[地球日誌] vol.06 Plum village滞在記(1)
ヴェトナム反戦運動、そして何よりもengaged Buddhism(行動する仏教)の世界的推進者として名高いヴェトナム人僧侶ティク・ナット・ハンが、1982年にフランスはボルドー近郊に創設した仏教コミュニティPlum villageに、先日1週間滞在した。禅に則った彼の教えは、日常生活のあらゆる所作に意識の十全な目覚め・瞑想をもって臨むmindfulnessの思想に代表される。坐るのみならず、歩く、食べる、働く、さらには皿を洗う、用をたす、といった「瑣末な」な活動をも、「今ここ」への絶えざる目覚めとともに行う、といういわば汎瞑想論の実践である。150人強の僧・尼僧が四つの集落に分かれて住み、年間約4000人の在家が世界中から集まる。以下は、その滞在記である。
《1日目》
午後3時過ぎ、Plum villageに着く。受付を済ませる。日本そして慶應大学にも何回か来たことがあるというアメリカ人青年と少し話す。大学生の日米交換研修を担当していたとのこと。トイレ・シャワーつきの二人部屋を予約していたが、空いているのか一人使用となる。
敷地内を散策。かなり広い。300m四方くらいあるか。メディテーション・ホール、食堂、売店、修道僧宿舎の他に、(ヴェトナム風の?)鐘楼が異彩を放っている。庭の造作は、竹が植わっていたり、中国的趣をもつ石が配されていたりして、部分的にヴェトナム&中国風か。でも嫌らしいオリエンタリズムではない。
時たますれ違う人たちは、「白人」の人が多いが、中にはヴェトナム人らしき僧たちもいる。子供たちがふつうに走り回っている。

5時の坐る瞑想まで、自室でヨガのサバサナー(「死体のポーズ」:仰向けになり全身脱力して行う瞑想)。瞑想の開始を告げる鐘が鳴るということだったので、待っているが、一向に鳴らない。念のため、メディテーション・ホールに向かうと、もうすでに人々は瞑想を開始している。途中から入れる雰囲気ではないので、諦めて自室で坐る。次々に夢想が湧いてきて、あまり集中できない。
6時の夕食開始には、鐘が鳴った。食堂に向かう。
メニューは、カレーピラフ、固い湯葉の煮物、茹でニンジン、コーン、発芽した豆、フォー(厚揚げやマッシュルームの入った汁をかける)。ヴェジタリアンだがかなり豪華。量もたっぷりある。
あらかた皆が揃うまで、しばし待つ。鐘が三度鳴り、全身の細胞、空腹に沁みわたる。余韻とともに食べ始める。最初の20分間はNoble silence。食べることも瞑想という思想。集中するが、なかなか味わいきれない。
およそ50~60人くらいか。若い僧たち(ほとんどヴェトナム人?)もいれば、カップルが何組か。黒白ぶちの猫まで居眠っている。真剣に瞑想している人もいれば、かなり無造作に食べている人もいる。
食べることも瞑想だ、というのは私の持論でもあるが、真に瞑想し続けるのはかなり難しい。数秒間集中することは可能だが、それ以上なかなか続かない。
20分ほどで再度鐘が鳴る。皆、突如、動作を中断し、聴き入る。その後は、ふつうに会話し始める。主要言語は英語のようだが、フランス語、イタリア語、ヴェトナム語(?)も聞こえてくる。かなり興味深いコスモポリタニズム。しかもフランスの片田舎で。
ということは、日本の片田舎でも、同種のコミュニティは可能ということか。が、やはりヨーロッパだからこそ、これだけの複文化・複言語環境が容易にできるのか。
結局、誰と話すこともなく、食器を洗い、庭に出る。しばし、夜空に浮かぶ三日月と土星(?)を眺め入る。
部屋に戻り、少しVictor Segalen "Equipée"(『覊旅』)を読む。まだ近代的な交通網も整っていない20世紀前半に中国を徒歩とロバで横断した詩人の旅行記というより散文詩だ。「〈想像的なもの〉は、〈現実的なもの〉に直面したとき、力を失うのか、力を増すのか?」という冒頭の一句に引きつけられる。
《2日目》
5時起床。
昨晩は、瞑想とも睡眠ともつかぬ「眠り」であった。瞑想しながら寝に入ったが、かすかな物音や自分の鼾などでハッとするかと思うと、また眠りにたゆたう、ということを何度か繰り返す。熟睡したのは、朝方2~3時間か? 途中、窓の向こうに広がる豪奢な星空に唖然とする。
