[地球日誌] vol.04 Silent Shadows
たゆたう霧に蕭然と佇む木々のざわめき、静まり。色とりどりに染まった葉むらのあいだを、呼びあい飛び交う鳥たち。その彼方に霞む湖のおぼろげな広がり。広大な敷地。瞑想用のパオ。自家栽培の畑。鶏小屋。隣の敷地からは、放牧された動物たちのカウベルの音が聞こえてくる。
古は伯爵夫人の邸宅であった屋敷に、数名のアーティストが暮らし、数々のワークショップ、プロジェクトを企画・運営している。Laboratoire village nomade。秋の深まりがたけなわとなる頃、そこで行われた三週間に渡るワークショップ「silent shadows」に参加した。

すべては、ある建築家の友人の一通のメールから始まった。彼女の制作したドキュメンタリー映画の監督、茂木綾子とは、試写会の会場でその友人から紹介された。ほんの会釈をしただけだった。それから半年たったあるとき、その茂木がスイスで運営しているアーティスト・イン・レジデンスがあり、私の興味に触れるのでは、というメールがあった。サイトを覗いてみると、まさに琴線に触れるものがあった。さっそく、茂木を改めて紹介してもらい、現地を訪れてみたい希望を述べた。快諾の返事があった。しかも、近々「silent shadows」というワークショップがあり、それに参加してみないかという誘いだ。コンセプトは以下の通りだった。
「アジアと欧米の数カ国より、優れた若いアーティストを招聘し、21日間のワークショップを行います。参加者は、『サイレントシャドウズ』という共通のテーマに沿って、各自の作品制作と発表を前提に、このテーマ『静寂と闇』について観察し、新たな発想へと意識を広げるための手がかりとして、ワークショップの前半9日間において、参加者全員が一切の会話を止め、電器照明を使わない共同生活を体験します。通常の生活環境と会話を主とした交流ではない、実験的な交流と体験を通じ、概念的に『静寂と闇』について考え、作品化するだけでなく、新たな発見や驚きから生まれるアート作品の創造を期待します。会期後半は、通常の生活環境と交流スタイルに戻り、各自の作品制作と同時に、アーチィスト間の自由なコラボレーションやディスカッションなど、広がりのある、芸術文化の交流を行います。ワークショップ最終日には、ヴィラと周囲の広大な敷地を利用した、展覧会を開催し、一般公開します。」
ある瞑想のセミナーで、10日間一切記号的なもの(会話、読書、携帯、貨幣等)を排除した生活を経験したことのある私の興味を、否が応でも掻き立てるコンセプトだった。肩書きは「アーティスト」でないけれど、せっかくの誘いだからと、乗った。
パリからTGVでローザンヌ、そこから電車を二度乗り継ぎ、Estavayer-le-lacというヌーシャテル湖畔の小さな町に到着。そこから、車で10分足らずのところにヴィラはあった。既に参加アーティストの大方が到着している。運営スタッフ=アーティストは、茂木の他に、そのパートナーで映画作家のWerner Penzel(ドイツ、以下各々国籍)、やはり映画作家のMarion Newmann(ドイツ)、造形作家のIsamu Krieger(スイス)。他に、日本から(私を含め)5人、アメリカ合衆国から4人、ドイツから1人、南アフリカから1人。


