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[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(5)

〈8月24日(日)カッパドキア〉
 今朝は、久しぶりにヨガ。気持ちよかった。起き抜けだったせいもあるが、あちこち気が滞っていたようだ。
 ホテルのテラスで朝食。眺望抜群で気持ちいい。主人と少し雑談。彼も、シルクロード横断が夢とか。

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 彼の勧めで、今日は、ゼルヴェの野外ミュージアムまでドルムシュ(ミニバス)で行き、そこから徒歩でローズ・ヴァレー、レッド・ヴァレーといった「谷」を通りながら、ギョレメに戻ってくることに。
 案内所でドルムシュの時間を訊くが、一時間以上後とのこと。インターネットカフェにより時間をつぶす。12時少し前にバス停に行くが、なかなか来ない。ようやく40分後にきた。
 ゼルヴェ。奇岩の中に穴を穿ち、その中を教会(キリスト教)にしたもの。11~12世紀の頃のものが多いという。奇岩自体の自然の造形にも驚くが、その内部を刳り貫き、隠れ住んで、ひたすら信仰生活に没頭したその執念にも、驚く。わずか三個の小さな穴を穿っただけの独房があちこちにある。その中で瞑想・祈りに身をささげていたと思うと、身震いする。

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 ゼルヴェの後、ホテルの主人からもらったトレッキング用の地図を頼りに歩き出すが、なかなかそれらしい道が見つからない。道なのか枯れた川なのかわからないところを歩いていくが、やがてそれもなくなり、ブドウ畑(といってもほったらかし状態だが)の中を、乾ききった土に足が埋まりながら、道なき道を歩いていく。パシャバーに到着。

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 観光客が多く、早々に退散。次のポイント、チャヴシンに向かう。しかし、地図がアバウトすぎて、やはりそれらしい道が見当たらない。仕方ないので、適当にその方向の道を歩き出す。ブドウ畑の作業路らしい。乾き切り、暑い。奇岩の群れを遠巻きに、とぼとぼと歩いていく。こんな物好きは、他に見当たらない。皆、徒歩以外の交通手段で快適に通り過ぎる傍らで、一人酷暑の中をひたすら歩く。でも、この「物好き」をしたくて、この旅に出たのだと改めて実感する。
 一時間後、かなり消耗してチャヴシンに着く。一つ岩窟教会を見た後、地元臭濃厚のロカンタに入る。ビールと、この店の得意料理らしい牛の鉄板焼きらしきものを頼む。酷暑の中での一人歩きの後、ビールが目茶苦茶おいしい。それにしても、蝿が多すぎる。こんな状況で料理が運ばれてきたら、たちまち彼らの餌食になりそうだ。向こうにいる白人たちのテーブルの方には、なぜかいないようなのだ。どうやら、彼らの上で回っている白い扇風機が作用しているようだ(何が功を奏しているのかわからないが)。現に、その真下のテーブルに移動すると、蝿たちは追ってこない。一安心。
 「鉄板焼き」登場。この店のお母さん自ら調理して持ってきてくれた。平たい丸い鉄皿の上にトマト・ピーマン・玉ねぎ等とマリネした牛肉の小片がいい具合に焼けかつ煮えている。あたかもブルコギのよう。旨い。やや脂っこいが、旨い。皿の中央に添えられたピラフとの相性も抜群だ。

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 昼食を終えた後、頼りにならない地図を頼りに、ローズ・ヴァレー、レッド・ヴァレーを目指す。今度は、それらしき道が割りと簡単に見つかる。やはり乾ききった道。奇岩群の脇をひたすら歩く。しかし、今度は、先ほどの作業路と違い、奇岩の間を縫っていく道なので、絶えず光景が予想外に変化していって楽しい。30分に一人程度しか人とすれ違わない。こんなに暑い中、こんな物好きなことをする人間は、やはり相当少ないようだ。

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 突如現れる息を呑むような光景に、しばし足も止まる。一人で味わい尽くす。これこそ、旅の贅沢ではないか。奇岩や教会の前で、記念写真を撮るだけで満足しているような輩の気が知れない。(彼らにすれば、私のような者こそ気が知れないのだろうが。)
 こうして二時間くらいだろうか、一人でひたすら、自然の目くるめくような造形と、昔の修道士たちの執念の中を、歩く。歩きながら、瞑想的呼吸をすると、その執念とかすかに遠く共振するような気がする。最後の難関らしき上りの急坂を登りきると、これまでの足跡をすべて繰り広げてくれる絶景が待っていた。感動。

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 へとへとになりながら、しかし充実しきって、ギョレメ野外ミュージアムに着く。あまりに疲れていたので、入るかどうか一瞬躊躇したが、夕方は団体が少なく比較的空いているとホテルの主人が言っていたので、意を決して入ってみる。
 ここも、11・2世紀を中心とした教会が岩に穿たれている。特にいくつかは、当時のフレスコ画が保存されているので、貴重。それにしてもここまで執着する信仰心はすごいものだ。

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 ギョレメの町に、車道をとぼとぼ歩きながら戻る。ホテルに帰って、シャワーを浴びすっきりする。あまりに疲れていたので、ベッドに横になったら、30分くらい寝てしまった。その後、洗濯。
 トルコに来て初めて(ということは、この旅で初めて)の雨。大粒だったが、すぐに止んでしまった。

《百閒》
 この旅に、二冊の本を持ってきた。百閒の『第一阿房列車』とチェ・ゲバラの『革命戦争回顧録』。どちらも、旅人の文章だ。パリからの夜行で、百閒から読み始めた。百閒は昔から気になっていたが、まともに読んだことはなかった。
 第二次大戦敗戦の記憶がまだ新しい昭和35・6年に、彼が文字通り「当てもなく」気ままに鉄道の旅をした文章だ。わがままな輩だ。B型か。でも、微妙な違和を感じる。「わがまま」過ぎるのだ。「気まま」を装いながら、かなりの小心者と見た。誰にも会いたくない、誰の世話にもなりたくない、と言い放しつつ、結局行く先々で駅長等の歓待を(彼風に言うと)甘んじて受ける。彼らが「先生」のために特別手配する宿、酒宴に、ぶつくさ言いながら結局は喜んで(酒があればどこにでも)出向いていく。粋人の割には、旨いものには無頓着。己の世界に閉じて、それ以上の「冒険」には身をさらさぬ輩とみた。かなり落胆。偏屈な親父に過ぎぬ。友達にはなれないだろう。
 で、ゲバラは?

