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[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(10)

〈9月6日(土)シムケント→タシケント〉
 鼾と震動でほとんど熟睡できないまま、シムケントに7時に到着。おじさん、ちゃっかりもう身支度している。昨日のおじさんの提案で、カザフスタンからウズベキスタンへの国境をバスと徒歩で渡るのは大変だから、俺の乗っていくタクシーに同乗しそのままタシケントにいけばいい。運転手が越境も世話してくれるはず。と、超片言会話で理解したつもりだった。ところが大いなる勘違いだった!!!
 駅に着くと、確かにタクシー運転手らしき人とおじさんが談判してくれている。でも、突然6000テンゲでどうだ。??? すると、おじさんさらに運転手と交渉し、3000になる。これで、おじさんがOKか?というから、こちらは訳がわからないまま、まあそれなら3000円くらいだからいいかと思い、OKと言う。でも、運転手が、いや5000だ、とか言い始め、結局4000で落着。でも、おじさん、一緒に来るのでなく、一人で去ってしまう。取り残された私は狐につままれた思いで、とりあえずタクシーに乗り、まっ、とにかくこれでタシケントまで無事に連れて行ってくれるのだろうと一安心する。(それが大違い!!!だった。)例のように『指さし』で超片言ロシア語会話をするが、後はひたすら雄大な景色を眺める。あそこの平原に自分の足で立ってみた~~い。羊、牛の遊牧。一時間ほど走ると、突然「パスポート・コントロール」と書いてある場所に到着。しかし、妙に人相が悪そうな人だかり。タクシーを降りたとたん取り囲まれ、パスポートを見せろ、と叫んでいるが、どうみてもこれらの人々は入国の係官ではないしそれに殺気立っているので、とにかくゲートのあるほうにがむしゃらに向かう。ゲートが妙にちゃちで、これがタシケント行きの国境???と訝りつつ、ゲートをくぐる。今度は明らかに制服を着た係官らしき人が、私のパスポートを見ながら、なんだか困り顔で、がニヤニヤしている。こちらは訳がわからず(もちろん英語が通じない)、状況を読もうとしていると、どうやらここは国境は国境だがカザフスタン人とウズベキスタン人専用の国境で、第三国の人は通過できないらしい。現にウズベキスタンらしきパスポートを持っている人たちは、次から次へと脇を通っていく。係官、携帯で誰かに電話し始める、電話に出ろというから出てみると、英語で説明を受ける。どうやら、英語のできる知り合いに状況の説明を頼んだようだ。その説明によると、ここでは私は国境を越えられず、近くの何とか(地名を忘れてしまった)という場所まで向かえという。そうするしか仕方なさそうなので、ここまで一緒に来た運転手を人ごみの中で探すが、遠くの方で我関せずという顔をしている。名前を呼ぶが、いっこうに助ける気はなさそうなので、あきらめて、係官が指差した近くにいた運転手らしき人に頼もうと、ゲートを出たとたん、待ち構えていた人々に取り囲まれ、私の荷物の争奪戦となる。こちらも必死に奪われてなるものかと荷物をキープし、件の運転手らしき人の車に乗り込む。途端に値段の交渉。100ドル、といわれる。近いんじゃないのーーーーーと、もう一つの越境ポイントまでの距離を尋ねると、150キロという。何だそれーーーー! 相変わらず訳がわからないが、彼に怒鳴っても仕方ないし、まあほんとに150キロあるなら1万円くらい払ってもかまわないかと思い(だいたいこんなこちらが弱い状況で値切るにも値切れないので)、承諾しとにかく車をこの雑踏から出してもらう。
 いったい誰が悪いのかもわからず、行き場のない怒りで憤然としながら、車に乗っている。どこに連れて行かれるのかも全くわからない。とにかく車は広大な草原の中をどこまでも疾走していく。少なくとも、ガイドブックに載っていた越境ポイントとは明らかに違う所に連れて行かれている。いろいろと推測は可能だが、さっきの揉みあいで疲れてしまい、考えることができない。不安200%で、もうなるようになれと開き直り、車に体を預ける。2時間くらい走ったろうか、ようやく国境らしき場所に着き、降ろされる。約束の100ドルを払うため、20ドル札を5枚渡すが、なぜか100ドル札をくれという。これだってれっきとした「100ドル」だろうと押し問答し(100ドル札はトランクの中にあったが、こんな場所で店開きするのは御免被りたかったので)強引に20ドル札5枚を押し付けて、検問所に向かう。
 検問所に入ったとたん、パスポートを渡した係官から執拗に「50ドル」と囁かれるが、そんな賄賂は払いたくないので断固として「NO!」を繰り返す。押し問答しているうちに何とか向こうが折れてパスポートを返してくれる。トランクを引きずりながら次の建物に向かう。荷物検査をしている。行列の最前列にいる人たちが係官と揉めている。ヤバそうな雰囲気だ。しばらくしてそのヤバそうな係官がどこかに消えて、彼に比べれば表情が少し柔らかそうな係官に代わったので、この隙に自分の番にならないかと待っていると、前の人はこっそり賄賂を彼の手に握らせている。はたしてどうなることやら。賄賂を渡さないと、ここは通れないのか? ついに自分の番が来る。出国なのにかなり綿密な検査。トランクと小さいリュック双方とも隅々まで調べられる。「日本人」だとわかると、その係官のおじさん「サムライ!」を連発する。難癖をつけられるのか、賄賂を要求されるのか、ドキドキしていると、何とか何も要求されず通してくれる。無事、次のカウンターで出国スタンプも押され、だがなぜかもう一回検問があったが(ウズベキスタンの入国審査かと最初思ったが違った)、どうにか「長かった」カザフスタン国境を越える。
 かなり向こうにウズベキスタンの検問所らしきものが見える。馬車が待ち構えていて「タクシー!」と寄ってくるが、無視して徒歩でかなり先にある建物まで向かう。路面が悪いので、ついにトランクを背負わなくてはいけないかと思うが(実はここまでの道中キャスターで転がしてきたトランクには背負える装備もある)、何とか背負わずに済む。ウズベキスタン側の検問。薄暗いブースの中、係官の顔がほとんど見えない。さっきとは違ったヤバそうな空気、と思いきや、殊のほかすんなりと通過。次は所持品検査。ウズベキスタンは申告用紙が重要だとガイドブックに書いてあったので、遺漏のないように書く。緊張して検査場に向かう。しかし拍子抜けするくらいすんなりと通してくれる。係官の対応もごく「ふつう」。これでようやく二つの国境を何とか越えたことになる。「Bank」と書いてある、しかし掘っ立て小屋で100ドルを両替する。とても、「銀行員」には見えない若者とその友だちらしき二人に物珍しそうにされながら(「日本人」が物珍しいのか「100ドル」が物珍しいのか「両替」自体が物珍しいのかなんともわからなかったが)、大量の紙幣の束を渡される。あまりの量なので、一桁間違えたのではと一瞬思うが、レートを考えれば、これぐらいの量になるのかと納得する。
 さて、国境を越えたがどうしよう? それらしきバスも見当たらないし。またもやタクシー攻撃。他に手立てもなさそうなので、ある運転手の提示した4万スム(1スム≒0,1円)で妥協する。タシケントまでは60キロくらいだという。いったい、この越境ポイントはどこなのだろうか?
 何とか、タシケント中央駅前につけてもらう。駅にとりあえず荷物を預ける。外国人用の別棟の切符売り場へと向かう。英語が通じる。ウルゲンチまでの切符を買おうとするが、月曜まで列車がないという。どうしよう? これから窓口のお姉さんが一時間昼休みに入るというので、出直すことにする。考えた末、ウルゲンチとヒヴァは諦め、それより手前のサマルカンドに(サマルカンド行きは毎日あるので)明朝発つことにする。サマルカンドのホテル(B&B)、今晩泊まるタシケントのホテルを電話で予約する。再び切符売り場へ。二等が空いていないので、三等にする。往復で2万スムとえらく安いが、どんな座席なのか?
 無事、もろもろの手配が終わり、いざホテルへ。しかしもうタクシーにはこりごりなので、(国境に比べ)それほどしつこくはない客引きをかわし、何とかメトロ(中央アジア唯一)の乗り場に辿り着く。メトロはやや乗換えがわかりづらかったが、ホテルのある中心街ティムール広場に着く。今日は、上記のようなトラブル続きで疲労困憊していたので、少し奮発して四つ星のホテルに泊まる。英語が「ふつうに」通じるとは、何と楽なことか! 気がついたら、昨日の晩から飲まず食わずだったので、チェックイン後直ちにホテル内のレストランへ。午後四時にようやく食べ物・飲み物にありつける。ビール、トマトとモッツァレラのサラダ、豆のスープを頼む。身体中の細胞に沁みわたる。(でも高級ホテルのせいか、ビールが高かった。一本6000スム!)
 部屋に戻り、ゆるゆると荷物を解く。久しぶりの風呂に入ろうとするが、栓がなく、いろいろ手段を講じるが湯がうまく溜まらずしかもぬるいので、諦めてシャワーにする(四つ星でもこの程度だ。)
 夕食のためのレストラン散策に出かける。(タシケントは巨大な都市らしいので)地図で当たりをつけて歩いていくが、カフェすらほとんどない。「官庁街」あるいは「ビジネス街」なのだろうか? 一キロくらい歩くが、諦めて、引き返す。ホテルの裏手に回ると、何といくつかカフェやバーらしきものがあるではないか。その一つに入り、とりあえずビールを飲む。本当に今日は「おつかれさま」だった!
 店の人に、近くのロシア料理店を教えてもらう。その店で、水餃子らしきものと、ニシンの料理を頼むが、後者はビーツなどと和えたサラダ仕立てであった。どちらも素朴だが、それなりに美味しい。中央アジアは、基本的に素材がいいせいか、「はずれ」がほとんどない。給仕のお姉さんが、珍しく少し英語ができ、何度か話しに来る。もしかすると、チップが欲しくてよくくるのかと思ったが、結局上げそびれて、店を出た。
 部屋に戻り、ベッドに横になると、一瞬で寝入ってしまった。

