[かわや版] vol.23 I will also stand with the egg
言いたいことを言う。これは中々に難しいのが世の常だが、しかしよくぞ発言してくれた。周囲の雑音の中で、気骨のある姿勢というか捻くれ者というか、どっちみち英断だったと信じたい。そこは日本を代表する作家だけあり、壁と卵の喩えを交えたスピーチは流石である。ガチガチな批判でもなく、それでいて含蓄のある言葉だった。冒頭の卵のくだり―Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg.。グッときた。
さらに続けて、 I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness と述べる。
まだ読めていないけれども、司馬遼太郎のエッセイにもある。「なぜ小説を書くか」。日本人だけではない。昨年、写真家の米田知子が勧めていたので読んだジョージ・オーウェルは、物を書く目的として政治を挙げる。「芸術は政治にかかわるべきではないという主張も、それ自体が一つの政治的な態度なのである。自分の政治的な立場についての自覚が深まれば、それだけ、政治的に動いても美や知性にかかわる誠実さを犠牲にしないですむようになるのである。命があって健康なかぎりは、いつになっても文体に執着し、現世を愛し、内容のある具体的なこととか、実益のない知識の断片を楽しむ性癖は変わらないだろう」ときっぱり。なぜ書くか。人ごとではない命題である。一年目のフォローアップ研修直前、突き刺さった。ともかくも全文を一読してみてはどうですか皆さん。
ペンは銃よりも強し break the circle of violence mix
Nonsound/ The Matthew Herbert Big Band
Unknown/ DJ Scotch Egg
Sunshowers/ M.I.A.
イスラエル兵が非武装のパレスチナ人を射殺する音をサンプリングしている。曲のタイトルにも歪んだメッセージ性を感じる。英国・ブライトンを拠点にする日本人アーティスト。デジタル・ハードコアのような、アブストラクトでノイジーで暴力的な爆音が心地よい。Missing In Actionの略、戦闘中行方不明の意。「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」のメンバーで、音信不通の父親に向けたネーミングらしい。ガザもさることながら、スリランカの内戦も市民を巻き込んで激化しているとか。

[かわや版] vol.22 バレンタインデー
またまたやって来た。2月14日。イエス、朝日訴訟の原告が亡くなったその日だ。詳しくは知らないけれども、自己負担増を強いる生活保護の変更に対して不服申し立てをした訴訟で、生存権の性格を考える上でよく引き合いに出されるらしい。日本国憲法第25条―すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する―とある。憲法が謳うところの「文化的な生活」、「文化的」とは・・・。うーん。
それはさて置き、とあるお悩み相談コーナーで、母親と祖母以外からチョコをもらえないと悩む中学男子。曰く、外見も悪くないし面白さもまあまあなのに、なぜ・・・何が足りないのか。これはある意味、雇用問題より深刻かも知れない。さて、彼の悩みに対する相談役の助言は、異性にどういうモテ方をしたいかということ。つまり、不特定多数から広く浅くちやほやされたいのか、あるいは一人の誰かと本気の恋をするか。人の魅力は容姿などではないから内面的な自分の魅力を磨くべしと、後者を勧める。だが、果たしてそうか。中坊は、普通の斧より金の斧、小さい葛籠より大きい葛籠、そして後者ではなく前者を選ぶべし。「大切なことは目に見えない」。星の王子様になるのは成人式を過ぎてからと心得よ。
今年のバレンタイン商戦、天体に見立てたチョコが人気だそうだ。というのも、今年はガリレオの天体観測から400年、日本で46年ぶりとなる皆既日食が観られる世界天文年だからだ。北山耕平がローリング・サンダーを訪ねたのは、北米大陸で20世紀最後の皆既日食がある前後だった。チョコは本命か義理。たとえ義理チョコでその気はなくとも、夢があって好感が持てる。ちなみに僕は・・・祖母からだけですが。
生性星 mix
貧者の行進(大脱走Part.2)/ ECD
FEEL LIKE DANCE feat. SLY MONGOOSE/ サイプレス上野とロベルト吉野
GANGSTA INTRO/ TETRAD THE GANG OF FOUR
PRIDE/ 籠獅

[かわや版] vol.21 京都大学友の会
節分の日に、その年の吉方を向いて太巻きにかぶりつく「恵方巻き」は、どうやら関西限定のようだが、それよりも例年、楽しみにしていることがある。節分といえば、間違いなく「前田のベビーカステラ」でしょ。昔ながらの紙袋に詰まった、もっちりとした歯ごたえと素朴な甘さ。このほのかな甘い香りに吸い寄せられるが如く、露天で賑わう吉田神社へ足を運ぶのが、小さい頃からの恒例だ。
だからという訳でもないが、同じくらい大好きなのが、泣く子も黙る「京都大学」。昨今は、良くも悪くも大学当局の存在感が強い。立て看板のない殺風景なキャンパスライフを過ごした学生も多いはず。そんな中、かつて程の影響力はなくなったにせよ学生主体の自治管理が残る京大は希有な存在と言える。学生自治の残り香に対する憧れがどこかにある。一方で、学園祭のテーマ変更やら監視カメラの設置やら心配なことも。学生運動から40年。連日、紙面には景気悪化に伴う業績不振や従業員削減の文字が並ぶ。海の向こうでは、大規模なストやデモが拡大しているらしい。でも日本はどうだろう。もちろん、学生運動をリアルタイムでは知らない。けど、「あれは何やったんやろうか」って思う。そんな訳で、ご近所の精華大学とともに勝手に応援している。
また、自由な校風故、ユニークな哲学者を多く輩出していることでも知られる。唐木順三や九鬼周造、矢内原伊作など枚挙にいとまがない。三木清の「人生論ノート」を読み返していると、一節にこうあった。「スピノザのいったように、あらゆる限定は否定である。断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である」。制限や妥協がある中での自由とか個性について示唆に富む。於某所、面白い顔ぶれが揃うアングラな地下バー「Black Riot」に乾杯。とか言いつつ、最近気になっているのは、同い年の大澤啓なんですが。
☆☆☆ mix
スーダラ節/ SAKEZROCK
Hey! Hey! Alright/ スチャダラパー+木村カエラ
近未来/ キセル
京大のカルチャー震源地にて開催される乱痴気騒ぎ、2006年にスタッフとして参加もした「みやこ音楽祭」。緩やかなグルーヴ感は、高校の先輩・永積タカシに通じる。フランキー堺と同様多才な植木等以上に社会運動家でもあったお父さんが素晴らしい。チャットモンチーとともにイベントに華をそえた木村カエラと、前出のドラム担当の伊藤妹も大好きというスチャダラパーとの融合。独特の浮遊感が漂うゆるキャラ兄弟。「すきまミュージック」のリスナーだった僕が、念願のご対面を果たした。