〈8月25日(月)カッパドキア〉
 6時に起き、瞑想する。久しぶりの瞑想。
 今日は、一日ツアーだ。9時半、ホテル出発。イタリア人3人、フランス人父娘、ニュージーランド娘3人、オーストラリア娘3人に私、という構成。今日巡るところは、それらに行くドルムシュがないとのことで、仕方なくツアーに参加。デリンクユ地下都市、ウフララ渓谷などを回るが、やはりツアーに参加していると、あの「絶対的な」瞬間が訪れない。単に、私のツアーに対する先入観が災いしているのか。とにかく「リアルなもの」の到来がない。見るものすべからく、前もって記号的なもので覆われてしまい、オブラートのような距離ができてしまっている。「ツアー」としては、押し付けがましくなく、嫌らしい商売っ気もなく、まともだと思うが、やはり「ツアー」自体、受け付けないようだ。
 いったいなぜ、人々は「ツアー」に取りつかれるのだろう。それは、「旅」をしないため、「旅」が恐いからではないだろうか。旅を構成する意外性、孤独、無為等に耐えがたく、ひたすら旅を回避するために「団体旅行」をする。
 私は、それを生理的に受け付けない。「行列」がだめなように。
 旅には、無駄が必要だ。「効率」は、旅と反比例する。無駄の豊かさを味わうこと、それが旅の面白さの一つだ。「ツアー」には無駄がない。従って、旅がない。たまに「ツアー」に参加すると、旅の有難さも浮き彫りになる。

hanare December 21, 2008 04:20 PM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(4)

〈8月22日(金)サフランブル→アンカラ〉
 今朝は、6時過ぎに目が覚めてしまう。仕方ないので、何の目的もなく街中を散歩。まだ開いていないだろうと思っていた例の(ハンバーグの)ロカンタが(8時前から!)開いていたので、入り、豆の煮込みとレンズマメのスープを一挙に食べる。
 部屋に戻り、荷造り。本館に一応挨拶に行く。9時頃市バスに乗り、長距離バス乗り場まで行く。少し迷ったが、何とかアンカラ行きのバスに乗る。13時半、アンカラ到着。
 それにしても、トルコ人、英語ができない人が多い。できるのは、観光業に携わっている人たちの中でも一部の人だけ。全くできない人が多い。この国では、中学高校で外国語を教えないのだろうか。(英語はできないけれど、ドイツ語はできるという人が時々いる。出稼ぎにいっていたのだろうか。)
 アンカラのオトガル(フランス語のauto+gareから来ているのでないか、ということに気づいた。バスターミナルという意)に着き、ミニバスに乗り換え、予約してあるホテルのある旧市街ウルスへ。ウルスらしき停留場に降りるが、地図上でいったい自分がどこにいるのか全くわからない。仕方ないので、二人の男性に身振り手振りで何とか居場所を教えてもらう。何とか、ホテルにたどり着く。
 日本好きだというフロントの女性が、「日本人が来た」というだけで妙に大喜び。しかも、予約時の電話で私の名前を「Kurakura」と聞き違えたらしく、勝手にウケている。部屋は、60リラ。シャワー・トイレつきで、大都市だから、手ごろな値段か。
 早速、このほとんど「観光」的に見るものがないとされているアンカラで、数少ない「名所」アナトリア文明博物館に行く。(結局なんだかんだ言って、「観光」しているではないか!)ヒッタイトを中心にアナトリアで興亡を繰り返した民族・王国の貴重な遺物が並ぶ。リディアで作られた最古(に近い)コインが見られなかったのが、残念。
 その後、日本好きのフロントの女性が、半ば強制的にネットで調べてくれた日本レストランを一応探してみるが、やはり全く「日本」ではなかった。だいたい、名前がEviだもの。

 アンカラは、何だか異様だ。夕食前、ビールを飲める店を探しにホテルの周りを歩いてみたが、とにかく人の歩く速度がやたら速い。暴力的ですらある。イスタンブールの1.5倍。サフランブルとは別な国のようだ。
 それに、欲望が剥き出しだ。町に(といってもこの辺りは一応「旧市街」らしいが)イスタンブールのような歴史がないために、欲望の都市的表出に文化的な歯止めがない気がする。イスタンブール以上にアナーキーな感じすらする。
 結局、30分以上歩き回るが、ビールを気持ちよく飲めそうな店を一軒も発見できず。この国、やはりイスラムだけあって、観光、つまり外国人による消費が多く期待できないところでは、アルコールを見つけるのがかなり難しいようだ。仕方ないので、博物館のある丘へと登り、外国人消費が期待できるであろう界隈を探る。
 一軒見つける。高級そうだ。テラスからアンカラの町並みを一望できる。大概の客はお洒落している。自分がやや場違いな感じがしたが、今さら引き返すわけにはいかないので、そのままテーブルに案内される。入り口近くの一番「立地」の悪い=眺めの悪いテーブルに案内される。おそらくそこ以外は、すべて予約済みなのだろう。それに、二人がけの席はそこしかないようだ。仕方ない。
 まず、ビールを注文。急坂を登ってきたので、旨い。次にメニューを頼むが、ないという。? サービスするほうも、メニューはないは、言葉は通じないはで、困り、「シシケバブ?」「サラダ?」と、一番「無難」なものを薦めてくる。こちらも、それ以上、複雑な料理を説明できないので、仕方なくそれに応じる。
 サラダが運ばれてくる。何ということはない平凡なサラダ。でも、例のごとく素材がいいので、不満はない。次に、シシケバブ。残念ながら、串から抜いてある。日本の焼き鳥もそうだが、串に刺してあるものは、やはり串のまま噛り付きたい。元々そうできているものを、串から外してしまうと拍子抜けする。旨さも半減する気がする。肉、そして付け合せの野菜、どちらとも素焼きだが、やはり素材がいいので、それなりに美味しい。赤ワインを注文する。トルコに来て初めて適温で来る。(それまでは冷たすぎるか温かすぎるかだった。)なかなかいける味だ。
 しかし、目の前を、なんだか旨そうなものが、続々と通っていく。言葉の通じない「外国人」の悲哀。怒ってみても仕方ないので、自分の前の物を黙々と口に運ぶ。最後にラクを一杯飲む。しめて46リラ。このクラスの店として、高いのか安いのか?

《写真嫌い》
 写真が嫌いだ。撮るのも、撮られるのも。
 この旅にも、一応カメラは持ってきた。自分のためというより、人に見せるためだろう。歩いていて、ある光景に魅せられる。そのまま、魅せられていたい、と思う。カメラを介在させた瞬間、その生(なま)な魅惑は吹き飛び、「被写体」「対象」と化してしまう。「主体」と「客体」の生成、その「近代」的視線の暴力が、嫌いだ。
 確かに、この極めて近代的な装置を使いながらも、その視線の客体化を逆手に取り、生の魅惑を生け捕りにする優れたフォトグラファーたちを知っている。もし、それに並ぶ技量があるなら、私もあるいは生け捕りに夢中になっているかもしれない。その技量が、私にはない。
 カメラを構えた瞬間、撮る者の現場への「当事者」性が一挙に消去され、「第三者」的視点へと移動してしまうことも、不快を生む。旅人として現地の日常に入っていくとき、相互的に微妙な違和感を生み出すが、その違和の微妙さ―それは互いに交わす視線・微笑み・短い言葉などで絶えず変化する―が、カメラを構えた瞬間、やはり暴力的に蹂躙され、単一の、絶対的な超越性へと運ばれてしまう。
 逆に、この超越性に互いに甘んじながらも、写真をコミュニケーションの一手段としうることも知っている。現に、他の手段ですでに仮初めの親しみが生じている場合、さらにその親しみを変奏するのに、写真に共に収まったりする。しかし、まだ親しみも生まれていないのに、やにわに他者にカメラを向けうる暴力=失礼に、私は耐えられない。