〈9月7日(日)タシケント→サマルカンド〉
 早く寝たので、5時過ぎには目が覚めた。今日はサマルカンドに向かう日だ。地下鉄で中央駅に向かう。念のため、発車1時間以上前に着く。待合室で待つが、発車の掲示がなく、(ロシア語?ウズベク語?)のアナウンスだけなので、少し不安になる。結局、駅に着いてからずっと一番手前のホームに停車していた列車が、目当ての列車だった。切符売場では「三等」と言っていたので、どんな車両か興味津々だったが、ふつうの「二等」だった。
 ガイドブックによると、ウズベキスタンの列車は(他の中央アジアの国に比べ)いいとあったが、その通り。カザフスタンでアルマトゥ-シムケント間で乗った列車に比べ、圧倒的に揺れも少なく、速度も1・5倍くらいだろうか。30年前の日本の車両という感じか。車内もきれいで、車掌が天井から下がっているモニターでDVDの映画やドラマを流したりしている。車内販売のお姉さんが、注文を訊きに来たりする。
 やや遅れ、昼12時過ぎにサマルカンドに着く。例のようにタクシーが押し寄せてくるが、振り切り(といってもアゼルバイジャンやカザフスタンのようにしつこくはない)、ミニバス乗り場に行くが、目的地=レギスタン広場行きがなかなか見つからない。他のバスの運転手に訊くと、歩いてまっすぐ行けば広場まですぐだから、バスなんか乗る必要はないという。半信半疑で言われた方向に歩き出すが、それが大失敗。行けども行けどもそれらしき広場が見えてこない。それに路面が悪く、引きずっているバッグがしんどそう。途中でちらっとそれらしき青いドームの端が見えるが、どう見てもまだ3、4キロはありそう。騙された! 仕方なくヒッチハイクを始める。何台か止まってくれるが、結局あるミニバスが(行き先が多少違うようだが)広場まで行ってくれるという。信じて、乗る。旧市街らしきところに入り、道が行き止まりになる。これ以上車で行けないから後は歩いて行けといって、降ろされる。どこに降ろされたかわからないが、指差された方角にとにかく向かう。
 バザールらしきものに行き当たる。これはもしかしてガイドに載っていたシャブ・バザールか。向こうに青いドームも見える。レギスタン広場か。バザール内の路面が悪く、トランクを引きずるのに難儀する。どうにかこうにかバザールの人ごみを抜け、青いドームの前に立つ。レギスタン広場ではなく、ビビハニム・モスク(中央アジア最大といわれる)であった。ようやく位置の見当がつき、ホテルに向かう。迷路のような旧市街にあるので(ガイドブックの地図があっても)迷うかと思ったら、案の定迷う。通行人何人かに尋ね、ようやく到着。
 B&B「レゲンド」。一泊40ドル。民芸調(?)で、部屋もなかなかかわいい。主人も気
が良さそう。

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 早速、町の散策に出る。まずは昼食。宿に聞いたチャイハネ風レストランに行く。アルマトゥでも食べたショーロンポー風の饅頭とサラダとビール。どれも美味しい。安い。4000スム。ただし、衛生はかなりひどい。トイレは扉もなく今までで一番汚かった。
 モスクの見学の前に、次の目的地キルギスの首都ビシュケク行きのフライトがあるかどうか旅行代理店に行く。一週間後まで一杯だという。困った。タシケントに戻ったらもう一度他の代理店で試してみるが、もし本当になかったら、陸路で(キルギス第二の都市で中国国境越えのポイントである)オシュに直接向かうしかない。(前述のように、この旅は基本陸路なのだが、ビシュケクというより本来の目的地である「幻の湖」イシク・クル湖に行くのに、陸路ではどうしてもオシュ→ビシュケク→イシク・クル湖→ビシュケク→オシュという行程になり、オシュ-ビシュケク間を往復しなくてはならず、そうすると日程的に苦しかったがゆえに、この際タシケントからビシュケクまで空路を利用しようと考えた。)
 ようやくレギスタン広場の見学。イスタンブールのモスクもすごかったが、ここの(世界遺産に登録されている)モスク群もすごい。きっと古は、砂漠に燦然と輝く宝石のようだったろう。しかし、現在の壮麗さは修復されたもので、それ以前は完全に荒廃していたようだ。

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 先ほどホテルに向かう途中通りかかったビビハニム・モスクに改めて向かう(先ほどは見学する余裕などなかった)。こちらは、まだ修復途上でもあり、レギスタン広場のモスク群ほどの壮麗さを感じない。それともただ見慣れただけか。すぐ隣の(こちらも楽しむ余裕がなかった)バザールも大いに気になるが、明日のためにとっておく。それにしても、世界遺産にもなっている大観光地のはずなのに意外にカフェ、レストランが少ない。それとも、新市街の方にあるのだろうか。

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 ということで、近くに他に目ぼしいレストランが見つからないので、夕飯も昼と同じチャイハナ風レストランで食べる。ビールと、羊、鶏、牛ミンチと三種類のケバブを頼む。世界で一番美味しいナン(とガイドブックに書いてあった)「サマルカンド・ナン」、さして美味しくない。ケバブが来る。かなり旨い。大きめな焼き鳥の感覚だ。焼き鳥と違い、マリネしてあるので、味が濃くて複雑だ。ただし鶏は残念ながら油の付き加減から見てブロイラーらしかった。まあまあ満足し帰途に着く。唖然!ホテルに向かう道が真っ暗だ。街灯が立っているのだが、点っていない。軒先の寂しい電球がちらほらと点いているだけ。通りによってはそれすらなく、月明かり(半月)と、時々携帯の明かりを頼りに、真っ暗闇の中を恐々と歩を進める。地元の人たちは慣れているのか、平気で歩いている。
 このホテルのある界隈、かなり貧しい。というか、サマルカンド自体(少なくとも旧市街周辺)が、世界的にも名の轟いた町=世界遺産であるにもかかわらず、総じて貧しい気がする。ホテル近くにも(何のためだかわからないが)生ゴミをバケツで集めている子供たちがいて、身なりも汚れているが、まだ目は汚れていない。「Hallo!」と、無邪気に声をかけてくる。大人たちも、目は(バクーのようには)汚れていない。もし汚れていたら、とてもこんな真っ暗な道を一人で歩けないだろう。何とか五感を最大限に機能させ、無事宿に着く。しかし、明日は宿で夕食を取ることにしよう。
 日本の友人に携帯でメールを送ったり(着いていなかったみたいだが)、ゲバラを少し読んで、11時ごろ寝る。

hanare January 25, 2009 06:02 PM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(9)

