[地球日誌] vol.07 インド旅行記(2)
〈2月24日〉
朝食後、Kiranのお父さんが創設したという公立のインターナショナル・スクールの見学に向かう。非常に近代的な設備に驚く。すべての授業は英語で行われているという。子供たちの目が輝いている。学校の食堂で昼食。何百人という生徒が同時に食事をするため、巨大な食堂だ。我々だけ、一足先に、ご馳走になる。使用人の女性たちが、サービスしてくれる。英語で話しかけてみるが、伝わらないようだ。インドでは、どうやらこうした「公立」の学校で教育を受けられるのは、一部の階級の子女にとどまり、法律的に「カースト制」が廃止されたとはいえ、その現実は歴然と残っているようだ。路上で暮らしている人たちは、「人間」の顔形をしているが、もしかすると生まれてからずっと路上で暮らしていて、言語すらまともに話せないかもしれない。「教育」の機会などに一切恵まれていないかもしれない。




昼食後、学校見学に同道してくれていた「文学者」であり「哲学者」でもあるという男性の自宅に向かう。これから半日、2~3人のグループに分かれ、家庭訪問。次々に、訪問を受け入れてくれる人たちがやってくる。私は、他二人と、二人の男性に案内されることになる。
ある聖者が運営しているという音楽学校を見学し、二人の男性の友人であるというケニア出身の女性宅でチャイをご馳走になったあと、海岸沿いのジャイナ教寺院を見学する。夕食は、二人のうち建築家であるという男性の自宅でご馳走になる。そのお母さんが作ってくれた家庭料理がすこぶる美味しい。
夕食後、Tithalの町の中心部のある建物に連れて行かれる。中では、何やら儀式を行っているようだ。入ると、見知った顔が並んでいる。中央では乾燥した牛糞に火がたかれ、その周りで地元の青年たちが様々な鐘を叩きながら、祈祷の文句を歌い上げている。傍らの祭壇には、色とりどりの果物や花が捧げられている。ジャイナ教の儀式であろうか。3~4人ずつ順番に火のそばに坐らされ、「魂の浄化」の儀礼を受ける。炎と煙に煽られながら、各自勺でバターを火に注ぎ、ゴマと何かが混じったものを一つまみづつ火に放っていく。それこそ「護摩を焚く」原点だろうか。
全員が「浄化」されて、儀式は終了する。
その後は、背後の舞台で、インドでも一際人気の高いという伝統音楽グループの歌唱を聴く。特別に、ここまで来てくれたとのこと。複雑な唱法とトランスがこちらの体と魂をも揺さぶる。
高揚しつつ、深夜に帰宅。
〈2月25日〉
午前中、オーガニック農場の見学。「文学者=哲学者」が、我々のグループを紹介するとともに農場の試みを称えているらしい(現地の言葉なのでよくわからない)。子供たちの歌・踊りで歓待される。質疑応答、Kiranが代表して、現地の言葉でフランスのオーガニック農業の事情などを答えているらしい。
その後、我々のために設えてくれたらしいポスター展示や陳列物をみるが、ポスターは現地の言葉なので、全くわからない。英語が多少できる人が少し説明してくれたり、Kiranが通訳してくれたりして、だいたいのことがわかる。牛糞・蜂蜜・牛乳・バター・ココナッツミルクなどを混ぜて、天然の駆除剤を発明したり、牛糞・藁・土の中でミミズを飼い、「ミミズ・バンク」として農民に配給していたりするらしい。
一通りの説明とやり取りが終わった後、その場で昼食に。地面に座り、椰子の葉を皿代わりに、いろんな食べ物が盛り込まれる。多少衛生が気になるが、思い切って皆食べる。その後別段、誰も何ともなかったようだ。




午後は、ガンジーの謂れのある場所を巡る。有名な「塩の行進」――イギリス統治による塩の専売制度に抗議するため、ガンジーがグジャラート州のダンディー海岸まで約380キロを行進し、浜で塩と泥の塊を掲げる。この象徴的行為が、インド中に非暴力不服従運動を引き起こし、最終的にはインドの独立につながる全国的な抗議運動に発展した――の後、しばらく住処としたあばら家が再現され展示されている学校(こちらもKiranのお父さんが創設者)を訪れる。ココナッツの葉で覆われただけの文字通りのあばら家。ここで、ガンジーは、1930年5月、イギリス統治政府に逮捕される。
次に、ガンジーが実際に塩を採ったという記念碑に向かう。現在は海岸線が遠のき、海が臨めない。記念館もあり、資料が展示されているが、管理がかなり杜撰。
夕食前、といってももう8時近いが、砂糖工場の見学。非人間的な労働環境――機械の騒音、異様な臭い、そして何よりも暑さに一同唖然とする。ひどいときには48度くらいになるという。機械油などで不気味に黒光りする機械にもはや同化してしまったかのような無表情な工員たち。言葉を失う。
















hanare April 7, 2009 10:05 PM