〈8月23日(土)アンカラ→カッパドキア〉
 カッパドキアに着いた。ビールで例のように一人で乾杯。
 今朝は、8時過ぎに起き、軽く体操。ヨガを十日以上やっていないので、体が完全になまっている。明日あたりヨガをしようか。
 ホテルで朝食。カッパドキア行きのバスまで(午後3時出発)かなり時間があるので、ゆるゆると散策に出る。近所のコユン・バザールに向かう。観光客がほとんどいない。店のプレゼンテーションに感心するもの多し。思わず魅惑される光景もあるが、あえて写真は撮らない。代わりに、録音しようとフランスの友人から借りてきた機材を取り出すが(なぜか音撮りの方が、上記の写真のジレンマにさらされない気がする。撮る者の「超越性」が弱いからだろうか)、動かない。旅行中勝手にスイッチがオンになっていたようだ。後で電池を買わなくては。

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 市場が好きだ。たぶん、住民の日常生活が露に集約されているからだろう。市場は、ミュージアムのカウンターパートといえる。皮肉なことに、アンカラではバザールがミュージアムのある丘の中腹にある。もちろん、バザールの方が下だ。
 途中、市場内のカフェで、エルマ・チャイ(アップルティ)。日記を書く。
 ホテルに戻る途中、バザールの文具屋で、シャープ針を0.50リラ、メモ帳1リラで買う。店の兄ちゃん、こんな安いもの、金持ちの日本人に売って、何だよーー、って感じ。でも、憎めない表情。電気屋で電池も買う。やはり市場では、写真を撮るより、実際に(土産物でなく)日常品を買うのが、「正しい」コミュニケーションのように思う。
 ホテルに戻るが、まだバスまで時間があるので、日記の続きを書く。ホテルを去り際、フロントの日本好きのお姉さんに(「子供」ではないが子供みたいな人だったので)紙風船を渡す。(旅の途中で親しくなった子供たちに渡すため日本の紙風船をいくつか持ってきていた。ある知り合いのダンサーの顰に倣う)気持ちが通じたようだ。これまでも、何度も、日本人である私に話しかけ会話を試みようとするのだが、いかんせんトルコ語しかできないので限界があり、どんどん「あきらめ」の表情が濃くなっていた。しかし、最後にこの紙風船をあげたことで、意が通じ合った気がする。
 タクシーでオトガルへ。運転手の兄ちゃんと片言の英語で断片的な会話を交わす。兄ちゃんは、ロシア、ウクライナの女性が好きだとか。トルコの女性は、触らせてくれないからつまらないらしい。「イスラム」国であるトルコの多くの女性は、いまだに「処女性」を大切にしているのか?
この点に関し、トルコは不思議な国である。実際、真夏にもかかわらず顔以外、体を覆っている女性が多い一方で、ビーチではビキニ姿の女性たちも多くいた。両者は、まったく別のカテゴリーを形成しているのか、それとも重なるのか。いずれにしても、少なくともここトルコの女性たちは、「近代」的な「女性解放」に悩まされているのだろう。
オトガルに1時間前に着いたので、暇つぶしに音を撮る。大手らしい「メトロ」社バスで、一路カッパドキアへ。
それにしても、アンカラからカッパドキアへの風景は荒涼としている。単なる荒地なのか、それとも小麦でも借り入れた後で単に殺伐としているのか、とにかく得体の知れない荒野が続く。
途中、トゥズ湖沿岸を通るが、この湖もほとんど涸れかけている様子で、「湖」と呼ぶにはかなり難しい湖だ。どこまでもほとんど水なき湖が広がっている。

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 夜8時ごろ、カッパドキアの中心都市ネヴシェヒルに着き、シャトルバスで宿のあるギョレメに移動。夜で道が定かでないので、ホテルから車で迎えに来てもらう。一泊40リラと安めだが、なかなかいい部屋だ。
夕食は、その名も「ローカル」という地産地消をコンセプトにしているらしいレストランで。前菜に、フムスにパストラミの薄切りが幾枚か乗ったものがほんのり暖めてあるもの。なかなかの出来。メインは、この店のスペシャリティらしい、鶏ロールのチーズ・トマト焼きにポテトフライとピラフが付け合せになったもの。鶏に少し火が通り過ぎていることと、意外と味が淡白なのが、少し残念。地のワインは、かなりよろしい。

(つづく)

hanare December 13, 2008 11:23 PM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(3)

〈8月19日(火) イスタンブール→サフランブル〉
 サフランブルに着く。イスタンブールから約6時間のバスの旅。あまり長くは感じなかった。夜行三連泊の効果か。でも、窓際の席でなかったせいか、景色がそれほど楽しめず残念だ。
 給仕をする「ボーイ」さんが面白かった。きちんとネクタイをして、それこそ「ボーイ」のような服装をして、あたかも客室乗務員のごとく飲み物や菓子をサービスする。もしかすると、トルコ青年の憧れの職業なのだろうか?
 今晩から泊まるペンションは、『歩き方』に載っていたもので、日本語ができるスタッフがいるということで選んだ。一泊30リラ(1リラ≒80円)。確かに、少なくとも娘さんらしき人はかなり流暢に日本語を話す。しかし、宿について早々、部屋に入る前からすでに、私のトルコでのこれからの過ごし方について相談に乗ってあげるといわれ、相談し始めたが、どうもアンカラに発つ予定の1週間後まで自分の宿に私を置いておきたい様子。しかも、明日、三日後から宿泊予定だった(黒海沿岸の)アマスラに「親」と行くから一緒に行かないかと、あたかも個人的に親切心で誘っているかのようだったが、実際は他の宿泊客6人と一緒のツアーで、車に空席が一つだけあったので、それを埋めたかったらしい。しかも、「行く」と答えたら、やにわに「20リラ」と言ってきた。
 元々トルコの人たちは素朴なホスピタリティに溢れていたのだろうが、それに「金儲け」の旨味が加わると、そのホスピタリティが「金儲け」に疎外されてしまう。これは、「歓待」されるほうにとっては、非常にアンヴィバレントな心理状況におかれることになる。正直、あまり気持ちのいいものではない。資本主義はやはり、ここトルコでも人の素朴な"心"を大いに歪めている気がする。しかも、これまで「金儲け」の旨味に無縁だった者ほど、その"魔"に取り付かれやすいのではないだろうか?