〈9月3日(水)アルマトゥ〉
 今日は、昨日まで歩き通しで精神的な疲れもかなり溜まっている気がしたので、無理せずゆったりと過ごそうと思う。
 10時頃起き、洗濯し、久しぶりにヨガをする。体が凝り固まっているのがよくわかる。久しぶりに爽快。
 昼ご飯は、昨日同様、向かいのバザールでケバブサンドとリンゴ4個を買ってくる。リンゴを丸齧り。昨日のイチゴ同様、味が濃厚で野生的でめちゃくちゃ美味しい。リンゴも人生で一番の美味しさ。アルマトゥは「リンゴの里」という意味らしいが、さすが。
 食後、たらたらと外に出る。特に当てもないが、とりあえず買い物(ノート、ペン、バス・トラム路線図)をしようと思う。巨大なシルク・ウエイ・ショッピングセンターならあるだろうと思うが、なく、結局この間もペンを買ったジベック・ジョル大通りの露天商からまた同じペン(今書いているペン。買ってすぐ失くしてしまったのだ)を買う(60テンゲ)。ノートは子供向きがほとんどで(大人はどこで買うのだろう?)、ふさわしいものが見つからない。ついでだから、まだ行っていなかった中央バザールに向かう。すっっごい!! 今まで世界でいろんな市場を見てきたが、これは三本の指に入るだろう。たとえば、馬肉コーナーなら、馬肉売りが店頭に馬の部位をぶら下げ、その同じような陳列=店が何軒も続いている。買う人はどうやって選ぶのだろうと思うほど。プレゼンテーションの仕方もほとんど同じ。肉、野菜、果物から始まって(魚は、やはりユーラシア大陸のど真ん中のせいかスモークと塩漬け以外の魚はなかった)、スパイス売り、朝鮮漬物店(だけでも30~40軒)。その青果市場を、雑貨市場が取り囲む。いろいろと買いたい欲望に駆られるが、買っても食べきれないのと、ホテルから遠いので、あきらめる。一階中央の青果市場を囲むように、二階にバルコニー型回廊があるので、上がってみる。一周するうちに、実はホテルを出てから探していてなかなか見つからなかった床屋を発見。店の人が片言の英語ができるので値段を聞くと、600テンゲとのこと。安い。早速お願いする。隣では、フットマッサージとネイルをやっているようなのでマッサージの値段を訊くと、20分=1500テンゲ。床屋に比べると高いが、ここアルマトゥでは毎日歩き通しだったので、自分への褒美をカネ、お願いする。久しぶりのマッサージ、実に気持いい。思わずうとうとしてしまった。

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 気持ちよく市場を出ようとすると、何と外は土砂降り! 傘も持っていないし、通り雨っぽいので、やむのを待つため、同じ階のカフェに入り、チャイを頼む。市場の閉店時間(6時)には、どうにか小降りになる。
 実に久しぶりの雨だ。いつ以来だろう。確か、カッパドキアの通り雨以来だ。やはり、この季節、中央アジアは乾いているようだ。
 ただ、歩き続けるにはまだそれなりに降っているので、通りをはさんだ向かいのカフェに避難。ミルクコーヒーを頼み、完全にやむのを待つ。30分ほどで完全に上がる。西から日も差してきた。
 そのままホテルに帰ってもよかったが、せっかくなので、コクトベという町外れの高台行きのロープウエイに乗りにいく。30分ほど歩き、乗り場に着く。片道で800テンゲ。『歩き方』に載っている料金の倍以上。バクーもそうだったが、ここアルマトゥでもこの2,3年で物価(特に観光に関する)が倍増しているようだ。
 ロープウエイに乗る。向こうに山脈が見える。何と、雪で覆われているではないか! はたしてキルギス/中国間の国境越えは大丈夫なのか。心配になる。高台から夕日が広大な水平線に沈むのを見つめる。かなり肌寒いので早々に下山する。

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 ホテルに戻る途中、例の「成城石井」のようなスーパーで、夕食を買う。ニシンの塩・油漬け、ハンバーグのようなもの、韓国風春雨サラダのようなもの、とパンを買う。どれも、スーパーの惣菜にしては美味しい。やはり素材がいいせいか。今日も手づかみ。右手で食べ物、左手で飲み物。慣れてくると、別に不便はない。袋からじかというのが味気ないが。

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〈9月4日(木)アルマトゥ〉
 10時に起きる。30分くらい瞑想する。宿を出、渓谷が美しいというメデウ高原行きのバス停に行くため、初めてトラムに乗る。20分くらい待ったか。バス停に着き、それらしきミニバスがいるが、他に客がいないので、交渉しているうち、タクシーでメデウの先のシンブラクまでの往復で4000テンゲでどうかという。空港から市内まで2000だったので、まあ妥当かと思い、そうする。
 急勾配を上っていくと、杉が天を刺すように伸びている。アルプスのごとき渓谷に入っていく。おそらく海抜2000メートルくらいはあろう。今、シンブラクの(夏は)スキー場のレストランで昼食中(客は自分だけ)。初ボルシチ(美味しい!)。初ビーフストロガノフを待っているところ。

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 タクシーの運転手の若者、純朴そうだったが、一万テンゲ札しかなかったので、さっき(昼食後迎えに来てくれるという約束で)往復料金をまとめて払ってしまったが、はたしてきてくれるだろうか。バクーだったら、無理だろう。

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 はたして、約束どおりにきてくれた。えらい。これ以上ここでやることもないので、アルマトゥに戻ることにする。相変わらず若者と互いに超片言の英語とロシア語の「会話」。国立中央博物館まで行ってもらう。カザフスタンの歴史を中生代から現代まで通して一応展示してある。解説はカザフ語とロシア語だけなので、全くわからない。展示は至って素朴。「現代」のコーナーは、単に現大統領の"自慢"であった。入場料は、『歩き方』には80テンゲと書いてあるが、何と1000テンゲ取られた。
 ふらふら歩きながらホテルに帰る。わざと知らない道を通って歩いたが、五日もいると体感的に町が把握できている。歩く姿も町に馴染んできただろうか。
 ホテルに戻り、まだ午後3時頃だったが、もう街中でやることもないので、部屋で瞑想とヨガをやる。
 明日から(ようやくウズベキスタンのビザの入国日なので)ついに移動開始。シムケントに夜行で行き、その日のうちに国境を越え、ウズベキスタンの首都のタシケントへ。できれば、その日中に、ウルゲンチ行きの夜行に乗る予定。久しぶりの列車での長旅だ。

〈9月5日(金) アルマトゥ→シムケント〉
 9時過ぎ起床。これからシムケント行きの列車に乗る夕方5時過ぎまでいかに時間を過ごすか。ゆるゆると身支度をし、爪まで切る。荷造りは慣れてしまったので、あっという間。ガイドブックを見ても、ほとんどの「見所」を見てしまったので、残っているのは国立美術館くらいか。フロントで荷物を預かってもらおうと思うが、預かれないらしい。代わりにチェックアウトが12時だから、それまで部屋に置いておけばと言っているようだ(もちろんロシア語かカザフ語で)。仕方ないから、そうすることにする。
 さて美術館。薄汚い薄暗い役所のような建物があるが、まさかこれが「国立美術館」?入口にも美術館らしき表示もないが、ガードマンらしき人がいるので訊くと、やはり美術館らしい。こわごわ入ってみる。入場料は100テンゲと安い。
 内部もとことん裏ぶれくすみ、死に絶えたような空間。これで「美術館」?しかも「国立」? 照明がないので、変だな?と思っていると、やがて「私のために」点けてくれた! かなり広いようだが、見学者は私が今日最初で、もしかすると最後かもしれない。見学者一人に対し、監視係が各部屋にいて(客がいなければ集まっておしゃべりしているのに)私がいるので、いちいち一応監視にだけはやってくる。目障りだが仕方ない。観ているのか見られているのか?
 作品は、一応16・7世紀~現代まであるが、ほとんどが「ロシア」絵画。名前を知っている画家はわずかレーピンだけだった。絵が床に直置きしてある部屋もある。とにかく、これまでの人生の中でどれだけの美術館に足を踏み入れたかわからないが、これは最も「死んだ」美術館だ。カザフの人たちは「アート」(少なくともヨーロッパ近代的な)を全く必要としないのだろうか。代わりに織物や彫金などヨーロッパ近代では「応用」美術とされてしまうものが、生活に必要だったのだろう。これほど国民から必要とされていない「国立美術館」は生まれて初めてだった。
 しかし、名前はわからないが(カザフ/ロシア語なので)、一人だけ興味を引く画家があった。彼専用の部屋があり、70~80点が展示されていた。クレーのカザフ版といった感じの画家だ。見入っていたら、監視のおばさんが最後に解説文を示してくれた。(もちろん全くわからなかったが)。少しうれしかった。
 ホテルに戻り、荷物をとり、ホテルのカフェで昼食。時間つぶしを兼ね、ビールを頼む。続々と近所の勤め人らしき人たちが集まってくる。どうやらここのランチが目当てらしい。私も、ビールの一杯目を終えた後、ランチに参画。まず念願のマントゥ(=饅頭)を頼む。ちょっと大振りだが、まさにショーロンポーである。噛んだとたん熱い肉汁がじゅわーとはこなかったが、合格点の味。次に、鶏の薄切りに玉ねぎとチーズがかかったグリルと麦飯(!)を頼む。400テンゲ! これなら人気があるはずだ。

