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オキナワ/OKINAWA

2010.05.30
琉球新報に、沖縄の普天間飛行場移設問題がまとめられています。年表もあるので分かりやすい。
Democracy Now!の特集記事では、沖縄の基地移転問題と、グアム、ハワイでの基地問題が特集されてます。沖縄の人が決めたことに従う、沖縄の人が希望することを本土が全部受け入れる、というのが筋。

Hatoyama, JPN's prime minister, caused a big outrage in Okinawa when he took back his promise of moving the base outside of the prefecture. Ryukyu Shinpo, Okinawa's leading paper has pages dedicated to this issue.

Also Democracy Now! aired an interview session with the activists from Okinawa, Hawai, and Guam.


Israel Blocks Noam Chomsky from Entering West Bank

2010.05.18

[From Democracy Now!]

On Sunday afternoon, Noam Chomsky was stopped by Israeli border guards at the Allenby Bridge border crossing from Jordan. After over three hours of questioning, Chomsky's passport was stamped with "Denied Entry." He was scheduled to deliver a lecture at Bir Zeit University near Ramallah and was scheduled to meet with Palestinian Prime Minister Salam Fayyad. No reason was initially given for the decision, but the Interior Ministry later told Israeli newspaper Ha'aretz that officials were now trying to get clearance from the Israel Defense Forces. Noam Chomsky joins us now from Amman, Jordan. [includes rush transcript]

http://www.democracynow.org/2010/5/17/denied_entry_israel_blocks_noam_chomsky


[Report] 5/3 Lecture by Keith Pasko @Kissa hanare [JPN]

2010.05.05
Coding x Cooking by Keith Pasco」 2010. 5. 3. Monday 21:00- 24:00 @hanare 
レポート by ハラトモハル


 「What the fucke should I make for dinner」というサイトでは、毎日の夕食のためにメニューの提案とレシピの紹介をしている。しかし僕はこれがベストだとは思わない。個人のクリエイティビティーが反映されないし、料理の作り方は地域や文化によっても異なるはずだ。そこには根本的な二つの問題がある。個々人の、何を作りたいか、何を食べたいかへの配慮が欠けているということ、それから、そのレシピが美味しいかどうかということだ。
 Thomas Kellerは料理が個人的なものであるということを教えている。また、Wikipediaのcookbookの項目では、料理が、社会に固有の、文化的なものであるということが示されている。
 これまでの料理本では、もちろん個人的なカスタマイズはあり得るにせよ、全然知らない人のレシピを盲目的になぞるということが多かった。しかし、最近の料理本では、新しいシフトが見られる。それはレシピそのものを"脱構築"するということだ。レシピを細部に分解し分析すること。レシピの基本を理解することで、それらを転用して自分のレシピを作ることができる。アメリカ一のレストラン「エリニア」のメニューでは、フレンチでしばしば見られるような装飾的な表記ではなく、メインの素材と調理法がダイレクトに書かれている。これも最近の潮流の一つの例と言える。
 料理は、小さいパートに分けて考え得る。その小さいパートは、また別のところで利用され得る。この考え方はプログラミングの方法論に近い。

 たとえばルバーブという食材にはいろんな側面がある。ジャムにもできるし、パイの具にもなるだろう。あるいは、寿司は、魚、米、酢、わさびなどで構成されている。それらをうまく調理するには、詳細な知識が必要になるだろう。(そこには、どこでいつ獲れたどの部分が美味しいか、それを入手するにはどうすればいいかなどの情報も含まれる。)逆に言えばそれらの小さいパートを理解していけば、シンプルに料理は作れる。プログラミングでは普通に行われるように、複雑な料理というシステムを細かい関数に分解する、というのが、ここでの基本的なアイデアだ。

keith_01.jpg

 一つ例を挙げてみよう。(プログラムコードを示しながら)ベアルネーズソースは、卵黄、エシャロット、酢、バターでできているが、酢と油の乳化が重要なポイントになる。このような現象、素材の細部に分け入り理解することで、我々はそれを様々な方法で応用することができる(※)。結果として、我々は大きな自由を得る。
 これらは、必ずしも複雑なコードに拠らなくても、シンプルなテキストでも実現できる。
 プログラムには、ソーシャルコーディング(※)という方法があるが、その方法論、協働のあり方を、個人的な料理という場に持ち込むことはとても興味深いのではないだろうか。そのことで、逆に、個人のやり方を共同体に伝えることもできる。料理の方法は、かつては、親から子へと伝えられるように、世代間の伝達とそれぞれの文化の中での伝達が主流だったと思う。ただ、例えば、誰かがそのレシピソーシャルコーディングのやり方を使えば、より容易に地域間、文化間の伝達が行われるのではないか。規模もスピードも変わる。そのことが、料理をより豊かにするのではないかと思う。