 結局、グルジアへのロシア軍の攻撃が始まってしまったため、アゼルバイジャンの首都バクーまでやむなく空路を使うことにする。26日、アンカラからバクーまで飛ぶ予定。しかも(本当か嘘かわからないが)旅行代理店でエコノミークラスが一杯といわれ、これもやむなくビジネスクラスにする。法外な値段ではなかったので、助かる。
 問題は、それまでの時間。サフランブルとアマスラで三日ずつ過ごそうと思っていたが、前述のペンションの彼女が、アマスラのホテルはすべて一杯だという。にわかに信じがたかったので、何軒かのホテルにあたってみる。やはり、すべて一杯ではなかった! あるホテルは、朝・夕食つきで80リラと最初言っていたが、電話の向こうで同僚と相談したあとは、ダブルの部屋だから倍払えとなってきた。ここでも、やはり「金儲け」で素朴な心が歪んでいるのだろうか?
 パリを発ってからこれまで、気持ちいいコミュニケーションと気分が曇らされるコミュニケーションが相次いでいるが、後者の拠って来るところは主に二つだ。一つは、金儲け、すなわち資本主義的心性。もう一つは、旧共産圏の遺産たる官僚主義。両者とも、「近代」が作り出したメガシステムだ。いったい「近代」とは何だったのだろう?と改めて思う。もちろん、「近代芸術」も含め、人類に大きな精神的・物理的豊かさをもたらしたのも事実だが、そのカウンターパートとして、多くの人心を惑わし、汚してしまったことも否めない。今や、資本主義の最前線と共産主義の最後線(?)でこそ、それが最も剥き出しになる。果たして、その二つの線が強力に交錯しあっているはずの中国では、どんな生々しさが現出するのか、今から楽しみだ。

〈8月20日(水) サフランブル〉
 今日も無事に終わりつつある。今、カフェのテラスでビールを飲んでいるところ。
 今日は、ペンションの本館(私は、そこから徒歩で10分ほどの別館に泊まっている)で朝食を食べた後、街中をしばらくぶらつき、以下に描く「小さな宝石」の中のカフェでしばし「珠玉の時間」に酔いしれた後、11時から他の宿泊客と黒海沿岸のアマスラに半日ツアーに行った。オランダ人青年3人、フランス人カップル、韓国人青年1人と私といった構成。途中で、ローマ時代の道標跡を見てから、アマスラの町に。小さな漁港と小さなビーチ。非常に混み合っている。前述のように、明日からこの町に移動しようと思っていたが、この光景にうんざりし、あっさりとそのプランを捨てる。さて、どうしたものか?

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 昼食(アンチョビのフライを食べた)の後、町を散策し、でも小さな町なので一時間そこそこで終了。黒海で泳ごうということになり、混んでいるメインのビーチとは別の少し離れた岩場に案内される。そこも、家族連れなどで大いに賑わっている。
 (地図上でしか知らなかった)「黒海」に生まれて初めて浸かって素朴にうれしい。ただ、文字通り浸かっただけ。海水パンツを宿においてきてしまったので、二つ持っていたガイドの青年から一つを借りたのだが、ぶかぶかで、とても元気よく泳いだりはできない。そこで、ほんの数分黒海に体を浸し、上がった。水は、思ったほど冷たくなく、しかし、小さな湾のせいか、やはりあまりきれいとはいえなかった。
 その後、皆でビールを飲み、英語、フランス語、時に日本語(ガイドの青年が多少できる)を交え、それなりに楽しいひと時を過ごす。

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 こういう、よく言えば「一期一会」、悪く言えば「行きずり」の出会いでの会話は、実に微妙だ。互いに初めて会い、しかも同じ宿に泊まっているのだから、それなりの「縁」がありながらも、元々互いへの興味からコミュニケーションしているわけではないため、会話の位相が社交+微妙なαにとどまるのだ。この「微妙なα」は、さして気をそそられないこともあれば、非常にそそられることもあるだろう。今日の「α」は、「さして」だった。
 この、ペンションなどでの旅人同士、あるいは宿主との出会いは、通常前もって速やかな別れを前提としているため、出会いとしてはかなり特殊な出会いといえる。私はまだ、この種の出会いを十分楽しめていない気がする。シャイなのだろうか?

《レモン・ケキク・チャイ》
 忽然と現れた小さな宝石。一面、屋根のように小路を覆う葡萄の葉むらとたわわな房から、朝の木漏れ日が差し、敷石に映えている。
 客が押し寄せる前の、しばしの静けさの中、店主たちが、思い思いに、ゆったりと支度をしている。幾百年も前から、おそらく毎朝繰り返されている作業。「世界遺産」に登録されて以来、作る物の形相・質、カネのやり取りの量が、変わっただろうが。
 この、小さな宝石の入り口に構える一軒のカフェ。客はまだ、誰もいない。葡萄の木漏れ日のさなかに座る。レモン・チャイを頼む。

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 来る。驚く。通常、チャイは(少なくともトルコでは)、手のひらに収まる程度の、小さいガラスのグラスで供されるが、ここのレモン・チャイは、銅製だろうか、小鍋の中に、生のレモン、オレガノ、シナモン一本、クコの実(?)がたゆたっている(オレガノを「ケキク」というらしく「レモン・ケキク・チャイ」といっていた)。一幅の絵のごとき。それを載せた小盆の中もまた、一幅の絵のごとき。それが、小さな宝石の只中に、落ち着いている。真に、珠玉の時間。

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 少し離れたテーブルでは、店主の家族がのんびりと朝食をとっている。新聞の記事を娘に読み聞かせる父。少し離れたところでは、水槽の水を取り替える母の傍らで、亀と戯れる幼い娘。
 朝のしばしの団欒に囲まれ、私はただ、珠玉の時間と茶に、陶然とする。

《握手》
 シィルケジ駅最寄の安食堂(ロカンタ)街。お気に入りの店に、夕食を摂りに来る。店頭に八種類の料理が並ぶ。どれも旨そうだ。
 肉団子と野菜の煮込みを選ぶ。付け合せに、素のピラフ、それにデザートらしきもの。小さく平たい茶色のまん丸のものが五つ、小皿に乗っている。まず、煮込みを口に入れる。美味い。いたって素朴だが、素材の旨味を最大限抽き出している。デザートらしきものも、口に入れる。これは何物? 口中に生地からじゅわーと爽やかなシロップが沁みでる。えらく美味い。アルコール抜きのサバラン、といった風情。通常トルコの菓子はいたって甘いが、これは程よい甘さ。
 帰り際、あまりに美味かったので、料理人に(英語で悪かったが)「Very good」と告げた。向こうから握手を求めてきた。肉厚の手の平が、私の手をしっかりと握りしめた。互いの思いが伝わったようだった。