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 ホテルから駅近くまでトラムで向かう。用心に用心を重ねたら、二時間前に着いてしまう。カフェでリンゴジュースを飲む。ようやく出発の時間が来る。車両に向かう。二人部屋の寝台だ。相手は気の良さそうなおじさんだ。よかった。荷物を収めるのを手伝ってくれる。また、お互いに超片言の英語/ロシア語の会話(こちらはもちろん『指さし』使用)。同い年だとわかる。握手。
 食堂車に向かう。ビールと例の「さきいか」状スモークチーズ、ボルシチにサラダを頼む。中年のおじさんと相席になる。『指さし』でちょっと会話。早々におじさん消える。今度は隣の席から押し出されて女の子が隣に座りに来るが、もう片言会話も疲れたので互いに無視。窓外の景色を落ち着かない気持ちで眺める。一面、ステップの草原。やがて日も暮れたので部屋に戻る。私もおじさんも話したいが、これ以上互いの言語能力では無理。でも時々、互いに気を遣ったりして、なかなか気持ちよく過ごせた。おじさんの仕事は、どうやらガラス職人かガラスメーカーの勤め人。ただ、鼾がうるさかった。それにしても、電車はすごい震動だ。今までで一番の震動か。車両は古いが(30~40年前製造?)、ルーマニアのそれに比べれば天国。タオルまで付いているし(もしかして二人部屋だし一等だったか?)。

hanare January 18, 2009 09:39 PM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(8)

〈8月31日(日)バクー→アルマトゥ〉
 9時頃、目が覚める。昨晩の酒が少し残っていて、頭がボーとしている。二日酔いというほどではない。ナディムがまだ寝ているので、シャワーを浴び、日記を書き、春樹を読む。「島本さん」と死線すれすれの、しかし限りなく官能的な一夜を過ごす。
 ナディムが起きてくる。11時過ぎなので、彼がシャワーを浴びた後、急いで出かける。空港で別れのときに渡そうと思っていた「500マナト」を、家を出る前しっかり請求される。一瞬昨日から考えていた言葉を言おうかどうか迷うが、ここは言わないでおく。
 車で近くの雑貨市場に出かける。日本の、最近子供が生まれた友だちにお土産を買いに行く、という名目だが、実際はナディムの3ヵ月後に生まれる第二子へのプレゼント。頬を打たれたらさらに頬を差し出す要領。しかし、中国製、イラン製が多いという市場には、全くふさわしいものが見つからず、仕方ないので、ネタをばらし、代わりに日本から何か送りたいから郵便のアドレスを教えてくれと頼むが、それには及ばない、ただメールアドレスを教えるからメールをくれという。
 かなり早めに空港に着いたので、二人でカフェテリアでチャイを飲み、雑談。しかし、アルマトゥ行きの便が遅れるとの情報が入り、お腹も空いたので、同じカフェテリアに戻り、昼食。さすがに、長い時間を二人で過ごしてきたので、話の種も尽きてしまうが、一応フランスで鍛えた「社交術」で何とか場を持たせる。
 ついに、チェックインが始まる。カウンターに入る荷物検査の前でナディムとは別れなければならない。最後まで、例の言葉を言うべきかどうか迷うが、彼の第二子にプレゼンを上げるつもりだったと言ったあたりから、ナディムの何となくの緊張(おそらくこちらの緊張に対応した反応)が解け、打ち解けていたので、この「友情」を壊して去るのも忍びなくなり、結局「言葉」は言わすに、そのまま別れる。これで良かったのだろう、か?
 アルマトゥ行きは、二時間程度遅れて出発。アルマトゥに着いたのは夜10時近く。タクシーと交渉して市内のホテルまで1500テンゲ(1テンゲ≒1円)といわれるが(タクシー料金の掲示板には中心街まで2000テンゲと書いてあり、こちらもその数字を提示したのだが)、客引きのおばさんと乗り場までの案内係(おそらく客を他の業者に奪われないためであろう)の交わした目配せが「悪い」視線だったので、何かあるなと思っていたら、ホテルにタクシーが着き料金を払う段になって運転手に1500と提示すると、運転手が2000だ!と怒り出し、やっぱりね、という結末だった。だったら、最初から2000で通せばいいのに、他の業者に客を取られたくないために1500という嘘の数字を言ったのだろう。細かい紙幣を持っていればごねることもできたが、2000以下の紙幣を持っていず、ごねても埒が明きそうにないので、そのままにした。(もちろん、英語は全く通じない。)
 直後、ホテルのカウンター。これがまた輪をかけてひどかった。ナディムのパソコンからネット予約しておいたが、案の定「予約が入っていない」という。それにしても、このホテルのフロント、極端に無愛想だ。着いて声をかけたが、カウンターにいた二人のおばさん、5秒くらい完全無視。聞こえていないかと思い、もう一度声をかけると、ようやく目の前にいたおばさんが「あんた何なの?」という面持ちで顔を上げ、予約のリストを嫌々めくっているが、ない。(だいたい見つける気もなくただめくっているだけ。)空室はあるのか尋ねると、「ある」という。ただし、安い方の二つの料金帯の部屋は飛ばし、三番目の料金帯(9000テンゲ)以上のものならあるという。二番目の料金帯(6500テンゲ)の部屋はないのかと訊くと、しばらく部屋番号のリストをにらみ、しぶしぶ「ある」という。ならば、それをくれ、と頼む。おばさん、仕方なさそうに受け付けるが、何も言わずただこちらを睨む。大きなため息とともに、「パスポート」と言い放つ。渡すと、また睨む。「キッチュ」という。こちらが、はあ?といった顔を繰り返すと、お前バカなのかという表情で「キッチュ」とただ繰り返す。ロシア語かと思い、こちらが「わからない」という顔をすると、こいつ本当に救いようがないわねえといった表情で、「キッチュ」と、吐き捨てるようにまた言う。はたと気づき、「キャッシュ? マネー?」と問うと、どうやらそうらしい。あまりに極端に無愛想なので怒る気にもなれず、そのままカネを払い、言われた部屋の階に向かう。
 旧ソ連式で、フロア係から鍵を受け取る。本当に片言の英語とロシア語で、部屋の鍵がどうかしているらしいと言っているよう。なかなかこちらに伝わらないが、どうやら鍵が壊れていて、明朝修理するといっているようだ。今晩は、そのまま寝ろ、ということらしい。無愛想なおばさん、よりによって素晴らしい部屋をくれた。わざとだったら、かなりの性格の持ち主だ。
 夜も遅く疲れていて、言葉も通じず交渉しても埒が明きそうにないので、仕方なく今晩はこれに甘んじることにする。夕食がまだなので、バッグをチェーンでラジエーターに括りつけ、外出。『歩き方』にある近所の韓国料理店に行く。幸い日本語のメニューもあり、ブルゴギを頼む。韓国式に小皿料理が八品ほど出てくる。久しぶりに馴染みのある東アジア系の味。大根の水キムチが胃に沁みる。
 それにしても不思議だ。あたかも、ソウルかどこかにいるようなのに、周りはカザフ語(?)だ。ちなみにジンロを頼んでみるが、なかった。代わりに、見回すと客はウォッカをあおっている。
 鍵が壊れている部屋に戻り、寝台車並みに荷物をチェーンでラジエーターにくくりつけたまま、貴重品を入れたリュックは枕元において眠る。しかし、夜中に蚊の攻撃にあい、二時過ぎからは戦いながら刺されながら、うとうとしたのみ。

《カザフスタンとアゼルバイジャンとの違い》
1.大方定価制になった。
2.蝿が少なくなった。
3.トイレが紙式になった。
4.車の運転が尋常になった。
5.物価は東京並み。

《人相》
 人相とは、何だろう。それは、顔の表面、ではない。否、表面でありながら、そこに推し測りがたい「向こう」が半ば現れているのだ。しかし、それは「表情」とも違う。表情は、瞬間瞬間の感情の微妙な表出であるのに対し、人相は、その人間の個人的なヒストリー(物語・歴史)が半ば推し測りがたく、だが濃厚に顔の様相のみならず、フィジオノミー(形相)にも刻まれている状態だ。しかもそれは、個人的ヒストリーにとどまらない。そこで個人的ヒストリーが紡がれた共同体のヒストリーをも織り込んでいる。だから、ある共同体の中に赴いたとき、そこに生きる人々の人相が似ていても当然なのだ。家族、村、都市、国。
 少なくともバクーで見たかぎりのアゼルバイジャンの人々は、多くが似た人相をしていた。個人そして共同体のヒストリーの中で、何か決定的に人格を歪めてしまったような、重苦しくくぐもった"ねじれ"を刻み込んでいた。その"重み"に顔形までが歪んでしまっているのだ。その"重み"は、いったい何なのだろう。ソ連の官僚制の腐敗なのか、兵役の狂気なのか、賄賂と詐欺の常習化なのか。
 今まで、これほどに"卑屈な"人相を、私は見たことがない。

《トルコとアゼルバイジャンとの違い》
1.付け合せにチャンツァイとゴマの葉が必ず出る。
2.スカーフなどで体を深く覆う女性がいない。
3.酒が公然と売られている(特にウォッカ)。
4.モスクから大音響の祈りが聞こえない。
5.サラダに味付けが一切ない。(ということは単なる生野菜の盛り合わせ?)