5時45分から瞑想ホールで坐る瞑想。中央奥にブッダが祀ってあるようだ。中央の通路の左右に、背を向けあいながら坐る方式。マイクを通して、呼吸法・瞑想法の指導(英語)。やや耳障り。勝手に(自分が慣れ親しんでいる)ヴィパッサナー瞑想法で瞑想。ものの30分くらいで終わる。短い。最後は、僧がブッダへの祈りの言葉を唱え、皆床に平伏す祈りを3×2回繰り返す。三々五々解散。
それにしても、星空がすごい(この時期まだ外は真っ暗なのだ)。文字通り、満天の星。見とれていると、宇宙に抱かれているかのよう。宇宙の一部に"なる"。流れ星。
8時の朝食まで時間があるので、自室でヨガ。
朝食は、パン、オートミール、シリアルなど豊富。パンは、自家製。
9時15分から、瞑想ホールで、新参者に対するオリエンテーション。10名ほど。フレンチスピーカーが半分。ヴェトナム人の僧が英語で話し、フランス人の僧が通訳。各自簡単な自己紹介後、様々なメディテーション(坐る・歩く・食べる・労働する)の説明。質疑応答。車座の中央に赤い花の鉢が置かれ、朝陽に照らされた埃がにこやかに舞う。毛の長い黒猫が周りをうろついたり、居眠りしたり。
11時から、歩くメディテーション。大きな菩提樹の下で集合。すでに何人かが歌を歌い出している。皆に歌詞が配られていく。少し引くが、一緒に歌う。英語以外にヴェトナム語の歌も歌った。それなりに気持いい。
総勢50人くらいだろうか。歩き出す。高僧らしき人が先導。Mindfulnessの呼吸をしつつ、ゆっくりと歩を進める。最初の2,3分は、初めてのせいもあってぎこちなかったが、やがて慣れ、呼吸と足の運びが合ってくる。周りの景色にも感じ入れる。枯れ枝に止まるカタツムリ、霜で覆われた枯葉のあいだから顔をのぞかせる若い芽の鮮やかな緑、透き通った朝陽と影のまだら模様。遠くで、鳥が囀ったり、けたたましく鳴いたり。時々、先導する僧が立ち止まり、景色を味わい尽くすよう誘う。
次第に歩みと呼吸のリズムに煽られてきたのか、体全体が軽快になっていき、一歩一歩が軽やかな踊りのような感覚。周りの光景も体にどんどんと「入って」くるようになる。こんなに爽快な歩みは久しぶりだ。最後に立ち止まったところでは、枯れ枝が複雑に入り組んだ光景に感じ入り、一体となる。
戻ったら昼食。何かの雑穀を炊いたものに、揚げとキノコの炒め物、豆腐に複雑な味付けを施し串にまきつけたもの(肉のつくねに見立てているのだろう)、チャンツァイなどの薬味、スープ、そして細切り昆布の入った(!)シロップ状デザート、かなり豊かなメニュー。ヴェトナム風精進料理といった趣だ。味も悪くない。ただし、デザートを(昆布が入っていたため)汁と勘違いし、チャンツァイなどの薬味と合わせたのが大誤算。食べるメディテーションを唱えるだけあって、瞑想に見合う質と多様性を提供している。
今日はBook shop(兼売店)が開いているというので、のぞく。ティク・ナット・ハンの各語訳の書籍の他に、いわゆるグッズ類(Tシャツ、バッグ、絵葉書など)が売っているのは、やや意外。
14時過ぎから、働くメディテーション。食堂集合で、また合唱から始まる。仕事が割り当てられていく。私は、ヴェトナム人のリーダーについて、Transformation meditation hallという小ホールでの座禅用座布団の配置換え、その後は、他のリーダーの下で、物置の整頓。メディテーションと謳ってはいるが、皆それほどメディテーションしているようには見えない。
自室に戻り、少しSegalenを読む。
17時からリラクゼーションのメディテーション。ヨガのサバサナーに近い。何度か自分の鼾でハッとする。かなり心が平静になったので、自室に戻り、さらに1時間ほど坐って瞑想。しかしこれが大間違い。夕飯の時間を1時間勘違いしていて、危うく食べ損ねるところだった。何とか残っていた雑炊と(昼と同じ)昆布入りのデザートだけ食べられた。
自室に戻りシャワーを浴び、この日記を書く。






































hanare February 28, 2009 02:17 AM