《不意を突かれる―サフランブルと草津》
 この町でよく水煙草をやりに行ったカフェがあった。店には、トイレがなく、外の公衆トイレを利用する。トルコの公衆トイレは通常有料(0,50リラ)だ。代わりに、決定的に汚いということはない。
 トイレを利用したあと、入り口近くに座る老人が、それらしき人だったので、0.50リラ硬貨一枚を手に渡す。思いがけない笑みを放った。あまりお金をくれる客がいなく、久しぶりにもらったから、うれしいのか。それほどのことをしたのだろうか、と去りかけると、私の背中の方を指差している。こちらで買った「民芸調」リュックに垂れる金糸の房を指しているようだ。再び、同じ笑みを放った。
 昔、大学生時代、草津にあるハンセン病療養所(当時はらい病と言ったが)にヴォランティア活動に行ったことがある。そこで親しくなったお婆さんがいた。ヴォランティアの後も、二三ヶ月に一度、個人的に会いに行っていた。
 ある日、例のように訪ねて行くと、どこからか、以前私が何かの機会に送った絵葉書を取り出してきた。カンディンスキーの絵だ。シベリアの平原が一本の水平線で表わされ、その線上を数頭の馬が疾駆している構図だ。
 おばあさんは、この絵がたいそう気に入ったと言う。もちろん「カンディンスキーの絵」だからではない(彼女はだいたいカンディンスキーを知らない)。構図が面白いわけでも、色彩の使用法が興味深いわけでもない。ただ、馬がこんな風に駆けている(葉書の上ではごく小さいサイズ)姿が、ありえないほど面白い、というのだ。
 金糸の房同様、不意をつかれた。

〈8月21日(木)サフランブル〉
 8時過ぎ、昨日小ツアーのガイドをしてくれた青年が、早く起きられたら近郊の案内をしてあげてもいいと言っていたので(もちろん有料だ)、本館に向かう。たぶん来ないだろうと思いつつ、朝食を食べる。日本人青年二人と一緒になる。無愛想にするわけにもいかないので、適当な会話をする。結局、彼らがタクシーで近郊の、昔ながらの素朴な暮らしがほぼそのまま営まれているというヨリュク・キョイ村に行くというので、便乗することにする。9時過ぎ出発。往復で一人10リラ。タクシーのおじさん、素朴でいい人。結局、行った先の村でも、言葉が通じないながら、案内してくれる。気持ちがうれしい。

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 タクシーのおじさんと、同行の日本人がもっていた『指さし会話帳』を使ってしばし皆で会話。かなりコミュニケーションが広がる。この本、なかなかの出来かも。おじさんも、よく出来ている、と感心していた。(自分の持っている)ロシア語版も役立つといいが。
 11時半ごろサフランブルに戻り、解散。部屋に戻って、突然(同行の日本人が「カッパドキア」という言葉を発したからか?)カッパドキア行きもありかもと思い、検討し始める。
 昼を、前から気になっていたロカンタ(店内の配膳の仕方や風情に「哲学」を感じた)に入ってみた。トルコ人しかいないので、期待度アップ。羊肉と野菜の煮込み小鍋を頼む。素朴だが絶品。大満足。店主らしきおじさんが入り口脇で焼いている羊のハンバーグ状のものがやたら美味しそうなので、また夕食に来ようと思い、閉店時間を訊く。残念5時!と早い。でも、あれを逃してはならないと思い、閉店前にあえて来ようと心に誓う。
 昼食後、本館で、明日のアンカラ行きのバスを予約してもらう。近くのカフェでチャイを飲みながら、携帯でカッパドキアとアンカラのホテルを予約。行く予定だったアマスラのホテルをキャンセルしようとするが、「キャンセル」という英語がどうしても通じず(ほかの表現を使ってもどうしても通じず)閉口する。
 その後、部屋で一休み。昼寝をしようと思ったが、体にまとわりつく蝿に悩まされ、寝付けず、結局百閒をけっこう読む。それにしても、百閒、変な、というか偏屈な親爺だ。「変人」は好きだが、彼はきっとお友達にはなれない輩だ。
 結局、昼寝は無理なので、三時半ごろ部屋を出、「コラム」をいくつか認めるため、例の「小さな宝石」へ。この間の朝と違って、観光客が多い。あえて屋内の席に座る。同じレモン・ケキク・チャイを頼むが、忙しいからか作り手が違うからか、昨日とは心の篭り方が雲泥の差。がっかり。でも、二つの「コラム」を認める。
 その後、「誓った」とおり、閉店前に「ハンバーグ」を食べに行く。やはりメニュー上で気になっていた「羊の内臓のスープ」も頼む。素朴だが、体が納得する味。すごい。そして、ついにハンバーグ。イスタンブールで食べたミンチのケバブほどの洗練度はないが、えらく美味しい。付け合せの生玉ねぎスライスと焼きしし唐との相性も絶妙。堪能した。
 腹ごなしを兼ね、高台にある博物館へ。険しい坂。でも、ほんの数分で着いてしまう。博物館は、おそらくこの町が世界遺産に登録されたので作ったのであろう。粗製。早々に退散。下山し、部屋に戻る。

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 スタッフの少年から、洗濯機使用料10リラを要求される。洗濯機は自由に使っていい風に言っていたので、使ったのだが、後からカネを請求するとは、この宿かなり「しっかり」している、というより、半分詐欺かも、と少し憤る。この宿は、親切を「売り物」にしているのだ。
 夕方恒例のビールを飲みに出る。昨日と同じカフェで。まだお腹が空かないので(当たり前か)、ラク(ウイキョウの酒。水を入れると白濁する)を飲みに違うカフェに行ってみる。店に入り、ラクがあるかと訊くと、あるけれど、外ではポリスに見つかると面倒なので、中で飲むなら出すという。ビールは堂々と出しているので、ラクは特別なライセンスが要るのかと思い、その「心意気」を買って、そのまま店内に入り、ラクを一杯注文する。いざ勘定。なんと13リラではないか! ボトル一本買える値段ではないか! 怒る気もしないほど馬鹿馬鹿しいので(自分が馬鹿馬鹿しいのか)、そのまま無言で店を出る。こういう騙され方は大嫌いだ。
 その後、酒なしのロカンタに行き、この町の名物らしいヨーグルト&にんにくソースがけラビオリを頼む。奥さんの手作りらしい。感動的な味ではないが、気持ちがこもっているのでいい。ついでに、サフランライスデザートを頼む。ライスプディングの類かと思いきや、サフランのスープに米粒がちらほら。軽く爽やかな甘さ。

(つづく)

hanare December 7, 2008 12:28 AM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(2)