〈9月1日(月)アルマトゥ〉
 10時頃起きる。昨夜は蚊に悩まされ、二時ごろ起きてしまい、その後蚊と格闘しているうちにうとうとするだけになってしまった。鍵が閉まらないということも安眠できなかった原因かもしれない。
 ぶらぶらしながら(遊牧民の生活が体験できるという)キルギス国境沿いの山岳地帯カルカラ行きのアコモデーションを頼むため、『歩き方』に載っているトラベル・エージェンシーを探しに向かう。
 アルマトゥのメインロードの一つらしいジベック・ジョル大通りを進む。それにしても、白系ロシア人からモンゴル系までものの見事に「混血」している。モンゴル系のある人たちは「韓国人」や「中国人」以上に、日本のそこらへんにいる「日本人」にそっくりだ。例えば、今ランチを食べているレストランの向こう側にいるメガネをかけた40代のおじさんなど、まさに東京の街角にいそうなおじさんだ。なので、ふと、日本の街角にいるような錯覚に襲われる。かと思うと、透明に近いブロンドの女性たちもいる。まさにシルクロードの遺伝子的遺産か。
 それにしても、「人相」が(少なくとも自分にとって)「ふつう」に戻った気がする。バクーの人々の人相はあまりにも悪かった。ここアルマトゥでは人々はふつうに「愛想」というか「愛相」とでもいうべきものを浮かべる。そう、バクーでは愛想というものが全くといっていいほど見られなかった。ここアルマトゥを人々が歩いている感じは、東ヨーロッパのどこかの都市にいるような感じだ。
 カルカラのエクスカーション探しのためにホテルから3~4キロほどにあるはずの上記代理店まで足を運ぶが、結局『歩き方』にあった住所には見つからず、無駄足だった。とにかく、この碁盤目状の都市は広い。札幌に似ているだろうか。でも、バクーと違い、歩道も広く、何しろ街路樹が豊かなので、大通りを歩いていてもさほど不快ではない。日差しもそれほど強くなく、空気は乾燥している。何しろ昨晩の1時頃に室内に干した洗濯物が、今日の午前中には乾いていた。今日は月曜日だが、どうやら休日らしく、人も、繁華街を除いてはまばらだ。足の運びもゆったりしている。
 ユーラシア大陸中の、様々な民族が歴史的に混じりあっているせいか、かなり美形の男女が多い。若い女性のスタイルが非常にいい。モンゴル系の顔立ちの人たちも、ややもすれば過剰なダイエットで痩せすぎの日本や韓国の女性と違い、メリハリの利いた体形をしている。男性たちも、アゼルバイジャンと違い、やたらとお腹が出ている人がほとんどいない。
 夕方、ビールを飲みに外出。中央バザールに向かう歩行者天国(この言葉ももはや死語だろうか?)沿いの野外カフェテリアに入るが、ビールの500mlのジョッキが900テンゲするのにびっくり。いくら(数少ない?)観光客が集まりやすい場所とはいえ、これでは東京以上ではないか! あるいは、日本円が相対的に弱くなっているので、そう感じるだけなのだろうか。
 まだ今一つお腹が空かないので、ワインでも飲もうと思い、違う店に入るが、そこで大失策を犯した。「白ワイン一杯」を頼んだつもりが、赤ワイン一杯をもってきたので、「違う」というと、今度は赤ワインのボトルを持ってきてグラスに注ぐ。まあ、こうやってボトルを見せながらグラスワインをサービスするのかと思って(しかし、もしかするとグラスの代わりにボトルを注文したと勘違いしたのか?とも思いつつ)、また「赤ワインではなく白ワインが飲みたいんだ」と言うとさらに状況が紛糾しそうだったので(もちろんすべての交渉は互いにごく片言の英語とロシア語とジェスチャーだけ)、そのまま一杯飲み終わり、いざ勘定を頼むと、やはりボトル一本の請求(5100テンゲ)になっている。これは払えない!と店員、店長らしき人たちと言い争ったが、最終的に払わないなら警察を呼ぶといわれ、しぶしぶ5100テンゲを払って出る。
 かなり感情が高ぶったが、自分にも半分落ち度があるのは確かだ。最初に英語で「白ワイン」と言って相手がわかったような様子だったので通じたと思ったが、実際は通じていずグラスの赤ワインを持ってきたときに、英語ではなく面倒くさがらず『指さし』で「白」だとダメ押しをすべきだった。一瞬の自分への"甘さ"、「まっ、いいか」が命取りになった。旅においては、特に知らない国でしかも言葉が通じない国では、この"甘さ"がしばしばトラブルを生んでしまうことを痛感してきたが、また繰り返してしまった。以後、気をつけよう。
 感情の高ぶりが冷めやらぬまま、近くの元々行く予定だった『歩き方』に載っている回族料理の店に行く。スープと羊の煮込みを頼む。スープは酸味と出汁が効いていて旨い。煮込みも、骨付き肉がジャガイモと煮てあるが、肉じゃがみたいで美味しい。かなり美味しく安いのに(ライスを含み1450テンゲ)、客がもう一組しかいなかった。なぜだろう。

〈9月2日(火)アルマトゥ〉
 今日も、ある意味でハードな一日だった。いろいろと手配をしなくてはならなかった。
 まず、ホテルのコンシエルジュというよりガードマンといった方が適切ながっしりした体格の男の人に、荷物を預かってもらおうと思うが、預かってもらうことは理解してくれたものの、荷札のようなものを書くにあたり、何か数字に関わることを質問されるが、お互い、英語を全く解さない人に英語、ロシア語を全く解さない人にロシア語のやり取りで理解できず、『指さし』を駆使して何とか荷物を何時ごろ取りに来るのか、と尋ねられていることがようやくわかる。
 今日は、カルカラのエクスカーション、(ウズベキスタンの首都タシケントへ向かうため国境最寄の都市)シムケント行きの列車、カルカラがダメだった場合のアルマトゥでのホテルの予約(もうこの無愛想なホテルに泊まり続けるのは嫌だったので)、と手配しなくてはならない。
 まず、カルカラのために、昨日一度行った(が担当者がいなかった)代理店と昨日は閉まっていた他の代理店に行く。一時間以上歩いたが、結局カルカラ付近はもう雪が積もっていてエクスカーション・シーズンは終わってしまったと告げられる。遊牧民生活を体験したかっただけに残念。が、一方の代理店で(駅で買おうと思っていた)シムケント行きのチケットが買えたのは儲け物だった。
 ということは(カルカラに行かないので)この町にあと3日いなければならなくなった。パリのウズベキスタン大使館が勝手にヴィザの入国日を(希望した)9月2日から6日にしてしまった余波で、こんなことになってしまう。まあ、こういう一見「無駄な」滞在も、旅の重要な要素であろう。異"常"な移動も重要だが、異"常"な停滞も重要だ。アルマトゥは、過ごしやすい町なので助かる。
 さて、問題はホテルだ。もちろん高く払えば、この都市はいくらでも高級ホテルがあるが、今回の旅は「貧乏旅行」ではないものの、一つの目安として宿代入れできれば1日=1万円以下で抑えたい。今日まで滞在したホテルは、フロントはひどいは部屋はぼろぼろだは蚊に苛まれるはで、延泊は問題外。昨日、歩いている途中で見かけた「シャムシラク」というホテルが、『歩き方』に載っている以上に良さそうだったので(改装したのか)、そこに電話してみるが全く英語が通じず埒が明かないので、徒歩で30分くらいかけ交渉に向かう。一泊7000テンゲ。ガードマンの若者が片言の英語ができたので、何とか交渉成立。
 荷物を取りに元のホテルに戻る。ホテル前に待つタクシーと値段の交渉(アルマトゥはほぼすべて定価制だが、タクシーだけは別)。「1000」と言われ、「500」と返し、結局「800」で落着。空港から市内が「2000」だったので、「500」くらいが妥当だろうが、重い荷物をもった旅行者の弱みと、かつホテル前にタクシーがその一台しかいなかったので、「800」でも納得してしまった。"甘い"だろうか。
 新しいホテルの部屋に入る。元のホテルより500テンゲ安いが、部屋は広く設備も良く(冷蔵庫もついていた!)、大満足。今晩は安眠できそう。
 今度のホテルは、偶然、小さなバザールに面しているので、昼ご飯を調達しつつ巡ってみる。「バザール」といっても、生鮮食品が主ではなく雑貨が主。生鮮(主に野菜・果物)はストリートで生産者らしき人たちが素朴に店開きしている程度。美味しそうな果物・野菜を売っている。イチゴ、ケバブサンド、ビール、ミネラルウォーターなど買う。部屋に戻り、食す。イチゴ、めちゃくちゃうまーーーい!人生で一番!こんなに濃厚な味だったのか!と大感激。案の定、袋の下の方のものは、たった2~3分歩いたうちに潰れてジュース状になっていた。超完熟! 500グラム=250テンゲ。ケバブサンド(300テンゲ)もめちゃうま。大満足! 今までほぼ毎食外食だったが、市場で買ってこうして食べるのもいいかも、と思う。夕食もそうしよう。
 昼食後は、昨日一昨日と蚊に悩まされきちんと寝ていないので、シャワーを浴びたあと、昼寝する。
 夕方、ぶらぶらしながら買い物に出る。探し物は、ノート、ペン、蚊取り器具、それに(トラムの路線図付の)市内地図。結局、探せど、蚊取り器具しか買えず。(東京のようにはいかない。)蚊取り器具を買った「成城石井」のようなスーパーが面白かった。酒類、惣菜など豊かなこと。それこそ「ユーラシア」が展示されているようだった。チョーヤの梅酒があったりアサヒスーパードライがあったり(しかもビール売り場は心憎いことにユーラシア大陸を横断するかのように各国のビールが東西の順に並べられていた。スーパードライは一番右端にあった。)、惣菜も寿司から韓国の味付け海苔から饅頭(ここらでは「マントゥ」というらしい)からいろいろ。よく考えてみたら、ここアルマトゥはユーラシアのど真ん中あたり。西の端から東の端までの物品がそろっていても不思議ではない。
 スーパーを出て、しばらく歩くと、交差点でなぜか日本語で「高崎ハム」と書いたトラックを発見。カメラを向けるが、間に合わずシャッター・チャンスを逃す。
 そして今、運動場を臨むビヤホールみたいな店で、ウォッカで盛り上がっているおじさんたちを前に、「さきいか」そっくりに裂かれたスモークチーズを摘みながら、生ビールを飲んでいる。

