々という、大きな政治経済の話をしても、どうにもこうにもならない、小さな、小さな問題がそれぞれの地域では山積みなわけで、それに対しては、現場で日々頑張ることでしかなんとかならない。。。というローカルな話になってくる。うーん。

hanare January 16, 2010 11:04 PM

"Art Work" @ 16 Beaver

最近思うのがブログがやっぱりわからんていうこと。なんとなく、中東でやっているプロジェクト中心に書いていたら、それ以外を書きづらくなりました。ということで、もうちょっとリラックスして、何でもありでいきたいと思います。でも、パレスチナ×イスラエルのプロジェクトは、最近NYの友人に、プロジェクト全体を振り返るインタビューをしてもらったこともあり、英語だけになるかもしれないけど、ちゃんとテキストにまとめる予定です。プレッシャーを掛けないとね。

NYにある16Beaverというオルターナティブスペースで、20日、今日行われているイベントが面白そうなので載せます。同日に載せているから告知効果もないけど。余談だけど、喫茶はなれと同じく、16Beaverも毎週月曜日に、いろんなディスカッションやイベントを開催している月曜日仲間です。彼らは今年のUNIDEEにもゲストで参加しているみたいだし、多分どっかで話せる機会があるのだろう。

「Art Work: A National Conversation about Art, Labor, and Economics」という新聞/サイトについてのオープンディスカッションイベントです。「Art Work」という新聞/サイトは、この不景気がアーティスティックプロセスにどのような影響をもたらしているのか、そしてアーティスト、文化産業に従事する人の生活はどうなるか、みたいなことを、いろんな分野の人からの寄稿を掲載して、アートと経済ってことを考えていこうとしているみたいです。単純にアーティストがどう生き延びるかみたいな、作品売れへん!どうやって稼ごう!みたいな自己保身的でつまらないものに終わらずに、アートの外にも大きな広がりがあるディスカッションなればと、京都で勝手に思ってます。

「Art Work: A National Conversation about Art, Labor, and Economics」
Art Work is a newspaper and accompanying website that consists of writings and images from artists, activists, writers, critics, and others on the topic of working within depressed economies and how that impacts artistic process, compensation and artistic property. The newspaper is distributed for free at sites and from people throughout the United States and Puerto Rico. It is also available by mail order from Half Letter Press for the cost of postage.
Join us on Sunday for a series of presentations and an open discussion about the newspaper and website "Art Work: A National Conversation about Art, Labor, and Economics" which Temporary Services organized and recently launched. This event is several things rolled into one: a distribution and launch party, a potluck, and a group conversation which takes the newspaper as its starting point. Many contributors to this project are based in New York City, so we envision the event opening with some comments from those who are able to be present. This is one of several discussion events in the US and internationally in conjunction with the project.

http://www.16beavergroup.org/
http://www.artandwork.us/
 
この話と関連して、最近、廣瀬純さんのレクチャーの文字起こしをしています。その中で、1936年に出来た、フランスの文化産業に従事する労働者を保護する法律についての話があって、要はプロジェクトごとに働く文化産業労働者の立場が不安定だから、プロジェクトがない時は、国から賃金を払いましょう、社会福祉サービスも提供しましょうという法律が、かなり前に出来た。ただ、今では、不安定なのは、何も文化産業労働者だけの話ではなくて、労働人口のかなりの割合の人たちが、不安定な労働状況に置かれている時に、何で特別扱いされているんだという話があったそう。フランスが日本と同じ非正規雇用のパラダイスかどうかわからないけど、それでも起こっている状況は各国似たり寄ったりだと想像すると、そうやんね、こういう不安定さは何も文化労働に関係ある人のことだけではないよというのは納得。で、サコジーが政権を取る前くらいから、もちろん予算削減のために国が言い出したんだろうと察するけど、この法律を維持するかどうかの是非が問われ出すようになった。最初は、自分たちの立場を守るためにいろいろ言っていた文化労働従事者の人たちが、ある時、もし、その他の労働分野の人も自分たちと同じように、不安定な労働環境に置かれているのだとすれば、この法律を廃止するどころか、そういう不安定労働に従事している人全部にこの法律を広げたらいいのではないか!っていう提案をしたそうです!アートとか文化とかっていう限られた世界だけでの話に留まるのではなく、いろんな人が一緒に考えるための、ベースとなり得る考えを提供しているのがいいと思います。ベーシックインカムと同じような考えかたです。今のところ、まったく相手にされていない提案らしいですが、こういう問い、アイデアを、フランス、日本、世界のいろんな場所でとにかく、一旦出してみることで、沢山見えてくることがあるっていうのに賛成です。そういうことが上記のディスカッションでもちゃんと起こればいいなと、余計なお世話ですが。