〈8月8日(金) ブカレスト→イスタンブール〉
 今、ブカレスト北駅構内の、なんとマクドナルドにいる。しかも、何と、約二年ぶりに、フィレオ・フィッシュを食べた。実は、以前も、ファストフードはほとんど食べない人間だったが、なぜかフィレオ・フィッシュだけは例外で、月に一度はどうしても食べたくなり食べていた。おそらく、幼少時に最初に食べたときの「おいしさ」が忘れられないのだろう。しかし、二年前に、授業の一環で、21世紀的食文化を考えるために、学生の提案で「ファストフードをさらにファストに食べる」というワークショップというか実験をやったとき、いろんなファストフードをなんとミキサーにかけて食したのだが、その中にフィレオ・フィッシュがあったのだった。その味というよりも、ミキサーされた外観が視覚的にあまりにも衝撃的だったので(それは、例のものに酷似していた)、それ以来、食べられなくなってしまった。
 このブカレスト北駅のマクドナルドで、何時間か時間をつぶさなくてはならず、しかも空腹だったので、何か食べざるを得なく、思い切ってこの際だからと、フィレオ・フィッシュに再挑戦してみたのであった。さぞ抵抗感があるかと思いきや、そうでもなく、割とすんなり胃の中に納まっていった。
 ところで、この、あらゆるならず者が徘徊しているらしい悪名高き北駅において、マクドナルドだけは、全く「別世界」を形成している。アメリカ的シミュラークルのつるつるの空間が、この、ホームすらあちこち敷石がはがれ、工事現場とも廃墟ともつかぬ世界に、忽然と舞い降りている。そこはまた、アメリカ的「セキュリティ」を保障する緩衝地帯でもあって、この空間に一歩踏み込んだ瞬間に、俄かの「安全」が保障されるように仕組まれている。私も現に、この「安全」を享受している。
 しかし、アメリカがイラクやアフガニスタンを爆撃し、創出しようとした(している)空間もまた、こうした「安全」のシミュラークルだったのではないか。であるからこそ、そこから排除される「ならず者」たちにとっては、逆説的に(「テロ」という形以外では)接近不可能なリアリティをもつのではないのか。
 そのシミュラークル=リアリティに、俄かに自ら望んで拿捕されている自分。しかし、私は、やがて、この空間から出て行くだろう。あらゆる予期不可能な「ならず者」たちが待ち構えている場へと。

《夜行列車の天使たち》
 廻る、浮かぶ、駆ける、遊ぶ、くるくる、ふわふわ、きゃーきゃー、賑やかに、軽やかに、妖精たちが舞っている。
 ブカレストからイスタンブールへ向かう夜行列車。コンパートメントの床で、通路で、私の周りで、舞っている。寝台の上でしばし憩っている者たちもいる。タンポポの種たちが、紛れ込んでいるのだ。
 今はまだ真昼間。暑い風が顔を打つ。窓外には、ルーマニアの乾いた草原がどこまでも広がる。
 鄙びた車両だ。製造は、40年前?50年前? もちろん、木造だ。
 列車が徐行し始めると、妖精たちも一休み。一人で憩う者、車座になる者、さまざまだ。
 また、列車が速度を上げ始めた。妖精たちは、また踊りだす。気ままに、くるくる、ふわふわ、きゃーきゃー。
 外では、一面に広がるひまわりやとうもろこしが、乾いている。
 水平線には、銀に輝く教会のドーム。電柱たち。

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 ようやく日が暮れた。長いようで短い一日だった。飛行機で同じ時間を過ごすより飽きないし、苦痛でないのは、窓外の景色が常に変わるからだろうか。
 それにしても、通路のフランス人の若者たちがうるさい。耳障りだ。下手に言葉がわかるのも困りものだ。どうも、フランス人に限らないが、ティーンエージャたちの話す言語は、生理的に受け付けない。
 今晩は、コンパートメントが一人で気が楽だ。夜中、トルコのイミグレーションで起こされるはずだ。ホームに出て、手続きしなくてはならないらしい。

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 もうすぐ、のっけからハードにしてしまった夜行三連泊の旅が終わる。こんな暑い時に、こんなに長くシャワーを浴びず、着替えなかったのは、久しぶりか? いや、もしかすると、人生で初めてかもしれない。常日頃、少し汗をかいただけでもシャワーを浴びなくては気のすまない人間なのに、何とかなるものだ。(でも、ウエットティッシュで体を拭き、少しさっぱりしてから寝ることにしよう。ウエットティッシュも、日本の「偉大な」発明(?)の一つだ。)

〈8月9日(土)イスタンブール〉
 ついに!イスタンブールに着く! 列車は、例のようにやや遅れ、シィルケジ駅に午前9時に到着。ターミナル駅にしては、こじんまりしている。

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 それにしても、朝起き、窓外を見て驚いたのは、(こう言っては悪いが)ヨーロッパの「場末」のようなみすぼらしさを呈していたルーマニアとブルガリアの町並みに比べ、ここトルコは何と「モダン」かつ現動しつつある「経済力」を感じさせる町並みか。ルーマニアやブルガリアが(あくまで列車から見た「外観」からだが)共産主義時代の負の遺産を解消しきれぬまま、いまだ資本主義経済の波にほとんど乗り切れていないのに対し、トルコは、一応「イスラム」国ながら、社会は資本主義の波にうまく乗り始めているように見える。なにより「元気」そうだ。

《アラー》
 夕食前に気まぐれに名もないジャーミィ(トルコではモスクのことをこう呼ぶようだ)に入ってみる。恐る恐る中を覗き、靴を脱ぎ、敷居をまたぐ。ドームの入り口近くに、青年二人と中年の男性が一人、話しこんでいる。会釈をし、ジェスチャーで入ってもいいか尋ね、いいということなので、入ってみる。有名な壮麗なジャーミィとは違い(実はまだ行っていないが)、質素でこじんまりとしたジャーミィだ。一応「正座」をして、片隅に身を置く。中年の男性から日本語で「こんにちは」と声をかけられ、若い二人と、互いに片言の日本語と英語で短い会話を交わす。トルコ語のこんにちは「メルハバ」を習う。会話のついでに、突然(この際だからと)アラーへの祈りの仕方はどうやるのか尋ねる。青年二人が脇に立って指導してくれる。
 まず、両足をそろえ、正面に向かってまっすぐに立つ。親指で耳たぶの背後に触れながら、外側に両手を開く。その両手を、今度は臍の辺りにもっていき、右手を上にして左手首をつかむ。両手を解き、胴の両脇に垂らす。両手を膝の上に乗せる。それから膝を曲げ「正座」し、頭を右・左にひねる。両手を両膝の脇の床につきながら、額を膝の前の床につける。顔を上げ、もう一度同じ動作を繰り返す。最後に、立ち上がり、最初のポーズに戻る。
 各々の動作の意味は(言葉が通じなかったので)尋ねられなかったが、おそらく耳の背後で手を広げながら、神の声を聞き、その声を腹の中に聞かせ、神の偉大さを身に沁みこませながら、その偉大さに感謝しつつ、身を委ねる。そんな風に推量した(首を左右に振る動作の意味は判然としなかった)。
 そのうち、イマーム(指導者)がやってきて、本格的な礼拝が始まった。立ち去ろうと思ったが、二人の青年が手招きする。この際だからと、彼らに従い、ドーム奥の窪んだ「祭壇」(ミフラーブというらしい。といっても、キリスト教のように何か像やイコンがあるわけではない)前まで向かう。礼拝者は少ない。私を入れて4人。イマームの背後に横一列に並ぶ。イマームが祈祷の言葉を唱え始める。おそらくアラーを称える言葉なのだろう。先ほど習った祈りの動作を、イマームに従いながら三回繰り返す。
 私には祈る対象=アラーがないが、彼らが今まさに全身全霊で経験している"精神的なもの"の片鱗に感応する。だが、いったい、彼らは実のところ何を祈り、何を感じ、何を体験しているのだろう。
 ときに、こうした祈りの様さえ、背後で写真に撮ったりする輩がいるが、その無神経さの気が知れない。"精神的なもの"と「観光」は、精神の対蹠点なのだ。