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 ホテルに戻り、前のバザールで買い物して部屋で夕飯と思うが、あいにくなぜかもう閉まっている。2ブロックほど行った24時間営業のトロピカルなバー&レストランの店頭でテイクアウトできる料理を売っていたので、向かう。大きな釜で炊き上げてある(中央アジア定番の)ピラフと串揚げのようなものを買う。売り場の脇に小さい入り口があるので何気なしに入ってみると、なんと夜間営業の食品売り場だった。品揃えがいいので、いろいろ買ってみたいが、一人でそうもいかないので、ウォッカ(この旅で初!)と(それを割るための)リンゴジュースを買う。(以前ポーランドに行ったとき家庭ではこうして飲むと教わったので。)
 部屋に戻り、夕食。食器がないので、袋からじかに手で食べる。これはこれで非日常的で乙なもの。串揚げは、何やら(川?)魚であった。ピラフともどもかなり油っぽいので、半分しか食べられない。デザートに昼買ったイチゴ。やはり相変わらずすごく美味しいが、すでに3分の2が潰れている。ジャムにすると絶好だろうが、仕方ない。

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 ゲバラを少し読んで寝る。それにしても、壮絶なゲバラの行軍の様を読んでいると、自分の旅など初歩の初歩という感じだ。今日は、蚊取りも買ったので、安眠できそう。(キューバの湿地の猛烈な蚊と壮絶に闘い続けたゲバラに申し訳ない。)

hanare January 12, 2009 11:26 AM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(7)

〈8月28日(木)バクー〉
 8時半ごろ、シャワーを浴びている最中に、もうナディムが迎えに来る。今日は、結局彼に1日ガイドを頼むことにした。近郊の見所(といってもあまりないらしいのだが)へのアクセスが公共交通機関ではいたって不便なためだ。まず、ゴブスタン遺跡と「泥火山」に向かう。
 一万年前からの遺跡に、動物や人間の姿を描いた岩絵が残る。そこから数キロ行った泥火山は、「火山」というより、泥の冷泉が「火山」のように、しかしかわいらしくぽこぽこと湧き出しているところ。こちらは、所在を知らなければ絶対に来れないような荒野の中にあった。まるで他の惑星にいるかのような光景。

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 一度、バクー市内にもどり、フェリー乗り場に行き、万が一、二三日中に船が出ることはないか情報を得ようと試みる。昨日と(当たり前といえば当たり前だが)状況の変化はない。決定的に、フェリーでの横断をあきらめる。代替策は(陸路はヴィザの関係で無理なので)残念ながら飛行機だけだ。昨日のうちに、カザフスタンの旧首都で最大の都市アルマトゥに向かうことをほぼ決めていた。アルマトゥに行くことは、計画には全く入っていなかったが、カスピ海の対岸の町アクタウに行っても何もなさそうなので、この際キルギス国境に近いアルマトゥまで飛ぶことにした。
 そこで、問題はチケットの入手。ナディムによると、この国では何事も、航空券の入手さえ一筋縄では行かないという。どういうことだが、段々とわかってくる。まず、正攻法にアゼルバイジャン航空(一応国立)のオフィスに行く。カウンターをたらいまわしにされ、1時間近く待ったにもかかわらず、結局今週のアルマトゥ行きの便はすべて満席だと言われる。
 最初から半ばそうした答えを予想していたナディムは、航空会社に勤める知り合いに裏から手を回せば見つかるはずだと確信を持ちながら、アゼルバイジャン社会がいかに汚職と賄賂でまみれているかを説明してくれる。ここでは、国立の航空会社に勤める人間さえ、賄賂を稼ぐために、あるパーセンテージのチケットを事前に裏マーケットに回すとのこと。待つこと2時間、ナディムの奔走後、本当に売り切れのはずのチケットが手に入る。しかし、日曜の便だ。手数料(賄賂?)として100マナト強上乗せ。
 午後5時近く、二人ともこの一件でかなり疲れていたが、拝火教修道院跡と、天然ガスに天然に火がついている場所に行く。前者は、昔は、修道院内にガスがやはり天然に燃えていて、崇拝の対象になっていたらしい。その火(今ではガス会社が供給している)を取り囲むように、修道士たちの部屋が十数個並んでいる。古には各部屋にもガスが湧き出していたらしい。それで、彼らはトランス状態に入っていたようだ。それらの部屋では、現在、人形で当時の修道士たちの修行を再現している。断食する、ある特殊なポーズで血液を止める、体中に鉄の鎖を巻く、などの荒行でトランスに至ったことが伺える。ヨガの影響などがあったのか?後者は、ただ岩にガスが湧き出ていて燃えているだけであった。

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 その後、空港近くのナディムの自宅により、奥さん(レイラ)をピックアップ、次にレイラのお母さんの家により、彼女と遊びに行っていたナディムの息子(シャイーム)をピックアップ。それから、カスピ海沿いのナディムのお母さんの家(「ダッチャ」といっているのだが、地名なのか「家」とか「別荘」を意味する普通名詞なのか判然としなかった)に行き、鶏の丸焼きやトマトなどで軽い夕食。すっかりナディムの家庭生活に入り込んでいる。
 ところで、この「家」がすごい。アゼルバイジャン版「0円ハウス」とでもいう成り。どこかで拾ってきたであろう不ぞろいのレンガをおそらく自分たちで積み重ねた「掘っ立て小屋」に、台所と一部屋。トタンの板で覆った「テラス」らしきところには、こちらも拾ってきたであろうぼろぼろのベッドがいくつか並び、そこで皆寝ているようだ。
 水は井戸から汲み、バケツの底に穴を開けた「蛇口」を通して、皿洗いやシャワーに使っている。トイレはいわゆる「汲みとり」式だ。しかも、すべて廃品で手作りだ。日本流に言えば「バラック」だが、そこに荒んだ空気は微塵もない。皆、この海辺の「別荘」を楽しんでいる。