最初の二日間は、自由に会話もでき電気も使える「普通の」生活。出身国・文化背景がまちまちなので、話す言語も会話する相手によりまちまちだ。日本語、ドイツ語、フランス語、しかし、全員で話す場合は、やはりどうしても英語だ。各自、個室を宛がわれ、食事の支度などは自主的当番制だ。伯爵夫人の邸宅だっただけあって、これだけの人数が共同生活しても息苦しさを感じさせない空間的ゆとりがある。朝と夕、希望者は、パオで座禅に参加できる。週に一回、畑仕事も手伝える。私にとっては、いろんな意味で理想的な環境だ。
沈黙と電灯無しの期間に入る。事前の話し合いで、とりあえず三日間試し、四日目に再度ミーティングをし、その後どうするかを合議で決めることになった。沈黙が家を領する。日暮れ以降は、闇が領し、蝋燭の火影だけが閃く。否が応にも、知覚が敏感になる。前述の瞑想のセミナーでも経験したが、非言語的な感覚がどんどん鋭敏になっていくのがわかる。逆に、いかに自分の頭・体の中にふだん言語が駆け巡っているかもよくわかる。他人とのコミュニケーションも、言語を使わないので、相手の気配・気配りに敏感になる。沈黙を通してのコミュニケーション。その豊かさに驚く。ただし、生活上どうしても言語が必要と感じられるときだけ、食堂で白いカードに書くことが許されていたが、ややもするとそれが「通常の」会話をただ文字でなぞる始末となり、それはそれで楽しい憩いのひと時を形作ってはいたが、「沈黙」の徹底という点では中途半端の感があった。
一方電灯の不在は、私としては始めての経験だったが、昼間はもちろんほとんど不便を感じないものの、日暮れとともに、暗がりが濃さを増し、かすかな蝋燭の明かりを頼りに、歩行や炊事や食事や入浴をする、という慣れぬ環境に最初はまごついた。しかし、時が経つにつれ、通常の視覚以外の感覚が鋭敏になっていくとともに、視覚自体も明かりの濃淡、暗がりの濃淡に敏感になっていく。「電灯なし」は、人によって解釈が様々であったが、基本的にパソコンを含めた電気器具の使用も、自らに禁じていた参加者が多かったので、夕食後は、先述のカードによる「会話」以外打ち興じるものもないため、大概の者は遅からず床についていたようだ。
Silent shadowsのとりあえずの三日間が開けた後のミーティングでは、経験に対する感じ方・解釈が実に様々であった。大いにフラストレーションを覚えている者もいれば、居心地の良さを堪能している者もあり、続行するのかしないのか、喧々諤々となったが、結局また3日間沈黙と電灯なし、明けてミーティング、を二度繰り返すことになった。
その期間が明け、「ふつうの」生活に戻る。各自、少しずつ制作の過程に入っていく。ここかしこで、技術的なあるいは創作の根本に関わる共同作業が自然発生的に生まれていく。「沈黙」は明けたが、「電灯なし」の方は、誰が主張することなく自然と続行された。皆、闇と光の豊かさ、貴さに目覚めたのだろう。こうして、10日間、黙々と、時には賑わいながら、創作そして生活が続けられた。
そして、最終日、来訪者そして自分たち向けの「発表会=展覧会」。私は、自分の作品以外に、陶芸家東好美が野焼きした器に盛り込む料理に協力した。この夜も、我々の「沈黙と影」の体験を来訪者に肌で感じてもらおうと、最初の2時間、会話・電灯無しの観覧・宴となった。展覧会のオープニングなど、ややもすると、会話に打ち興じ、肝心の作品は会話の「妻」となりがちだが、この夜は大いに違った。家中に、闇と沈黙が満ち、ここかしこに火影が閃き、足音が響く。それはまるで、家全体が、一つの作品--闇と光、沈黙とざわめきで造形された作品の如くであった。その「作品」を、来訪者もアーティストも、貴び、愛でていた。こんなに素晴らしい「オープニング・パーティ」は他に知らない。最後は、アーティストたちが、音楽家たちの即興演奏に自然に紛れ、思い思いの楽器を手に、音"楽"に興じた。