 今、夕方で、小路のカフェでビールを飲みながら書いているのだが、前のテーブルに座っているフランス人二人連れの会話が気になり、これ以上精神を集中できない。二人の前に水煙草が運ばれてくる。興味深い。元喘息もちだが、試してみたくなり、二人にどんな感じが訊く。試してみるかと言われ、試す。紙巻よりはるかに軽い味。後でやってみよう。

〈8月10日(日)イスタンブール〉
 「観光名所」は好きになれない。なぜだろう。どんなに元々壮麗でも、崇高でも「観光名所」になっていると、なぜかその壮麗さ、崇高さがくぐもる、というか垢にくすむような気がする。そう壮麗、崇高なるがゆえに、人間の視線を拒絶さえするはずのものが、数限りない観光客の無遠慮な視線にさらされ、汚され、蹂躙される。しかも、場合によっては、フラッシュで物理的にも強姦される。
 なぜ、人々は神秘を尊ばないのだろう。神秘を神秘として感じ取り、その理解不可能性、近づきがたさの中で、跪かないのだろう。代わりに、ガイドブックという理解可能性の中で安住し、カメラのレンズの中で「見た」気になる。その「観光的経験」は、実は決して"経験"ではない。「観光名所」という(ガイドブックで前もって知っていた)記号の再認にすぎない。そう、神秘は、記号の垢でくぐもり、汚されているのだ。この記号の垢にまみれるのがいやだからこそ、私は「観光名所」が嫌いなのだ。

 今、実は、一人で水煙草をやりながら書いている。
 昨日の「もらい煙草」は、ミントとローズの香り。今はメロンの香りだ。水を通すせいか、煙が柔らかい。そう、煙にメロンのかすかな香りが沁み、それが脳髄へと浸透していく。

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 イスラム教徒は、原則としてアルコールを飲まないというけれど、その理由がわかる気がする。チャイを喫しながら、水煙草を嗜む。その仄かに酔っては醒め、醒めては酔う、ゆるやかなリズムに心身を委ね、時間の過ぎるのを味わう。
 周りのアメリカ人の「ミャーミャー」いう発音(私は名古屋弁の発音に酷似していると思っているのだが)が気になってきた。人間はなんでこんなにも言語が好きなのだろう(という私も、言葉を書き連ねているが)。その傍らでは、私のために店の人が黙々と煙草の面倒を見てくれている。吸引器具の一番上に置いてある炭の火加減を常に気遣ってくれていて、加減が弱くなってくると、新しい炭を足してくれ、煙の出を良くしてくれるのだ。それにしても、「ミャーミャー」がどんどん増幅している。「観光」といい、「おしゃべり」といい、人間はなぜにこれほどまでして記号にまみれていたいのか?

 今朝は8時ごろ起き、久しぶりに(1週間ぶりか?)瞑想し、ヨガをした。ホテルの部屋が狭く、息苦しかったが、終えた後はやはり爽快だった。
 その後、ゼイレック・ジャーミィという世界最古のビザンチン修道院(12世紀前半に建立。世界遺産にも登録されているらしい)を訪ねる。門が閉まっていたが、偶然同時に訪れた観光客一行が管理人を呼んでくれ、開けてもらったので、幸運にも中に入れた。修復途上らしいが、外部はある程度作業されているものの、内部はほとんど手付かずだ。18世紀に地震と火事の被害にあったらしく、荒れ果てている。オリジナルのモザイクもあるが、積年の埃に覆われ、判別しがたい。昔日の威光は想像できるが、すべてが破壊と埃の堆積で見る影もない。しかも、十字軍によってあらゆる貴金属と装飾物が強奪されたらしい。ガイドの人が説明しながら苦笑していた。

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 そのあと、相変わらず道に迷いながら(比較的方向感覚はいいのに、『地球の歩き方』の地図が非常に曖昧な上に、道が迷路のようで、しかも道路名の表示がほとんどないので、迷う)スュレイマンエ・ジャーミィというオスマン帝国の建築の粋を訪ねる。神学校、病院、救貧院、隊商宿まで完備した一大宗教コミュニティだったらしいのだが、見学できたのはドームと隣接する墓地のみ。修復中ということもあり、特に感慨は沸かない。

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 それからホテルにいったん戻り、しばし休息した後、イェレバタン・サルヌジュという地下宮殿跡に行く。ここも大「観光地」で、うんざりする。

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hanare November 28, 2008 09:21 PM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(1)

 8月から9月にかけ2ヶ月弱に渡り、パリから上海へとユーラシア大陸横断の旅を行った。以下は、その旅日記である。
 幼少時から地図を眺めるのが好きだった。世界地図を広げ、特に、広大だが人がほとんど住んでいないように思えた地域、グリーンランド、カナダの北部、そして中央アジア等に思いを馳せた。いったいその広大な地域の景色はどんなものだろう、なぜそんなに広いのに人間が住まない(住めない)のだろう、そこにはどうやったら行けるのだろう...。おそらく少なからずの少年(もしかして少女も)が抱く夢想であろう。
 この機会に、その「夢想」の一つを現実にしてみたいという強い欲望を覚えた。同年代の知り合いに、やはりアメリカ大陸を横断したり、世界一周をしたりした人がいて、その体験談が無意識の刺激になっていたのかもしれない。とにかく、1年前くらいから漠然と欲望していた。そして、春にパリに住み始めてから、計画を現実的に練りだし、ヴィザなどの事務的な準備や物理的な装備を始めた。そして、ついに8月初旬、大いなる不安と期待を抱きながら、パリを出発した。
 旅の唯一といってもいい原則は、(非常時を除き)陸路に徹するということであった。ぜひ訪れたかったカスピ海も船で横断するつもりであった。なぜなら、今回の旅の目的の一つが、この大陸の広大さを"体感"したいということだったからだ。しかし、その原則も、まさに「非常時」により貫徹できなかった。が、(以下にあるように)まさにいたし方のない非常事態だったので、後悔はしていない。
 旅には、荷物の重量を最小限にしたかったので、最小限の書籍しか持っていかなかった。『地球の歩き方 トルコ』、『地球の歩き方 シルクロードと中央アジアの国々』、『旅行人ノート シルクロード』、『指さし会話帳 ロシア語』、内田百閒『第一阿房列車』、チェ・ゲバラ『革命戦争回顧録』である。後二者は、パリの日本の書店で旅に関する本を探していたとき、偶然目に付いたので購入した。旅の途上、これらの本に、物理的・精神的に助けられた。
 なお、8月11日から18日までの日記が欠けている。この間は、トルコで友人と別の質の旅をしていたので、この『地球日誌』には載せる必要がないと判断した。
 また、文中、《  》のタイトルで始まる文章は、「日記」とは別に、旅の途上で特に感じ入ったもの、知的好奇心を覚えたものについて書いた、時には「散文詩」的な時には「コラム」的な文章だ。そして、〔  〕で挟まれた部分は、この「日記」を(大抵はその日の夕、あるいは翌日に思い出しながら)書いている最中に、現在進行形で飛び込んできた出来事である
 いずれ、この旅が私の中に生み出したであろう"意味"を改めて言葉にしつつ、「旅日記」を書き直し、いずこに発表するつもりだが、とりあえず旅の生々しい記録をここにご紹介したい。粗雑な言葉遣いなどもご容赦いただきたい。