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 ナディムがホテルまで送ってくれる。ただ、途中の道のりが大変であった。工事中の「新しい道路」に入ると(なぜ入るのだ!)、途中で道路がなくなったり(当たり前だ!)、大渋滞のカオスに閉じ込められ、たぶん混んでなければ30分で着くはずが2時間くらいかかったり。
 気分を変えるため、一人でビールを飲みに出る。小腹も空いているので、軽く摘めて酒も飲める店を探すが見つからず、結局前日も行ったバーでビール一杯飲み(もう遅くてキッチンは火を落としていた)、それからホテル近くの「トルコ料理店」でさして美味しくもないシシケバブを、美味くもない赤ワインと共に、お腹に入れた。
 途中、ナディムから"TAGA, where are you? I'm in city"というSMSが入り、留守電も入っていたようだが、フランスの携帯のためか留守電が少なくともこの国では聞けず、そして何よりもようやく彼から解放されてほっと一息ついていたので、これ以上今晩は会ったり話したりしたくないので、"I'm in a restaurant near hotel"と素っ気なくメールする。
 が、ホテルに戻り、階段を昇っていると、後ろから"TAGA"という声がする。ナディムだ。何だろうと思っていると、いい考えが浮かんだ、と言う。日曜、空港に送っていくのに、わざわざ市内のホテルまで迎えに来るのも手間だから、(空港近くの)自宅近くの友だちがアパートをホテルと同じ値段で貸すから(50マナト)、そこに泊まりに行ってはどうだろうか?と言う話だ(少なくとも私はそのように理解した)。まあ、それもありかと思い、もう12時近くて面倒だったが、荷造りし、また彼の車に乗り込む(今日で何度目だろうか)。
 彼の家に着くと、今晩は他に誰もいないし、ここに泊まれ、と言う。ソファベッドを用意してくれ、途中で買ったロング缶のビールを3本ずつ(!)空ける。彼は、2・3ヶ月ぶりに酒を飲んだとのこと。
 爆睡。

〈8月29日(金)バクー〉
 10時頃起きただろうか。今日は、カスピ海で海水浴することになる。「ダッチャ」に昼ごろ行き、ヨーグルトに米や香草を入れて煮込んだスープ状のもの(「ドハ」という名だったか)をいただく。食べなれぬ味だが、美味しい。

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 それから、近くの浜で海水浴(はたして「海水」浴と呼ぶのかどうか)。あの「カスピ海」に浸かり、泳ぐなんて、感動。バクーの中心部では、とても泳げるような様相ではなかったが、ここの水は(少なくも見た目には)かなりきれい。味わってみると、かすかに塩味と苦味がある。苦味はもしかして「石油?」とも思うが、そのまま海水浴を楽しむ。ナディムと二人の「少年」のように泳いだり、一人で沖の小さい岩場に行き、遥か水平線を眺めたりする。フェリーで横断はできなかったが、それにも代えがたい貴重な体験だ。子供のときから世界地図の上で(とにかく地図が好きだった)想像を巡らしていた「世界一大きな湖」に、今自分は体を浸している。長年の「想像界」が突然「現実界」と化した衝撃。
 夜は、ナディムの自宅近くの行きつけらしいレストランで二人で食事。つくね状のケバブが美味しい(彼は歯が悪く肉を噛み切れないらしいのでいつもこれを食べるらしい)。生ビールも旨い。都合「中ジョッキ」を三杯ずつ飲む。途中で、従兄弟も参加。が、「日本人」にはあまり興味がない模様。
 家に戻り、まだビールを飲むかと聞かれるが、疲れていたので寝ることにする。またも爆睡。

〈8月30日(土)バクー〉
 9時ごろ起床。今日も、海水浴となる。ナディムは仕事に行かないのかと心配するが、やがてその謎は解ける。午前中から、また昨日と同じ浜で海水浴。途中、ナディムの叔父さんと遭遇するが、平泳ぎが上手いと何度もほめられる。そんなに上手かったかなあと思うが、カスピ海と相性がいいのか、実際かなりの速度で進む。
 昼は、お母さんの家で、奥さん手作りの鶏とジャガイモの煮込みをご馳走になる。やはり香草がたっぷり入っていて、シンプルながらも複雑な味わい。舌鼓を打つ。お代わりする。
 昨日のレストランもそうだが、アゼルバイジャンでは(中国で食べる)チャンツァイと(韓国で食べる)ゴマの葉が、生でかなり大量に付け合わせとして出る。トルコでは食べなかった「東アジア」とのつながりが感じられる。
 家には、親戚の女性たちや子供たちが沢山来ている。狭くてちゃちな家だが、皆楽しそうだ。

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 午後4時頃、自宅に戻る。明日のアルマトゥのホテルの予約などで、しばしナディムとネットで検索。友人とのスカイプも試みてみるが、うまくいかない。
 夕方、ナディムが歯医者に行っている間、トルコで友人から借りた村上春樹『アフターダーク』の続きを読む。主人公と「島本さん」との関係が"絶対的な"ものになっていく。
 夕飯は、昨日と同じレストラン。ほぼ同じものを食べる(昨日食べたレバーのケバブの代わりに、鶏のケバブを食べる。マリネの味付けが美味しかった。)また「中ジョッキ」三杯ずつ。ワインを飲みたかったが、家にあるから帰ってから飲むことに。(ナディムとは三日間飲み続けている。)
 家で赤ワインを飲み始めるが、少し変質していて美味しくない。このまま無理に飲むと悪酔いしそうなので、一杯で止める。ナディムがビールを買いに行こうと言い出す。やはり男はどこの国でも、飲むときは徹底的に飲もうとするのだろうか?
 ビールを買いに行った店で、ナディムが話していた「ヨガ・空手マスター」に遭遇する。ナディムが誘い、家に来る。もう1時を回っていたが、それから4時近くまでロング缶2個ずつ飲む。「マスター」は全く英語ができないようなので、ナディムが通訳代わりになる。彼は私と同い年。やはりヨガなどやっているせいかかなり若く見える。彼は、私などに比べ、本格的にヨガと空手をやっている模様。毎朝5時から修行しているとか。私の「いい加減さ」が浮き彫りに。
 春樹を少し読んだ後、爆睡。

《You can't buy friendship》
 「500マナト」。彼がそう言い放った瞬間、「友情」は、ビジネスと化した。いや、詐欺と化した。カスピ海で子供のように一緒に泳いだこと、彼の4歳の息子と遊んだこと、奥さんの美味しい手料理を食べたこと、ミネラルウォーターを「おごって」もらったこと、すべてが「友情」からカネの関係に変わってしまった。彼は、それらのものを「売って」いたのだ。
 私は、いろいろと便宜をはかってくれようとするタクシー運転手である彼に、最初に尋ねた。How much can I pay for your service? そして彼は答えた、Money doesn't matter for me.
「うぶな」日本人である私は、その言葉を信じた。そして、彼と「楽しい」三日間を過ごしたつもりだった。カスピ海で共に泳ぎ、家族と交わり、沢山の(個人的な)話もした。もちろん、「タダ」で別れようとは思っていなかった。かかった費用に少し上乗せして渡そうとさえ思っていた。
 だが、最後の晩、突然「俺にカネを払う必要があるだろうから、これから近くのATMに行こう」と言った。私は、彼の意を図りかねた。「いくら払っていいのか、わからないけれど・・・」。一瞬ののち、「500マナト」(≒5万5千円)と言い放った。ガソリン代、食事代など実際にかかった「費用」はおそらく多くて見積もっても150マナト程度だろう。彼は、終始1マナトのミネラルウォーターを「おごって」くれていたが、実は3倍で「売って」いたのだ。
 しかし、今、彼と過ごした「楽しい」時間=「友情」を「500マナト」に還元しきれない自分がいる。その"厳しさ"に釈然としない自分がいる。
 私は、別れ際に言うだろう、"You can't buy friendship."

hanare January 3, 2009 05:14 PM

[地球日誌] vol.05 パリから上海へ:ユーラシア大陸横断の旅(6)

〈8月26日(火)アンカラ→バクー〉
 今、アンカラの空港。バクー行きのチェックインを待っているが、出発二時間前になってもカウンターが開かない。どうなっているのか。しかも、このフライト、夜10時半に出て、バクーに夜中の二時過ぎに着く。いったいどうなっているのか。
 バクーに着いた。イミグレーションで一人脇にどけられ、座ってろと居丈高に命令されたので、特別に難癖をつけられるのではとちょっと恐れたが、結局英語が多少できる警察官を待て、ということだったようだ。その後はあまり手間取らず無事入国できた。今、空港のカフェにいる。ATMで現地通貨マナト(1マナト≒110円)を40ほど引き出し、カフェで紅茶を頼んだが、2マナトという。はたしてボラれたのかどうかさえ、まだ物価と貨幣感覚をつかめていないのでわからない。非常に高いような気もするが(アンカラ空港もそうであったように)単に「空港値段」なのかもしれない。
 「タクシー?」と客引きがしつこく来るが、このままここで始発のバスまでねばる予定。
 カフェにいる人たち、深夜のせいかもしれないが、トルコに比べると、野卑というか、品がない感じがする。荒っぽそうな国だ。
 バクーは、数年前から第二次石油景気で潤っているらしいが、少なくとも空港はかなりみすぼらしい。旧ソ連時代のままか。
 あと四時間弱待たなくては。