予感を超えた体験の充実をもたらしてくれたワークショップ、21日間だった。ただ、その充実を蹂躙するように、時折、スイス空軍の戦闘機が空気を劈き、射撃演習をしていたこと、そして、世界中のマーケットで、株価と為替が乱高下し、騒乱を巻き起こしていたことも、現実なのだ。会話も不可能なほどの轟音、経済的記号と情報の狂乱。はたして、こうした圧倒的な現実に対し、今回の貴い体験・実験はいかほどの意味があるのか、今後の自分の課題にしていきたいと思う。
[地球日誌] vol.03『Call Cutta in a Box』
『Call Cutta in a Box』--もしピザ屋がカルカッタにあったら
たとえば、ニューヨーク。電話でピザを頼む。「トッピングは、サラミ、アンチョビ、マッシュルーム・・・をお願いします。」すると、電話の向こうから、「今、少し混んでいるので、30分以上かかりますが、よろしいですか?」こちらは「ああ、もちろん。」「では、なるべく早くお届けにあがります。」
よくある瑣末な日常の光景だ。しかし、この「瑣末」な「日常」に、実は、ある地球的な経済現象の一端が集約されているとしたら。電話の向こうで、インド訛りの英語で応対していた人間が、実はニューヨークのピザ屋で働くインド人ではなく、インドのカルカッタのコールセンターで働くインド人だったとしたら。そして、それが、何もこのピザ屋だけでなく、アメリカのあらゆる業種の「カスタマーサービス」や「インフォメーションセンター」が、実はインドにあったとしたら。
そうして、何百万人ものインド人が、インドのコールセンターで、アメリカのピザ屋、電気器具メーカー、自動車メーカーなどのために、働く。なぜか。もちろん、インドの方が、アメリカより圧倒的に賃金が安いからだ。中国でも、今、日本企業用のコールセンターが着々と準備されていると聞く。理由は、同じだ。
利潤率を少しでも高めるため、安い労働力をどこまでも求めていくというある意味で古典的な(?)資本主義の論理が、21世紀初頭のグローバリゼーションの時代にも、全うに、あからさまに、機能している。この、あまりに野蛮な資本主義的仕掛けを逆手に取り、演劇的仕掛けへと演出しなおしたのが、スイスの演劇集団Rimini Protokollだ。今年の3月、日本の川崎市アートセンターでも、鉄道模型(マニア)を演劇的な仕掛けへと変形し、しなやかかつ的確な社会批判を行い(『ムネモパーク』)、好評を博したグループだ。今回は、ブリュッセルの国際演劇フェスティバルKUNSTENFESTIVALDESARTSに招聘され、『Call Cutta in a Box』と題したパフォーマンスを行った。
あなたは、一人で、あるオフィスビルの一室に入るよう促される。すると、デスク上の電話が鳴る。取る。向こうから、ずいぶんと訛った(?)フランス語が聞こえてくる。(通常は英語ヴァージョンらしいが、私はフランス語ヴァージョンを選んだ。)近くに紅茶のパックと湯沸しポットがあるので、まずお茶を入れて寛いでくれと言う。言われたとおりにする。窓から何が見えるか、と聞かれ、それに答え、あるいは、人生で最高にうれしかった瞬間は何だったか聞かれ、それにすぐには答えられず、唸ったり、あるいは、ずいぶんとフランス語の発音に癖があるので、何度も聞き返して、結局わかったりわからなかったり、あるいは、逆にこちらから相手にいくつか質問をしたり。という、やり取りをしているうち、相手が、今ブリュッセルにいるのではなく、インドのカルカッタにいて、Desconという会社のコールセンターで働いている30歳の男性(名前も聞いたが忘れた)であることがわかる。その証拠物件とでも言いたげに、ファックスで彼の家族の写真などを送ってくる。終いには、スカイプでお互いの顔や背景の映像を見合いながら、会話をする。そして、もしインドに興味があったら、遊びにきたら? そうだね。とか言い合いながら、まもなく終了時間となる。正味50分。
これが、『Call Cutta in a Box』だ。ふだんは、たとえばアメリカのピザのチェーン店のために、あたかも今その店で働いているインド人であるかのように振舞っているカルカッタのコールセンターのインド人たち。彼らは、すでに「パフォーマー」、グローバル化された資本主義のパフォーマーではないだろうか。しかも、ピザを注文するクライアントに何の疑念を起こさせることもない(インド訛りの英語というところがまたにくいリアリティを醸し出すではないか)ほどに、完璧でプロフェッショナルなパフォーマーたち。それが、今回は、Rimini Protokollに指導され、文字通りの(?)「パフォーマー」となって、ブリュッセルの「観客」に対峙する。グローバル化された資本主義の演劇的変容・読み替え?
しかし、インド訛り?のフランス語を話す30歳のカルカッタの男性と話をしていて、はたして、彼が本当に今カルカッタにいて、30歳で、コールセンターで、ふだんはアメリカのクライアントの対応を(もしかして彼の場合は、フランス語圏のクライアント?)しているのかどうか、何の保証もないのだ。もしかすると、彼は、それを単に装って、演技しているだけなのかも知れず、もしかすると、このブリュッセルの同じオフィスビルの一角にいて、インド訛りのフランス語を(演技として)話すプロの俳優かもしれないのだ。私は、こうしてすべてが不確定な、何が「現実」で何が「虚構」か不分明な場に投げ出される。電話、ファックス、スカイプといったメディアが必然的に生成するこうした虚実曖昧な場。それを、資本主義は、利潤を極大化するために利用し、演劇は、その資本主義の知られざるロジックを暴き、それと批判的に戯れさせる一つの巧妙な劇的仕掛けにまで練成する。
私が、ふだん、電話、メール、スカイプなどで、「瑣末な」「日常」として交わしている会話が、妙に「現実」感を失い始めてきた。
Takaaki Kumakura
[地球日誌]vol.02 エコヴィレッジHet Carre訪問記
今、アムステルダムからパリに帰る電車の中にいる。一昨日、生まれて初めて「エコヴィレッジ」なるものに行った(2008年5月2日)。オランダ、デルフト近郊。ごくふつうの住宅街の中に、何気なく存在している。アーチ型の入り口。