〈8月6日(水)パリ→ミュンヘン〉
 ついに、1ヶ月待った三カ国(アゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタン)のヴィザがとれる。アゼルバイジャンの領事館から今日の午前にパスポートが届いたらしい。
 これで、旅の準備がすべて整う。(が、ウズベキスタンのヴィザの入国日が申請より勝手に四日遅くなっていたのは、お笑いものだ。これで、その前の素通りするはずだったカザフスタンに余計滞在しなくてはならなくなった。)
 荷物は、限界まで少なくした。いったん仮に詰め、測ると、15〜6キロある。久しぶりにこの重量のものを背負ったためかもしれないが、やたら重く感じる。結局、自分の体と相談しながら、4分の3まで減らした。これでも、夏の旅なので、この重さで済んだのだろう。
 友人のジャン=パスカル(この日まで彼の家に居候していた)が旅立ち前の晩餐を準備してくれる。トマトと白桃を和えた即興のパスタサラダ。彼のガールフレンドがスペインから買ってきたというハモン・セラーノ。かなりいい発酵具合だ。それに、彼のお母さんが送ってきたチーズ類。これも、買ってから日がかなり経っているのか、かなりの量の青黴に覆われている。そして、マグレ・ド・カナールの半身。「軽い」ディナーとか言っていたが、少なくともカロリー的には"立派な"ディナーだ。
 ジャン=パスカルが、東駅まで送りにきてくれる。途中、空を見上げると、仄かな夕焼けに染まり、微笑んでいた。旅を祝福してくれているのか。
 ホームで、ジャン=パスカルと熱い抱擁と握手を交わす。ミュンヘン行きの夜行列車に乗り込む。とりあえず考えているのは、パリ8月6日21時45分発、ミュンヘン7日8時58分着。ミュンヘン同日9時27分発、ブタペスト同日16時53分着。ブタペスト同日17時45分発、ブカレスト8日8時43分着、という強行軍だ。パリで、ブカレスト-イスタンブール間の切符が買えなかったので、ブカレストで購入しなくてはならない。「ヨーロッパ」は、今回の旅の主眼ではないので、「素通り」するつもりだ。
 ブカレストで一泊してから、イスタンブールに向かうつもりだったが、ネットで調べているうち、ブカレスト、特に列車が着く北駅構内及び周辺は、かなり危険な輩が徘徊しているらしく、なるべく近寄らないほうがいいとのこと。結局、予約を入れていた駅前のホテルをキャンセルした。ブカレストで泊まらず、そのまま夜行でイスタンブールに向かうか(そうすると夜行で三連泊になってしまう)、それともブタペストで一泊し、そこで以降の切符を買いなおすか。今、ブタペストに向かう列車の中にいてこれを書いているが、到着するまでに決めなくてはならない。この際一挙にイスタンブールまで行ってしまおうという気持ちと、急ぐ旅じゃないんだから、ブタペストで体を休め、シャワーを浴びてさっぱりしたらという気持ちが、葛藤する。
 つい昨日の夜まで「フランス語圏」にいたのに、東駅で列車に乗り込むや、同じコンパートメントの韓国人親子から英語で話しかけられ、一挙に「圏外」に出る。ヨーロッパ内の旅の面白さの一つは、この絶えざる「複言語」的環境に身を置かざるを得ないことかもしれない。絶えず身近に言語的・文化的他者を意識しながら、旅をし、生活をする。たとえば多くの白人系の「アメリカ人」に欠けているのは、この「複言語・複文化」的環境の日常化ではないだろうか。単一言語・文化のグローバル化への幽閉。

〈8月7日(木)ミュンヘン→ブタペスト→ブカレスト〉
 今、ブタペストからブカレストに向かう車中。結局、ブタペストで一泊することなく、そのままブカレストに向かうことにした。今回は、"極端な"あるいは"絶対的な"旅を求めたのだから、この最初の列車行も、途中休憩を入れて"相対化"したくないという気持ちが勝った。
 今回の簡易寝台(フランス語で言うcouchette)のコンパートメントは、パリからのものとほとんど変わりないようだが、シーツがなくなった。掛け布団と枕も、果たして洗濯してあるのか? 同室内にフランス人のカップルがいて、フランス語で話し、少しほっとする。言葉が通じるのは、ありがたいことだ。英語は、ニューヨーク生活以来ほとんど使っていないせいもあり、しどろもどろでなかなかでてこない。
 それにしても、三連泊で夜行、しかもcouchetteなんて、人生で二度としないことだろう! よしよし。

  どんどん車内のトイレが汚くなっていく。そして、パリ→ミュンヘン→ブタペスト→ブカレストと、少しずつ列車のスピードが遅くなっていく。トイレの綺麗度と列車の速度は反比例の関係にあるのか? 車中のほとんどのトイレが悲惨な状況。20年前のフランスの列車並みか。ということは、ハンガリー/ルーマニアも20年経つと(何も車内は、ハンガリー人とルーマニア人だけではないだろうが)、現在の(少なくともトイレは)フランス並みになるということか。(たぶんならないだろう。)
 だが、不思議なことに、トイレが汚くなるにつれ、食堂車の食事が美味しくなっていく。今晩は、片言の英語で「Cutlet or chicken?」と聞かれ、chickenを頼んだが、しかもその「ボーイ」さんが、いかにも旧ソ連圏の末端官僚的雰囲気をとどめた人ではないか。さぞかし不味かろうと思って待っていると(しかも、夕食時だというのに、油を売っている検札のおじさんたち以外、客が二人しかいなかった)、その「ボーイ」さんが自らキッチンに立ち、腕を振るっている。運ばれてきたのは、軽くマリネしてある鶏のグリルとフレンチフライであった。ごくシンプルながら、なかなかの味。しかも、かわいらしいサラダまでついている。

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 〔今、ハンガリー/ルーマニア国境でパスポートチェック。いろんな国のヴィザを持っていたので、訝しげにされる。こうやって、パリからヨーロッパを東に横断してくると、明らかにルーマニアの役人は、旧ソ連圏の官僚主義の旧弊が抜け切っていない感じだ。車掌も乗客のチケットを取り上げたまま返してくれないし、今のパスポートチェックにしても、非常に「官僚的」だった。〕

 



 

hanare November 20, 2008 11:59 PM

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