《待つ》
旅では、待つ。駅や空港やバス停でも待つが、乗り物に乗っている時間も、ある意味、次に訪れる土地までの「待ち」ではないだろうか。
 移動せぬ待ちと移動しながらの待ち。旅は畢竟待ちの連続なのかもしれない。
 何を待っているのか? ある出来事、予想外の出来事の到来か? 確かに。日常の裂開、そして自分の裂開の到来でもあるだろう。旅に「出る」とはまさに、この裂開へと出て行くことだろう。そのためには、待たなくてはならない。日常で時間を満たしてしまうのではなく、裸の状態で待つこと、裂開がいつ訪れてもいいようにスタンバイしていること。
 それにしても、トルコでは、カフェでただ呆然と座り込んでいる男性たちが多かった。彼らの座りは、待ちではなかろう。待つことがいつしか限りなく引き延ばされてしまい、おそらく永遠に何も訪れない、鈍い霞みのようなまどろみなのだろう。旅の完全な不在。私と彼らは、いかなるコミュニケーションを開けるのか。開けないのか。

〈8月27日(水)バクー〉
 結局、朝6時半頃、市内行きのバスを探しに空港を出る。案の定、タクシー運転手たちが20人くらい?群がる。振り切ってバスを見つけようとするが、停留所を探しているうちに、英語が割と堪能な運転手と、交渉というよりは単なる雑談を始めてしまう。彼も取り立てて商売する風を装わない。かれこれ15分程度立ち話をしているうち、こいつはけっこう使えるのではないかと思い始め、結局彼に市内までの運転を頼むことにする。20マナト。現地の物価的に高いのか安いのか今のところ全くわからない。30分程度で市内に到着。途上、ここバクーはかなり「ヤバそうな」場所と直感。
 ホテルを予約していないので、運転手が予算(とりあえず40~50マナトと告げた)にあい、カスピ海横断のフェリー乗り場に近そうなホテルに案内してくれる(カザフスタンまでカスピ海をフェリーで渡ろうと思っていた)。一軒目は一杯で、二軒目のジャヌーヴという名のホテルは、一時間くらい待ってくれれば部屋を用意できるらしい。50マナト。早速部屋を見る。唖然! 旧ソ連時代の滅茶苦茶無駄の多い間取り、荒廃した雰囲気もさることながら、案内された部屋(ドアに部屋番号「408」がチョークで書いてある)はおそらく前の客が一週間前くらいに去った後手付かずの状態で、食べ残しが腐り始めていて、ベッドもぐちゃぐちゃで、うがい用のコップは何ヶ月も洗っていないような、荒廃の極みであった。これで50? 一応クーラーはついていて、お湯も出るには出る。状況的に引き下がるわけにもいかなかったので、清水の舞台から飛び降りるつもりで、よしと言ってしまう。49年の人生で荒廃度ナンバー1のホテルか。

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 掃除のあいだ、運転手(ナディムという)がフェリーの発着所の様子を確認しに行ったほうがいいのではと、案内してくれる。新築のターミナルがあり、これは期待が持てるかもと一瞬思うが、その建物にはこれから引っ越してくるとのこと。昔からの発着所に向かう。

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 ここで一時間くらいの間に展開したことはあまりに濃厚で、どのように言葉にしていいかわからない、というかバクーに着いてまだ数時間しか経っていないのに、この間の経験の濃厚さはこれまでの人生でも五本の指に入るほどではないか。
 まず、船着場は、本当に雑然としたバラックの集合体で、しかも私のそれまで持っていた「雑然」という観念をはるかに、暴力的に超える雑然さであった。ナディムが何とかフェリーについての情報を得ようと奔走してくれる。(目的地カザフスタンのアクタウ行きのフェリーは貨物優先で週一便の不定期運航。)なかなかいい奴なのかもしれない。(でも、お金がどのように絡むのか今のところ不明。)そこで「働いている」(?)警察官(?)たちの風情といったら、何と表現していいのだろうか。単にやる気がないとか、暇そうだというのではない。ソ連的官僚制が一応崩壊したがその悪習だけが細胞の隅々まで染み渡っていて、それが心も体も真に不健康に「むくませている」とでもいった感じ。そう、彼らに限らずバクーの多くの人は「むくんでいる」、そして「人間的な」表情に乏しいのだ。
 しかし、しかしである。ナディムが(おそらく)言葉巧みに、その能面のような無表情に介入していく。執拗に介入していく。すると、その能面の下からにわかに「表情」らしきものが現れてくるのだ。不満気?苦笑い?とにかく「個人」が現れてくるのだ。その、「能面」と「個人」の、何とも落ち着きの悪い行き交いに、ナディムを介してとはいえ、いや彼のおかげで、コミュニケーションのとっかかりがあるような気がする。実際、ナディムの巧みな介入のおかげで、次々と「能面」が崩れていく。ナディム、なかなかのやり手とみた。フェリーの切符売り場らしいところ(といっても、鉄のへらへらの扉にいくつか小穴が開き、Kessaと書いてあるだけだが)の前の車道に二人で座りながら、彼の個人的な話をいろいろ聞かされる。実に彼は、英語を機関銃のように話すので、聞いているだけでかなり疲れる。脳みそが持たなくなってくる。お互いに写真など見せ合いながら、Kessaが開くのを待ったが、結局係りの人が当分来そうにないので、ナディムがさらに情報を得ようと奔走してくれる。
 最終的に簡易宿泊所のようなところに行き、そこの経営者らしきおばさんが、グルジアの紛争で来るべき物資がこないので、船は下手をすると2週間経っても出ないよ、なぜ飛行機で行かないの?と、長い深い経験に裏打ちされた説得力で意見してくれる。この一言で、このままフェリーを待つのは、非現実的と考え、あっさり断念することにする。
 これで、グルジアの陸路越え断念に続き、カスピ海の水路越えもかなわなくなった(グルジア紛争の影響だが)。不可抗力なので仕方ない。もちろん、1年くらいかける長旅なら「待つ」という選択肢もありえようが、今回はそこまで悠長にはしていられない。
 ホテルに戻る。クリーニングが終わっていて、何とか泊まれそうな様子になる。気がついたら、昨日の夜から何も食べていないので、外に出る。とりあえずカスピ海のほうに向かう。生まれて初めてカスピ海を見る。ひときわ感慨深い。小さいときから世界地図上だけで見ていた「世界で一番大きな湖」。それが今、眼前に広がっている。
 だが、水面を見ると、汚い油膜が張って、ゴミだらけだ。石油工場などから出る煤煙もすごいのだろうか、水平線も白っぽい靄に霞み、船が浮かんでいなければ、見分けがたいほど。突堤があるので、先端まで行き、感慨にふける。傍らでは、それでも、釣り竿をたらしている人が何人かいる。

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 日差しも暑く、空腹なので、湖畔の公園にあるカフェテラスのようなところに行ってみる。まだ11時だが食べられるかどうか訊くと食べられるというので、現地のビールと羊のケバブの鉄板焼きを頼む。夜中に空港について以来、しんどい待ち時間とその後の市内での怒涛のような展開があった後だけに、ビールがことさら旨く感じる。

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 ケバブがくるが、これが絶品。こんなに弾力のある羊は(ヨーロッパでも)食べたことがない。草原を歩き回り走り回った羊だからだろうか。日本のスーパーで売っているオーストラリア産羊などは、同種の匂いがしなければ(その匂いさえ日本への輸出用に品種改良されているのだろうかほとんどしないが)同じ動物の肉とは思えないほど。結局、グラスの白ワインも追加し、計15マナト。

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 お腹も満たされたので、ホテルに戻り、シャワーを浴び、午睡。
 夕方起き、旧市街に向かう。初めての都市での一人歩き。しかも、汚職警官の評判が悪いので、かなり緊張しながら歩く。それにしても、トルコから来ると、人々の外見はかなり似ているにもかかわらず(似ているからこそ)、ことごとく「人相」が悪いのが目立つ。(その理由は後からわかる。)
 カフェでビールなどを飲み、夕飯は、偶然中華料理店を見かけたので、久しぶりに馴染みの味に触れたくなる。多少「中華」とずれていたが、チャーハンだけは炒め具合が完璧であった。現地の人にとってはそれなりに高級レストランのようだ。勘定もそれなりにした。
 ホテルに戻り、(昼寝をしたにもかかわらず)爆睡する。

hanare December 28, 2008 12:23 PM

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