白っぽい煉瓦壁。

三階建てのアパートが(日本風に言えば「長屋」風に)かなり広い中庭を取り囲む。開放的な雰囲気だ。中庭では、子供たちが何人か遊んでいる。

いろんな種類の木が植わり、花が咲いている。小さな畑、バーベキュー・スペース、(子供用)トランポリン。なぜか小さなブッダの石像に黒猫が腰かけている。

二日前に、このヴィレッジのサイトから、訪れたい旨のメールを送ったが、音沙汰なし。仕方なく、アポなしで来てみた。偶然、敷地に入るや、人の良さそうなカップル(30代後半?)に出会った。ハーブティをご馳走になりながら、いろいろと話を聞く。このヴィレッジは、5年前にできたとのこと。現在の入居者は、約50世帯120人(うち子供が45人)。基本的に世帯は二人以上。もちろん、人種、性別、国籍、年齢などは一切問わない。入居三ヶ月前から、入居予定者たち(と管理会社)でミーティングを重ね、これから自分たちのコミュニティをどのようなものに作り上げていくか徹底的に話し合う。入居募集時の基本コンセプトは「エコロジー/コミュニティ/スピリテュアリティ」の価値を尊重するということ。このコンセプトをきちんと理解し、自らの生活の中で実現していきたい者たちだけが集まったはずが、単に表面的なキャッチフレーズだけに引かれて応募してしまった者も少なからずいたとか。いずれにしても、唯一の信条なり思想なり宗教なりで結ばれたコミュニティではなく、あくまであらやる場面での「多様性」を尊重することが原則。入居後も(基本コンセプトを表面的にしか理解していなかった者たちも含め)数限りないディスカッションを重ねながら、少しずつゆっくりと粘り強く様々な取り決めを作っていったそうだ。当然、軋轢・紛糾・対立などが生じるが、少なくともこのカップルにとっては(そして多くの入居者にとって)このプロセス全体が、コミュニティの成長であると同時に、個人の成長のチャンスでもあった。特に途中から、sociocracyの方法論を取り入れてからは、少数者の意見も抑圧・排除されることなく、コンセンサスが形成されやすくなった。居住者全員でサークル=円になり、一人ずつ順番に発言していく。そうして、全員が多かれ少なかれ納得のいく解決が生み出されるまで忍耐強く「円」を回していく。そうやって、一つ一つ大きな・小さな問題を解決していく。(もちろん、毎回理想的な終結を迎えるわけはなく、時には「円」の解散後に、局部的なコンフリクトが生じたりするそうだが。)
その後、カップルは、親切にも自分たちの居住部分の内部を案内してくれた。建築的には三階建てのアパートメントが連なる「長屋」スタイルだが、各世帯の居住部分は独立している。建築的な共有部分は従って、中庭だけ。各戸の入り口は、敷地外部の通りに向かって一つ、中庭に向かってもう一つ。中庭に面しては、各戸固有の小さな庭がある。
家に入るとまず驚いたのが、内壁が土壁であること。

内装は、各世帯独自に工夫しているそう。土壁は(日本の珪藻土のように)家族の健康を気遣って塗った。おかげで花粉症の季節でも、(少なくとも屋内では)症状が軽くて済む。発電は、基本的に全戸ソーラーパネルを利用。ヒーティングシステムは独特で、夏季にソーラーパネルで生成した電気を地下40メートルに蓄積し、それを冬季、暖房として使用する。魚を飼っている水槽の水はろ過され、天井から小さいせせらぎとなって、また水槽へ。

風呂の残り湯も、ポンプで汲み上げタンクに溜め、トイレの排水用に使っている。
カップルには子供が三人いるが、三階(屋根裏部分)を改装し、各々の小宇宙を作った。屋根裏ゆえ、大人が立つと天上に頭がつかえるくらい手狭な空間に、実に個性的な空間が三つ形成されていた。一人の男の子の部屋の入り口など、ヨーロッパ中世の城塞の入り口のような跳ね橋になっていた!