hanare December 20, 2009 10:11 PM

今年終了/2009 is over for me

11月の怒濤の日々が終わって、2009年はもう終わったことにして毎日を生きてます。いろいろ走り回りすぎて、今はもうただひたすら家事だけをして毎日過ごしたい、外にも出たくない病にかかってる。

今回のGRL Kyotoの発足イベントについて、何が上手く機能して何が上手くいかなかったのかを16日以後考えてます。基本的には問題山積みなんですが、今日はよかった点を一つ。よかったのは、hanareが事務局的に機能したとはいえ、メンバーとなって活動する人たちが勝手になんとなく集まり、それぞれの得意なこと勝手に発揮するぼんやりとしたグループができたこと。これは大きい。マスクをした警察のおっちゃんが2人が「善良な市民」の通報によって基地に来た時、しつこく聞かれた以下の質問を考えた時、こういう変でゆるやかなグループのあり方は、今後こういうプロジェクトをして行くときに、かなり効果的に(防衛的に)機能していくのではないかと思った。何が違法で何が違法でないのかという決まり、そしてそれらはどのような経済的/政治的な指向性のもとに決定されているのかを問うプロジェクトの場合、大学/企業/大きなフェスティバルのような大きな組織をバックに持つこと、そして一つのグループが主体となってやる場合、要は以下の警察からの質問に明確に答えられるような運営構造では、上手くいかないんじゃないかと思った。よくわからない「世間」や警察からの文句を必要以上に恐れて自己規制に走り、謝まってしまう状況がどんどんエスカレートしている今、ある一つの組織がバックにあることは、安易なターゲットを作りだしてしまうんじゃないか。(表面的にさくっと謝りながら、やり通すっていう高度な技術もあるにはあるだろうけど)そういうことを考えると、誰がメンバーか分からなくなってたこの感じはこういうプロジェクトの「正しい」あり方じゃないかと思ってます。

「主催者はだれ?」→返答「メンバーとされている人20人〜30人」
「責任者は誰?」 →返答「メンバーとされている人20人~30人」 
「責任者の連絡先は?」→→返答「いろいろ」
「責任者の住所は?」→→返答「いろいろ」
「責任者の年齢は?」→返答「いろいろ」
「どこの大学生か?」→返答「いろいろ」
「京都の大学ならどこの大学か?」→返答「いろいろ」
「どこの大学生か?(この質問を何度も)」→返答「いろいろ」
「主催者はみんな働いているのか?」→返答「いろいろ」
「どこの会社で働いているのか?」→返答「いろいろ」
「京都のイベントも横浜のように正規にやった方がよかったんじゃないか?」→「正規って?」
「メインでやっている人はみんなそれぞれ仕事にしているのか?」→返答「いろいろ」

hanare November 28, 2009 04:27 PM

Black Market in Jaffa, Yafa, Yafo

Blackmarket of Useful Knowledge and Non-Knowledge No. 12 "On Invisible, Unknown and Ghostly Knowledge" An installation with 100 experts by Hannah Hurtzig / Mobile Academy
I wish I could be there. My friend told me that it was an amzing night. Our superstar, Sami was one of the experts, and Bushar was working on the production team. The funny story is that Bushar was in charge of buying the 100 card stands, with numbering up to 100 because there are 100 experts, but, but, he forgot to buy the card, No.1........... poor guy. I would go crazy if I were to make the same mistake. ahahahhhah, Bushar, don't worrry it's not the end of the world. I love this project not matter what, but this having it in Yafa is really something special. I'd love to invite them to Kyoto and the do the session???

hanare October 7, 2009 11:48 PM

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