 

※料理を細かいパートに分けるということは、先端的には"分子ガストロノミー"(調理を物理化学的に解析するという学問分野)において取り組まれている。その成果は、スペインの著名レストラン「エルブジ」などで披露されている。

※ソーシャルコーディング
 無料で一般に公開されたプログラムソースをベースに、有志の開発者たちが適宜それを改良していくような状況を指すと思われる。本レクチャーではEye Writerの開発が例として示されたが、著名なものとしてはLinuxの開発が該当すると思われる。


 なお、会場からは、次のような質問がなされた(抜粋)。
 ・料理は非常に個人的なもので、常に、それぞれの味にカスタマイズされると思う。それほど社会的なものだろうか。
 ・記述のレベル(レシピ)と、実行のレベル(調理)にはギャップがある。記述のレベルにおいて、Keithのアイデアはとても面白いが、実行のレベルでは有効だろうか。
 ・プログラムの方法論を、どこまで料理に適用するかということが問題ではないか。
 ・料理を小さなパートに分けて考える。これを応用する。ということは、わざわざプログラムの方法論を持ち出さずとも、料理をするときには普通に行われていることではないだろうか。プログラムのアナロジーで語れるということは面白いが、それが料理に有益なのだろうか。
 ・プログラマーの世界では、プログラミング言語というユニバーサル言語があるからこそ、ソーシャルコーディングというやり方が世界的規模で可能になるが、レシピということで言えば、それぞれの言語で記述されている。ソーシャルコーディングの概念を当てはめても、ユニバーサルな言語の欠如、すなわち共有の難しさがあるのではないか。


 Keithのアイデアは、プログラマの視点を通じることで、料理における無意識的な方法論を顕在化させている。ある概念を、何かのアナロジーで語ってみることは、その概念の多角的な検討にしばしば有効である。(ちなみに、対象を細部に分けるという方法は、デカルトが『方法序説』で明示していることであり、近代的思考の一つの成果(であり限界)である。)
 また、Keithの指摘するとおり、ソーシャルプログラムの手法を料理の記述体系に導入することで、規模、容易さ、速度など、レシピの流通性は飛躍的に向上する。これは、ネットで同種の料理についてのレシピが続々と公開されるような状況により、既に部分的に達成されていると言える。が、そこではもちろん多様な言語が使われているし、同じ言語を用いる者のうちでも、用語や概念の扱いには異なる部分がある。Keithは、より厳密で体系立った言語規則で記述するという例を示し、次の段階のについての一つの可能性を示唆している。(ただし、記述のレベルで体系性を導入したとしても、それが実際の調理にどのように影響を及ぼすかは別の問題である。(ここではロボット工学の知見を参照する必要があるだろう。))
 さらに言うならば、Keithの議論の面白さは、エンジニアの文化に馴染みのない方には、体感的には理解しにくいのではないかと思う。プログラム、特に規模の大きいプログラムでは、複数人数での開発が普通である。このため、開発のための共通ルール(仕様書や、コードの管理運用方法の取り決め等)が重要になる。エンジニアの文化は、一つのアイデアを多くの人で共有するという志向を強く持っており、そのための膨大なノウハウを蓄積している。オープンかクローズかの差はあるが、プログラムはすべて社会的なものであるとも言える。このような考え方は、自由であること、合理的であること、反権威/権力的であること、厳密であること、創造性とユーモアの称揚、共産的であること、などとの親和性が高い。このカルチャーを背景にして料理を考えるというところに、Keithのアイデアの真価があるのではないかと思う。

このレポートの他に、レクチャー参加者の松本薫さんもレポートをアップしてくれてます。



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