とにかく、建築的な基本構造を除くと、ほぼすべてが手作り(電化製品までは作れない、と笑っていた)。手作りの原則は、リサイクル・自然素材・個人の精神世界の実現。感心することばかりだったが、一つ気になったのが、カップルの崇敬するサイ・ババのポートレートが何枚か飾られていたこと。
いずれにしても、見たもの、聞いた話のほとんどに深い共感を覚えながら、初めてのエコヴィレッジを後にした。
[地球日誌]vol.01 白い手帳
手帳が白い。4月から先のページが真っ白なのだ。
3月末までは、常と変わらず真っ黒。授業、会議、待ち合わせ、その他しなくてはならないことで埋め尽くされている。根が真面目な(?)快楽主義者なので、極力意に沿わぬことは、人生の中に入れないたちなのだが、それにしても一個の「社会的存在」として生きているかぎり、自分の欲望だけを全面的に貫き通すわけにもいかない。ところが、である。
4月1日から、(公けには)パリに一年間住むことになった。なぜか、パリ政治学院というところで、客員研究員・教授という資格である。住むのは、84年−91年の留学以来だ。
真っ黒な東京から、真っ白なパリへ。(パリは、相変わらずどこに行っても糞尿のプレゼンス濃厚だが。)
もちろん、東京にいても一人の時間はあった。でも、それは、本当の意味で「一人」ではなかった。たとえ本を読んでいても、それはある頼まれた原稿を書くため。街を歩いていても、それは誰かと打ち合わせをするため。ベッドで寝ていても、それは翌日元気に社会的生活を送るため。ほぼ常に、今生きている時間それ自体の"外に"何らかの「目的」があり、たとえ一人でいても、その目的に前もって方向づけられ、拘束されていた。
完全に自己充足的な時間は、皆無に近かった。たまに、ごくたまに、そうした時間ができた時(それはエアポケットのようにたいがいある予定がキャンセルされたときなどに突如として訪れるのだが)、誘われるように、空間的にもエアポケットのような場所に足を踏み入れているのだった。明治神宮の裏の森--突然、人のまだ住んでいなかった時代のこの地の"気"に浸されながら。あるいは、新宿御苑--喧騒と猥雑の中にぽっかりと開けた静寂に包まれながら。あるいは、単に、ふだん見知っているはずの町の、見知らぬ裏通りを当てもなくさ迷い歩きながら。
黒く塗りつぶされた時間の中に、僥倖のようにもたらされる純白の時間たち。それは、時に涙を誘うほど貴いものであった。
それが、4月1日から、全面的に真っ白なのだ。果てしない雪原が広がっているかのよう。今までは、目の前に必ずある「道」が待ち構えていたのに、それがどこにもないのだ。次の瞬間、何をしてもかまわない。いつ・どこで・何をするかは、全面的に自分しだい。無限の可能性の中から、一つだけを選んでいく。そう、ただ一つだけ。人間が一個の実存であるかぎり、残念ながら"一つ"しか選べない。無限の選択肢からただ一つ。突如、そうした状況に置かれ、不安がないわけではない。当然、瞬間瞬間選択するときに、「迷い」が生じるときもある。今、どうしてもしなくてはならないことがないのだから、今ここでそれをしなくてもいいのではないか。ふと、心が停滞気味になるとき、そうした「一時保留」という選択なき選択に陥ることもある。
そう、正直、不安なのだ。突然、純白の雪原に放り出されたのだから。サルトルは昔、人間の本質が前もって神によって決められていないのならば、人間は自らの本質を瞬間瞬間自分で作っていかなくてはならない、旨を説いた。
神によって決定されていないまでも、神なき現代の社会に生きる個人の大方の行動は、社会の「見えざる手」によってあらかじめ決められている。その決定はもちろん、自由の拘束でもあるが、同時に迷いの可能性を打ち消すがために、ある種の「安心」を与える。黒い安心。
この全面的に白い不安=自由の中で、瞬間瞬間何をするのか? 自分の欲望が、純粋に試されている。
hanare November 4, 2008 02:26 AM