Yohei Horiuchi
[かわや版] vol.20 二階で二階堂和美
そこは、叡山電鉄の「元田中」駅すぐそばに建つビルの二階。東大路通りに面した席からは叡電の往来が見え、遮断機と電車の音が時折鳴り響く。さらに視線を向こうへやると、知る人ぞ知る「朝日堂書店」がでんと鎮座している。初めて訪れたのは、春の古本市の帰りだった。友人と珈琲を飲みながら、その日買った互いの戦利品をテーブルに並べていると、気さくなマスター(愛称は「にーやん」らしい)が「フェリーニ映画を語る」を褒めてくれた。Tony Kosinecのレコードがあったのも覚えている。
先日、久々に「ZANPANO」を訪ねた。聴き初めとなる二階堂和美のライブ。昨秋の「レインボーヒル」以来だ。名曲「卒業写真」に始まり、Pop Levi御仁もはまっているという歌謡曲の数々を堪能した。変な声のスキャットあり鼻歌ありの即興弾き語り。直前には、東京・六本木にある「スーパー・デラックス」での大友良英のイベントに出演しているのもうなずける。小休止にかかっていたSam Cooke。これもまた良し。なんでも、アルバムの録音をここでもやったとかで、お気に入りのお店がまた一つ増えた。
Cover Girls mix
Come again/ つじあやの
せぷてんばぁ/ 二階堂和美
夜明けの歌/ ビューティフルハミングバード
m-floの打ち込みを生演奏にアレンジ。ヨーロッパ企画のラジオ番組で流れてきて、鴨川ライブに行ったり、ラジオを聴いていた頃を思い出した。CKBの切ない一曲。数年前の安田謙一との新京極映画祭で、見事に整理券番号「1」を獲得。二階堂バージョンもイイネ!Eastern Youthが「動」なら、これは「静」なんですが、とにかく歌詞が熱い。夜遊びして明日の仕事休みたいけど、朝が来て、ハミングロードを通って会社へ。そんな日々を過ごす。

[かわや版] vol.19 新年明けてモウた
新しい年になりました。遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。さて、「一年の計は元旦にあり」とあるが、そんなことを考える間もなく、元日出勤だった。元旦。お雑煮を食べ、いそいそと会社へ向かう。駅も街も人通りは疎ら。元旦は何だか寂しい。そのせいか、元旦から働いている労働者としての自分を、行き帰りの道すがら意識した。いきなり仕事とはついてない。
翌日。父親の職場へ同伴し、インコとニワトリにエサをやる。帰りに今宮神社で初詣。となれば、あぶり餅を食さずしては帰れない。持ち帰りで待っていた際、目の前でアクシデント発生。軒先に飾ってあった鏡餅が、特製白みそダレのすり鉢の中へポチャン。続く3日。友人とラーメンを食べに行くも、お目当ての「華祥」は行列で別の店に。ところが、出てきたそれの不味かったこと。三が日の「しめ」には後味が悪かった。9日。取材に遅れそうになり、迷い込んだ路地で慌てて愛車をこする。車も気持ちも凹む。
なるほど。今年はそんな感じか。でも、年末年始は実家でのんびり過ごせたし、父親曰く「いいお正月やった」。正月には、グロテスクや記憶、孤独、死、そして国家をテーマに、各分野で活躍するアーティストが自身の創作について語る正月特集「表現者が語る現代」を興味深く読んだ。もちろんhanareの記事も。「月曜から金曜まで働き、週末は消費・・・」。そんな生活は確かに疑問だ。非正規社員をめぐる雇用問題が叫ばれているけれども、そもそも「労働」って何だろう。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」で、アルフレードがトトに言った。「心から愛せる仕事を探せ」、と。記事に写る笑顔のように、心から楽しめる労働を自問しながら一年間頑張りましょう。
昨年はお世話になりました mix
Starfish and Coffee/ Prince
Main Man/ T.REX
Fountain of Lies/ Pop Levi
ジミ・ヘンドリクスやボブ・ディランといったロックアイコンを彷彿とさせる、「Ninja Tune」発の21世紀のロック・スター。まず、ビジュアルがかっこよすぎる。やっぱり見た目は大事です。音的には、プリンスとマーク・ボランとの融合とも形容される。懐古主義的ではなく、それでいてポップという、言うなれば「サイケ・ポップ」。YouTubeを見て、笑って、泣いて下さい。

hanare February 27, 2009 12:03 AM